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火事場泥棒 [評論]



石田のブログは馬鹿馬鹿しい話が多いのですが、そんな中でも、今日の「庶民党」の話は特に馬鹿馬鹿しい話です。ごめんなさい。

参議院選挙を前に、野党のゴタゴタが続いています。
維新の会とみんなの党が決別したのも、その一つです。
橋下氏が、ドジを踏んだことは書きました。でも、みんなの党の行動も、火事場泥棒のような印象を受けるのは、私だけなのでしょうか。その上に、反省もできない民主党はみんなの党に秋波を送っています。「おい、おい」
余りにもお粗末な党首ばかりで、国民の空いた口は塞がりません。
投票所に行く人は確実に減るでしょう。
投票所に行って、鉛筆を手にしても、書く名前がありません。国民は、茫然自失とするしかありません。だったら、投票所に行くことをやめてしまおうと思うのが自然です。
封じ込められている国民の意志は、行き場がありませんが、これが現在の選挙制度です。
この野党の低次元の争いは、投票率に出てくるものと思います。
投票率が低くなれば、組織票が選挙を支配します。
また、公明党の存在感が大きくなります。
公明党支持者は、国のためでも国民のためでもなく、教祖様のために投票に行くのですから、投票行動には充分な動機があります。お偉い人から指示されたように動けばいいだけですから、自分の頭で考える必要はありません。これは、創価学会の人達だけではなく、日本人に最適な環境です。きっと、池田さんだけでなく幹部の方が優秀なのだと思います。もちろん、個々の信者の方の一番大きな動機は、創価学会の中で裏切り者と呼ばれたくないという動機だと思いますが、これは口外出来ません。彼等は、押しも押されぬ村社会に住み、封建社会に住んでいる人達です。私には信仰心がありませんので、信仰心が持てる方は立派だと思います。ただ、信仰心があることだけで、創価学会の信者の人達にこの国を壊す権利はありません。創価学会の皆さんの信仰心は、今や崩壊の大きな原動力になっていますので、その信仰心を羨ましいとは思っていません。もっとも、宗教が政治的であることは世界共通の常識ですから、それほど目くじらを立てることではないのでしょう。
でも、いいんですかね、こんな国で。
いや、これが、この国の実力なのだと思います。
選挙制度が国民の意志を伝える手段になっていないのが、最大の問題点です。政党ごとに中選挙区がいいとか小選挙区がいいとかの争いはありますが、全部、政治家の都合でしかありません。国民は混ぜてもらっていません。でも、その事に国民は不満を漏らしません。実に不思議です。国民が辛抱強いのでしょうか。いいえ、違います。国民のレベルが低いのです。「憲法」で、何度も主権者は国民だと書きました。でも、国民にその自覚がなければ主権者にはなれません。主権者は国民ですが、一人一人の国民が主権者ではなく、国民全体で主権者なのです。その意識改革がなければ民主主義は機能しません。
たとえば、二世議員が多いから自主規制しようという動きがありましたが、情けないほどのレベルです。そもそも、二世議員が当選することが変なのです。中には、父親より優秀な人がいることは認めます。それは、本来、例外的なケースでしかありません。二世議員が量産されるということは、国民が、まだ村社会と封建社会の延長線上にいることを証明しています。国民が国民として、主権者という意識を持っていないのです。
この国では、民主主義の大前提となる選挙制度が機能していない。これは、残念ながら事実です。国民のレベルの低さを利用して、「自分さえよければ」をやっている権力者達。そんな国が、民主主義体制の国になれる筈がありません。随分前に選挙制度の提案をしましたが、憲法コンペだけではなく選挙制度コンペも必要な国が、日本という国です。現在の選挙制度では、国民の意志は反映されません。いつまで、こんな儀式を続けるつもりなのでしょう。多分、国が壊れるまで続くのでしょう。


「お上」も野党も新聞もテレビも、国民には真実を告げません。自分の都合だけで、国民の貯金のことは知らん顔です。でも、一番危険に晒されているのが、国民の貯金なのです。
いっそのこと、自分で政党を作ってしまおうか、なんて。
ドジを踏む人間が、これ以上増えても、意味がありませんので、やめときます。
それに、お金も、時間も、体力もありませんから、出来る訳がありません。
では、仮想空間で政党ごっこをやってみましょう。
政党名は「庶民党」です。
選挙公約は、一つだけです。
「皆さんの貯金を守りたい」
「貯金党」という政党名もいいと思いますが、ちょっと、ね。
もちろん、この国は、まだ封建社会ですから、国民が権力者に媚びる風潮がありますので「庶民党」が市民に支持されることはありません。ですから、政権を取れるような政党になることはありえません。選挙公約は果たせませんが、国民の財産が風前の灯であることだけは訴えることが出来ます。
それでも、この国は何も変わらないと思います。
だったら、最初からやるな、ということなのでしょう。
しかし、自分の貯金も含めて、大勢の庶民の貯金を守りたいという気持ちは本当です。特に、お年玉や誕生祝いや靴磨き券・肩たたき券・お使い券で貯めた娘の貯金を守りたいと思っています。純粋な気持ちで貯めている娘の貯金も、国債に投資されていますので、このままでは紙屑になってしまいます。私は、どんな話をしてあげればいいのでしょうか。
あっ、すみません。また、忘れていました。
もう、間に合いませんでした。
お粗末な話で、ごめんなさい。
それでも、どなたか、お金も時間も体力も勇気もある方で、その上、徒労に終わる覚悟も持っていて、新党を立ち上げて、国民を守ってくれる方がいれば、私は全力で応援します。少なくとも、演説用の原稿は頑張って書きます。「庶民党は、あなたの、あなたの、そして、あなたの貯金を守りたい。みんなで自分の貯金を守ってみませんか」と訴えれば、振り向いてくれる庶民はいると思うのです。
いや、そんな人、いないのかな。
多分、いないのでしょうね。


話題は変わります。
ダイヤモンド・オンラインの小幡績氏の文章を抜粋して一つの文章にして紹介します。
小幡績氏は「ハイブリッド・バブル」という本を書いた人だそうです。
「 2013年4月4日、日本国債のバブルが崩壊することが決定した。なぜなら、誰の目にも明らかなバブルが発生したからである。
私はある学会で、リフレ政策について議論することになっていた。
聴衆は、安倍晋三首相のブレーンとして内閣官房参与にも就任した浜田教授がどんな人なのか、ひと目見てみたい一心のようだったから、私は自分のプレゼンを早々に終えた。
典型的なバブルとなり、ついに国債バブルが崩壊を迎える。それが決定づけられた瞬間、リフレ派と議論をする演壇にいたのが、私にとって幸運だったか不幸だったかは分からない。だが私は、あのときの演壇から見た景色と感覚を一生忘れないだろう。洪水が押し寄せているのに気づかないまま、人々が雨を降らせるにはどうしたらいいか議論しているような光景を」

余談です。
私からみると、「洪水が押し寄せているのに気づかないまま、人々が雨を降らせるにはどうしたらいいか議論しているような光景を」という小幡績氏の感想はごく当たり前の感想だと思いますが、世間的には「何、言っているんだ、こいつは」と思われるのでしょう。私以外にも、未来の情景が見えている人がいたことで、少し安心しました。ただ、小幡績氏の本は読んでいませんが、国債バブルがはじける所で終わっているような気がします。終着点は、そこではありません。国民にとっては、そこが地獄の出発点なのです。地獄を想像できる人が出現することを心待ちにしています。
多くの人達が、国債バブルを見て見ぬふりをします。この国にとって、目先の最大の課題は国債であり、長期金利です。それ以外の課題は、放置していいとまでは言いませんが、手のつけられないほどの問題ではありません。国債と長期金利の問題は、尖閣や、慰安婦や、憲法と、比べようもありません。どうして、避けて通るのでしょうか。


2013-05-31



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