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火球少女 [超短編]



「相沢正也」
「はい」
担任の名前は、三井治五郎。まだ、30歳にはなっていない、どこか気の弱そうな国語の教師だが、治五郎は似合っていない。でも、10年後「井上先生って、どんな先生だっけ」という卒業生はいても、治五郎先生なら憶えてくれている確率が高い。
「相沢。正也。西中。サッカー。頭は悪い。以上」
高校生初日、自己紹介をしろと、担任の治五郎が言い出した。正也は、いつも、出席番号が1番。差別だと言っても、誰もとりあってくれない。わ行から始めたとして、ま行の次は何行かという答えには、少し時間がかかる。やはり、あ行から始めるしかない。
「青山千秋」
「青山。千秋。高山南中。サッカー。頭脳明晰。以上」
なぜか、最初のパターンが法則になってしまう。
頭脳明晰だ。だったら、どうして一高に来るかな。一高で頭脳明晰は禁句だ。教室の冷めた空気は、誰もが同じことを考えた結果だろう。その一言に、治五郎もフリーズしているようだ。
「井上真理」
治五郎の声が裏返っていた。
青山千秋の渾名は、間違いなく「貞子」になるだろう。前髪が顔を半分ほど隠している。その上、自分で頭脳明晰なんて言えば、嫌ってくださいと言っているようなものだ。一高は、サッカーだけで有名な高校だ。

「おっ、すげえ」
途中にバレー部の部室があったが、バレー部と違ってサッカー部の部室は、驚きの広さだった。バレー部の部室を見る限り、高校でも運動部の部室は狭くて汚くて臭いものだ。いくらサッカー部の部員が多いといっても、これでいいのだろうか。
部屋の奥に人だかりができている。近づいてみると、その真ん中にいたのは、あの青山千秋だった。
「差別するなら、教育委員会に申し出ます」
学校の規約集の中には、サッカー部に入部できるのは男子に限るとは書いていない、というのが青山の主張らしい。
「でも、試合には出れないよ」
「わかっています。女子サッカー部が出来るまでの、練習ですから、試合には出れなくてもいいです」
「うちの練習は厳しい。体力的に無理じゃないか」
「大丈夫です」
「女子更衣室もない」
「トイレで着替えてから、部室に来ます」
「意識的でなくても、どこに手が当たるかわからない。セクハラだとか言われても困るんだけど」
「それも、大丈夫です。慣れていますから」
「困ったな、結論は校長に相談してからにします」
「よろしく、お願いします」
「はい、はい、では、入部希望の人は、ここを先頭にして並んでください」

「おう、相沢。来たな」
「はい。先輩。よろしくお願いします」
正也が西中に入学した時のキャプテンが向井だった。西中のサッカー部はそれほどレベルの高いサッカー部ではなかった。だから、向井が一高でレギュラーになっていないのも仕方がない。西中は、正也が入るまでは、普通の中学校だったからだ。西中の相沢正也は、関東では、少しは有名な中学生だった。全国レベルの高校からも誘いはあったが、正也は一年生から確実にレギュラーがとれる一高に進学した。
一高は、サッカーが強くて、偏差値が低くて、公立高校という強みがあるので、他所の地域からもサッカー少年がやってくる。サッカー好きな少年は多いが、練習はきつく、新入部員は半年で半分になると言われているらしい。
練習初日、3つの班に分けられた新入生は、準備体操、柔軟体操、ランニング、ダッシュでしごかれた。土曜日に1日休みを入れて、日曜日に試合形式の練習があるらしい。新入生のランク付けが目的だと、向井先輩から聞いた。
正也の班には、西中のサッカー部で一緒だった仲間が2人もいる。補欠に青山千秋の名前もあったが、当然、無視した。ただ、すだれ髪を後ろで一つに括ると、アスリートの顔になったように思えた。あの顔が地黒でないとすれば、練習量は豊富だったのだろう。
2年生チームを相手に、15分ハーフで30分の試合。ただし、5点差で勝負が決まる。
最初のチームは、5分で5点取られて試合終了。二つ目のチームは、8分持ちこたえた。だが、1年生チームはシュートさえ打てなかった。
正也のチームは、前半1対5。後半開始30秒で1点取られて負けた。1年生チームの1点は、2年生のオウンゴールだから、自慢できる得点ではない。
3年生も参加し、試合は続けられた。試合は、1年生チームが30分持ちこたえるまで続けられるというルールが、地獄になるとは思わなかった。故障者や脱落者が出て、補欠にされていた青山が正也のチームに入った。
「ワン・ツーで、スペースに出してくれ」
正也の横に立った青山が、声をかけてきた。「俺に、アシストしろってか」と思ったが、返事はしなかった。
フォワードの位置にいても、ボールなど来ることはない。正也のチームは、パスが通ることがあるが、力の差は歴然としているのだから、カウンターを狙うのは当然の作戦になる。だから、正也も低い位置からのカウンターを狙った。
開始早々、青山がサイドバックの位置から、ドリブルで持ち上がり、正也も走った。2年生も、女だと思って油断していたし、青山の技術も捨てたものではなかった。正也は、青山に言われていたからワン・ツーのパスを出したわけではない。ワン・ツーで前に出ることが正しいと思ったから、スペースにボールを送った。青山は左足で、シュートを打ち、ゴールキーパーは一歩も動かなかった。青山は、正也に向かって親指を立てた。うそ、だろう。正也もそう思ったし、皆も同じだろう。先制点が1年生チームなんて、ありえない。
1年生チームの2点目も青山だった。コーナーキックのボールを2年生がクリヤミス。真上に上がったボールが正也の頭上に落ちてきた。ジャンプする前に、青山と目が合った。自分はゴールを背中にしている。青山の前にあるスペースに、ボールを出すのは自然な反応だった。走りこんだ青山のボレーシュートは、見事にネットを揺らした。
ディフェンスが弱いのだから、点を取られるのは仕方がない。でも、前半は2対4で終わった。2点とも青山のシュート。フォワードの正也としては、喜べる結果ではない。
2年生は、青山を潰しにかかった。だが、青山は義経みたいにひらりひらりとかわして、ドリブルで持ち上がる。マークされなくなった正也とのワン・ツーは、面白いように決まる。
2年生は、足を出すだけでは止められなくなり、体ごと青山にぶつかっていく。平気でジャージを引っ張る。その度に、青山は地面に這った。しかし、青山は表情を変えなかった。
見かねたコーチが、2年生に注意をしたが、青山を止めるためには、体を使うしかない。コーチはレッドカードで次々と2年生を退場させた。
4人の退場者が出て、試合は膠着状態になり、試合は4対4で引き分けた。正也も1点取ったが、3点は青山の得点だった。
2年生は、退場者を4人も出したことで、グラウンド10周のペナルティー。2年生は、おもいきり暗い顔で走っている。正也の顔も暗かった。正也のサッカー人生では、自分よりレベルの高い選手はいなかった。一高の2年生3年生を見ても、自分よりも明らかにレベルが高いと思う選手はいなかったのに、青山には敵わないと思った。初めての挫折かもしれない。しかも、それが、よりによって、女だということも、落ち込む原因になった。
誰かと談笑しながら家路につくような余裕はない。正也はトイレに行くような素振りで教室に向かった。1対0の1点と、4対4の1点では1点の価値が違う。2年生が30分で4点しか取れなかったのは、退場者が多かったからだが、ザルのような1年生のディフェンスの中で、何度もシュートを防いだのは青山だった。つまり、青山一人で引き分けに持ち込んだようなものだ。誰が見ても、主役は青山。端役の体験がない正也にとっては、屈辱の試合に感じられた。
教室のドアが勢いよく開いた。
「やっぱり、ここで、泣いてたか」
「はぁあ」
「お前は、一高のエースになった。ここは、泣く場面か」
「ばか、泣いてなんか、ない」
「じゃあ、なんで、落ち込んでる」
「落ち込んで、ない」
「説得力ないな。僕、泣いてますって顔だ」
「うるせえよ」
「お前の目標は、何だ。全国大会か」
「ああ」
「軟弱だな」
「はあ」
「チームのエースの目標が全国大会というチームが、全国大会に出れるのは、幸運の山にぶつかるしかない。それは、目標でなく、ただの夢だ」
「じゃあ、青山の目標は、なんだ」
「俺か。俺の目標は、全日本のチームを世界一にすること」
「馬鹿か」
「お前、全日本のメンバーになるイメージも持っていないのか」
「一寸待て、さっきから、お前、お前と呼び捨てにしてるけど、俺達って親友だったか」
「悪い。相沢は、全日本に選ばれるつもりはないのか」
「そりゃあ」
「多分、その程度なんだろうな。もしも、うまくいけば、選ばれる、かも。だろう」
「何が、言いたい」
「相沢なら、世界で戦える。教室で一人泣いてるような、屑じゃないってことだよ」
「だから、泣いてなんか、いない」
「俺は、今まで男の中で戦ってきた。でも、自分よりもレベルが高いと思える選手に出会ったことがない。だが、お前、いや、相沢だけは、俺よりも少しだけ上かもしれない。そんな奴が、ウジウジしてるのは、許せない」
「勝手なこと、言うな」
「1点しか、取れなかったからか」
「む」
「だったら、なんで、ボールを蹴ろうとしない」
「えっ」
「この時間は、黙々とボールを蹴っている時間じゃないのか」
「ん」
「俺がキーパーをやってやる。納得出来るまで、やれよ」
「お前、ほんとに、女なのか」
「俺が女かどうかなんて関係ないだろう。気になるのなら、証拠を見せようか」
青山が立ち上がって、ズボンに手をかけた。
「あわわわわ」
「冗談だよ、見せるわけないだろう」
「だよな」
「今、相沢も、お前と言ったよな。俺達、親友になったってことか」
「あ」
「俺、お前、でいいな」
「ああ」
「俺が世界一になっても、初めての世界一じゃない。でも、お前ら男子が世界一になれたら、初めてだろう。こんなチャンス、見逃す手はない」
「ああ」
「お前なら、それが出来る。だけど、こんなとこで泣いてたら、無理」
「だから、泣いてないって」
「いくぞ」
「ちょっと」
「はあ」
「確かに、俺は落ち込んでた。それは、認める。でも、女のお前に言われて、はい、はいと言って練習はできない。それは、無理」
「これだから、男は嫌いだ。もう、いい。勝手にしろ」
青山は、机を蹴散らすような勢いで教室を出て行った。
正也は、大きく息を吐いた。青山が言ったことは正しい。教室に逃げ込んで、落ち込んでいても、何も変えられない。でも、それを女に言われたくない。いや、それも違う。結局「青山を女だと思わなければ、いい」という結論になった。

3年生は受験があるから自主参加になっているが、一高の場合は半数以上の3年生が練習に参加する。もちろん、この1年間の主力は2年生であり、3年生は試合への出場は、ほぼできない。1年生は、基本的な体力を作るグループ、体力増強とサッカーの基本を練習するグループ、2年生チームに合流するグループの3つに分けられた。2年生と合流する主力チームに選ばれたのは、正也と青山以外に4人いた。2年生チームに入ったからといってもレギュラーになれるわけではない。青山は女だから補欠にもなれない。でも、正也は自分がエースになるつもりでいた。グラウンドには簡単な照明装置があり、居残り練習は自由にできる。正也と青山は居残りをして、黙々とフリーキックの練習に取り組んだ。青山のことを女だと思わなくなって、正也の気持ちは楽になっていたし、青山とのサッカー議論、特にキックの議論は楽しい。
「俺、キーパーの経験ないから、わかんないけど、お前のシュートは、結構痛い。火の玉って感じだ」
「アニメの見すぎ。お前のボールだって痛い」
「俺は、男だから」
「また、差別してやがる。お前、宮間のシュートを受けたことあるのか」
「いや」
「全日本なら、あれくらい、普通なんだろう。俺も、宮間のシュート受けたことないけど」
「かなり、筋トレ、した」
「ああ、中学生だからって、止められたけどな」
「俺も、筋トレ、真面目にやろう」
「ジムに行くか」
「行きたいな」
「ほんと、俺達、時間ないよな」
「お前、女子部を作るんだろう。進んでるのか」
「いや、予算がないんだと」
「じゃあ、愛好会だ」
「だよな」
「最初は、愛好会でいいじゃん」
「でもな、金、かかるし」
「寄付、集めれば。商店街とか、会社とか、市役所とか、あとPTAとか、OBとか。なんとかなるよ」
「ああ」
「お前一人では無理だろう。仲間を集めろ。それよりも、問題は、お前の髪型だ」
「なんだ、それ」
「キャプテンは、青山だろう。女の子は、貞子みたいな女がキャプテンしてるサッカー部に入りたいと思わないだろう。あの髪型、何か意味あるのか」
「あれは、男除け。前にストーカーで嫌なことがあった」
「でも、新しい部を作るなら、ストーカーされるくらいで、いいんじゃないのか。キャプテンが格好良くて、ユニホームが可愛ければ、女の子は集まるよ」
「他人事だと思って、勝手なこと言うな。でも、ユニホームは恰好いいのが欲しいな」
「向井先輩、あの人、中学の先輩なんだ。サッカーは普通だけど、絵は抜群に上手い。向井先輩なら、いいデザインしてくれると思う。頼んでみろよ」
「相沢」
「あ」
「サンキュウ。お前と親友になって、よかった。俺、一寸、壁にぶつかってたかも」
「らしくないな。明るくて、爽やかで、格好良くて、私達、今、青春でーす。世間は、その方が喜んでくれる。生徒だって世間の一部なんだから」
「ああ」
「先ず、その髪、切れ」
「ああ」

翌日、青山千秋ではない青山千秋が教室にいた。
髪をショートカットにしただけではない。表情も声も別人だ。ボーイッシュな髪型にしたのに、どう見ても、女の子に見える。正也は、声もかけられなかった。
最初は、一歩引いていた生徒も、一週間で魔物に飲み込まれてしまった。治五郎も青山の顔を見ると愛想笑いまでする。女は、女として生まれたその日から魔物であり、そのことを意識することもなく自然に振る舞える。正也は、まだそのことを知らない。もっとも、自分が魔物だと気付かないままの女も、ごく稀にいる。
青山は、居残り練習もしなくなり、練習を休む日もある。本気で女子部を作り始めたようだ。先輩の向井は、嬉々としてユニホームのデザインをし、正也の意見を聞きにくる。
練習が終わった後、正也は一人で黙々とフリーキックの練習に没頭した。いや、ゴールの前で両手を拡げて待っているはずの青山に向けて、足を振りぬく。どこかに苛立ちがあるが、そのことには、目をつぶった。




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