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記事紹介 34 [記事紹介]



3/28付 ダイヤモンドオンラインの記事を紹介します。
筆者は 鈴木博毅氏
表題は 超入門「学問のすすめ」




『学問のすすめ』は生涯学習や平等主義を説く本ではない。幕末・明治への転換期に書かれた、個と国家の変革を促す「革命の書」である。140年前の幕末と現代は、グローバル化の波、社会制度の崩壊、財政危機、社会不安など多くの共通点があるが、この歴史的名著には、転換期を生き抜くサバイバル戦略が満載なのだ。今、現代の日本人が読むべき転換期を残り越えるヒントとは何か?歴史を変えた名著をダイジェストで読む。

激動の時代に書かれた革命指南書

「なぜ、今『学問のすすめ』なのか?」
そう不思議に思う人もいるかもしれません。現代では『学問のすすめ』と聞くと、10代の受験生が勉学に励むための啓発書か、若者へ学びの大切さを訴える本、あるいは生涯学習を勧める書籍というイメージを思い浮かべる人も多いでしょう。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
この大変有名な言葉から、平等主義を説いた道徳的な要素の強い書籍と思っている方も多いのではないでしょうか。しかし、『学問のすすめ』が執筆された時代を見ると、まったく違う側面が浮かび上がります。
著者の福沢諭吉が慶應義塾の名称を正式に採用した1868年は、東京の上野で旧幕府側の彰義隊と、新政府軍の戦闘(上野戦争)が行われるなど、国内を二分した戊辰戦争の真っただ中でした。諭吉の自伝にも上野の大戦争の最中、大砲の轟音が遠く鳴り響く日にも英書で経済の講義をしていたことが書かれているくらいです。
ペリーの黒船来航が1853年ですから、福沢諭吉が『学問のすすめ』を執筆した時代は、日本の歴史上際立った激動期であり、生きるか死ぬか、日本という国家の未来がどうなるかを日本人全員が固唾をのんで見守り、ある者は旧江戸幕府と共に戦い、ある者は近代化を目指して明治維新へ邁進するなど、現代日本人の想像をはるかに超える大変革の時代だったのです。
『学問のすすめ』は激動に次ぐ激動の時代に、いかに取り残されずにサバイバルするか、日本の未来を確かなものにする変革へ向けて、個人と国家のあるべき関係をダイナミックに変える革命指南書だったのです。

新時代を切り拓こうとする日本人が夢中で読んだ書

『学問のすすめ』は明治維新の5年後、日本が国家存亡の岐路に立った時期の1872~76年に書かれました。日本の人口が3500万人であった当時、17編で合計約340万部、現在なら1200万部に相当する驚異のベストセラーです。ある意味で、日本の歴史上初の自己啓発書であり、日本人が「自己変革と日本革新のための最高の武器」として貪り読んだ貴重なメッセージでした。
現代日本と幕末日本の類似点として、半ば強制的に「鎖国を解かれ」、本格的なグローバル競争に直面していることが挙げられます。1842年の清とイギリスによる「阿片戦争」は、イギリス側が貿易の完全無条件受け入れを強要したことが発端です。
当時、アジアの大国だった清の敗北を知った日本では、「鎖国の維持は近い将来不可能になるだろう」と予感して、秘かに対策を取り始める人たちが増えていきます。日本という国家の崩壊を避けつつ、必死で近代化を目指す日本人は、明治維新という社会・国家革命に最後は一丸となって飛び込んでいきました。
現代日本もすでに避けられないグローバル化の波に大きく影響を受けており、個人も国家も、新しい時代にこれまでにない形でサバイバルする必要性に迫られています。1980年代以降、隆盛を誇った日本の製造業は円高で続々と海外移転をする現在。従来の制度がすでに変化に対応できないこの国では、財政、社会保障制度を含めいくつものシステムが危機的状況を迎えています。
大げさではなく、新しい時代を切り拓く英知こそ、今まさに求められているのです。幕末期、新しい日本をつくろう、新しい社会をつくろうと日本の先人たちが未来を憂え、新国家創造に命を懸けた姿には、現在難局に直面する我々も大いに学ぶ点があるのではないでしょうか。
140年前、新しい時代を切り拓く指南書として、明治維新の真の実現を後押しする書物として、日本人全員が夢中で読んだ書籍。それこそが、福沢諭吉の書いた『学問のすすめ』という書籍だったのです。

安倍首相が引用した『学問のすすめ』「一身独立して一国独立する」新時代へ

先日、一部メディアでも話題となりましたが、自民党の安倍首相が、第183回国会における施政方針演説で、福沢諭吉の歴史的書籍『学問のすすめ』から「一身独立して一国独立する」という有名な言葉を引用しました。
「『強い日本』。それをつくるのは、他の誰でもありません。私たち自身です。『一身独立して一国独立する』。私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は拓けません」
この演説で安倍首相は「苦楽を与にするに若かざるなり」という言葉も『学問のすすめ』から引用しています。元の意味は、人を束縛して一部の指導者だけが悩むのではなく、多くの人を解放し自主独立に導くことで、官民を問わず日本国民全員で新しい時代の問題に取り組むべし、という主旨です。

1800年代、西洋列強の世界進出によりアジア諸国が次々と植民地となっていた時代に、日本の大変革を目指して提唱された『学問のすすめ』は、当時の日本が国家の自主独立を維持しながら、社会革新を成し遂げて急速な近代化に勝利するきっかけとなった書籍です。この国の首相が、140年前の歴史的名著を引用して施政方針演説をした事実は、日本に新しい時代が訪れる予兆を感じさせる出来事ではないでしょうか。
安倍首相はこの演説で、明治維新後に日本人が成し遂げた社会変革の精神や飛躍への強い気概を取り戻すことの重要性を私たちに伝えたかったのでしょう。日本の幕末明治と言えば、サムライ・武士封建制度の時代から、黒船の来航で一気に世界が転換し、政治体制の一新を成し遂げて近代国家への大変革に成功した歴史です。

140年前との「隠れた共通の構造」

幕末の日本と、140年後の現代日本は奇妙な共通点を抱えています。
【現代日本が直面する難題】
・国が長期の財政赤字に苦しみ、改革は既得権益者に毎回つぶされている
・政府の構造改革に着手した政治家が、足を引っ張られて失脚
・世界規模のグローバル化の波が、日本にも押し寄せてきている
・社会不安が増大し、一般庶民の生活が苦しくなっている
・海外諸国に侵略の意図があり、日本の国家海防が重要事項となってきた
いずれも現代の日本人が肌で実感している、日本という国家の抱える厳しい問題です。「このままでは日本は衰退するのではないか?」「閉塞感の先に何が起こるのか不安で仕方がない……」。政治や経済が行きづまり、グローバル化の波が押し寄せて、国際マーケットで次々と日本企業が敗北を喫しているなか、社会の不安は高まっています。現代日本と日本人は、待ったなしの多くの難題に今まさに直面しているのです。
一方で、140年前の日本という国家、日本人が体験した深刻な国難と、現代日本の難題は不思議に似ています。「隠れた共通の構造」を持つとさえ言ってもいいでしょう。
【幕末日本が抱えていた難題】
・長老体制、腐敗政治などで江戸末期の財政は大幅に悪化
・ペリーの黒船来航により、強制的にグローバル化の波にさらされる
・打ちこわし、「ええじゃないか」など、社会不安で騒乱が起こる
・金と銀の交換比率により、外国人投資家が殺到、日本から多量の金が流出
・西洋列強は植民地主義を掲げており、日本は国家防衛力の増強が急務だった
西洋列強と比べて、技術力・武力・知識の差が歴然だった当時、幕末期は現代日本の危機よりさらに巨大な閉塞感と見えない未来への不安に脅かされていたと考えられます。しかし、私たちと同じ日本人である幕末明治の人々は、未曽有の国難を見事に乗り越えます。約300年間続いた江戸幕府という日本の旧権力構造は維新で刷新され、140年前の日本人は新しい統治体制を創造することができたのです。日本という国家の輝かしい歴史上の勝利ですが、勝利を手に入れる前は「絶望的」とも呼べる、巨大な危機に直面していたのです。
これまで何度も構造改革に取り組みながら、結局は何も変わらない今の政治。危機感を募らせる日本企業も、なかなか新しい道筋を見つけられずに右往左往しています。一方で、我々国民もまた、本当の意味で危機感を持ち、他人任せにせず、自らの手で新しい国や社会をつくろうという意識が低いことも事実でしょう。そんな状況において、今では多くの人が悲観的な感情を持ち始めているかもしれません。
「なぜ、かつての日本は変われたのか?」
同じ日本人である幕末明治の人々は、どのように個と国家の変革に成功したのか。実は、その秘密を解くヒントが、当時日本人が夢中で読んだ『学問のすすめ』に隠されているのです。

『学問のすすめ』が示唆する、変革期に消滅する3つの古い勝者

明治維新直後の方向感を模索する日本国内で、10人に1人が読んだとされる大ベストセラー『学問のすすめ』は、日本の近代化に多大な影響を与えます。

維新の立役者の一人である西郷隆盛は、諭吉の書籍を愛読していたと言われており、日露戦争で活躍した秋山好古陸軍大将は(日本海海戦での参謀、秋山真之の兄)諭吉を尊敬しており、晩年を教育者として過ごしています。
『学問のすすめ』は、時代の変革期には過去勝者だった3つの存在が敗北することになると示唆しています。悲惨な運命を辿るのは、どのような存在なのでしょうか?
(1)古い身分制度に依存する者
諭吉は古い身分制度に依存することで成立していた権威が、新時代には無意味なものになると指摘しています。幕府と武士階級は身分制度に固執したことで、新しい時代の問題解決能力を失っており、黒船以降の大変革に対処できずやがて日本から消滅します。
(2)実際の効果を失った古い学問に固執する者
幕末期にすでに効果を失った時代遅れの学問に対して、諭吉は人間の日常に役立ち、今日の問題解決ができる学問を「実学」と呼んで新たに定義しています。古い定義の学問に固執したものは、学んだことがすでに効果を失っていることで、長い修養を積んでも自身の生計すら立てることができず、周囲や国家に貢献できる人間に成長することができない。逆に、今日の問題解決が可能な「実学」を優先的に学ぶ者こそ、新しい時代に自分を生かす活躍の場を得ることができるとしています。
(3)直面する問題に当事者意識のない個人・集団・国家
戦国武将の今川義元(駿河)が、織田信長の合戦で討たれたあと、今川軍は蜘蛛の子を散らすように四散して、あっけなく今川軍は滅びてしまいました。一方で、フランス軍はプロシアとの普仏戦争でナポレオオン3世が捕虜になったのちも激烈な戦闘と抵抗を続け、国家としてのフランスを維持することができました。フランス人は直面する問題について国難を自分の身に引き受けて、自ら戦ったからです。
現在、新しく直面する問題に当事者意識のない個人、集団、国家は、誰かから指示を受けないと動けず、頭も使うことがありません。結果としてこのように当事者意識のない集団は、指示をする指導者が有効性を失うと、一気に瓦解してしまうのです。
これら3つの存在は、昨日と同じ今日が続いていく限りは、ある種の勝ち組であったと考えることもできます。古い身分制度や権威にしがみ付いても問題が起こらない平穏な時代、過去の学問を学んでも、その学問が実用として効果を発揮してくれる時代、当事者意識がなくとも、周囲や指導する人になんとなくついていけば安泰だった時代、そうした古き時代の勝者が、新しい問題や変化に対処できないとき、過去に依存していた存在はすべて敗退することになります。
この変化が一つの業界で行われるなら、ビジネス上のイノベーションと私たちは呼びますが、国家規模で起こった場合、大変革期と呼ぶ歴史の一ページとなるのでしょう。江戸末期には、西洋砲術(大砲の技術)と日本国内の砲術には相当の性能差が存在し、西洋列強と戦闘になった薩英戦争や下関戦争では、薩摩藩と長州藩が共に敗退しており、江戸幕府も西洋列強との接触では問題を解決することができず、1858年には不平等条約といわれる日米修好通商条約を締結しています(同条約の解消には約40年の月日がかかった)。
『学問のすすめ』は刀を指したサムライの時代から、ガス灯が煌めく明治への大変革を成し遂げた時代を代表する啓蒙書です。リアルタイムで日本と世界の劇的な変化を体験した福沢諭吉は『学問のすすめ』を通じて、現代の私たちに変革期に消えゆく存在がなんであるかを、改めて教えてくれているのです。

学問は生き残るための武器である

諭吉は『学問のすすめ』第10編で、「今の我が国の陸海軍が西洋諸国の軍隊と戦えるか、絶対に無理だ。今の我が国の学術で西洋人に教えられるものがあるか、何もない」と述べています。この箇所を読むだけでも、戦後の長期的な繁栄のあとで、すっかり自信を喪失した現代日本と、明治維新直後の社会状況や庶民の精神性に類似点があることがわかります。
諭吉は「ただただ外国勢力や西欧の科学文明を恐れているのではダメで、日本という国家の自由独立を強化することこそ、学問をする者の目標である」と説きます。学問に励み知恵を得るのは、国内で競うためではなく、外国人と知の戦いで勝ち、日本人が日本の国家的地位を高めるためである、とまで言っているのです。
面白いのは、諭吉が1860年、徳川幕府の軍艦である咸臨丸で太平洋を横断し、アメリカを訪問した際の話です。各地で大歓迎を受け、日本人が好きな魚が毎日用意され、風呂も沸かしてくれるなど日本の習慣を理解した最大限の歓待を受けました(諭吉は現地で接したアメリカ人の、フェアで公正な精神にも大いに感銘を受けています)。
しかし、訪問先でさまざまな科学技術や先進的な工場を紹介されたとき、アメリカ人は当時の日本人が夢にも思わない先端技術を紹介したつもりでしたが、諭吉自身はすでに数多くの洋書を研究読破していたため、「テレグラフ」「ガルヴァニの鍍金法」「砂糖の精製術」など、科学技術に関しては知っていることばかりで、少しも驚きませんでした。「無知」が知らない存在を畏怖させる一方、「適切な学問」で必死に努力することは、人に深い自信を植え付けてくれることを、諭吉自身も体得していたのかもしれません。
当時は日本国内の古い社会制度が崩壊し、同時に西欧列強に最短で追いつく近代国家の建設に日本人全体で邁進した時代です。諭吉のメッセージは、新しい時代に不安や恐れを抱く国民を励まし、勇気を与え、日本の国家的自主独立を維持しながら、見事な近代化を成し遂げる、日本人の強固な精神的支柱となったのです。

新時代をサバイブする武器としての『学問のすすめ』7つの視点

諭吉が書いた『学問のすすめ』という書籍は、単純に修身の教科書のような読み物ではなく、日本の危機的状態に対処するためのサバイバル戦略と、国家と個人の変革を指南する切実な内容であることがおわかりいただけるのではないでしょうか。
『学問のすすめ』を日本の変革を導く戦略指南書であると捉え、以下の7つの視点で分析することで、真の姿をより鋭利に描き出すことができるようになります。
(1)変革に必要な意識と対策
西洋列強のアジア進出と、すでに多くの国家が植民地となってしまった現実を見据えて諭吉が出した「日本変革に必要な意識と対策」。日本はギリギリのところで西洋の植民地化を免れていますが、書籍『学問のすすめ』はどのような役割を果たしたのか。
(2)実学という新たな定義の威力
古い学問の賞味期限切れと、江戸幕府が海外情勢の変化に対処できなかったことには密接な関係がありました。日本が国家として、日本人が個人として生き残るために「学習対象を切り替える」必要性を諭吉は鋭く論じています。
(3)変革期のサバイバルスキル
先に「変革期に消え去る3つの勝者」についてご説明しましたが、変革期に直面する社会では、過去の多数派と同じ流れになんとなく付いていくことで、成功を維持することができません。何しろ、多数派自体が間違っている可能性が高まっているのですから。
(4)グローバル時代の人生戦略
比較検討の枠組みが急速に広がるグローバル化。幕末明治の日本と日本人は、半ば強制的にグローバル化を押し付けられた立場でしたが、対処しないわけにはいきませんでした。比較検討の枠組みが広がることで何が起きるのか。ガラパゴス化という言葉が象徴するように、内にこもりがちな日本と日本人が変化の時代にどう生きるべきなのか。
(5)難しい時代に必要なアタマの使い方
慣れ親しんだ過去と決別し、新しい時代に直面するとき、不安や悩みが続くことで「自分のアタマを使うことを放棄する人たち」が続々と出現します。良し悪しの判断力を磨くこともせず、新たな説を盲信して表層的な“開化先生”になる人物も増える時代、どのように私たちは自分のアタマを使うべきなのか。その具体的方法。
(6)歴史が教える「変革サイクル」の起動法
諭吉は幕末明治人には珍しく合計3回の海外渡航経験があり、幕府の使節団として米国・欧州を訪れています。さらに多くの洋学書を読破した諭吉は、各国の歴史が教える社会変革に共通する事項を見抜いていました。『学問のすすめ』には諭吉が天才的な頭脳で到達した、「国家の変革サイクル」を起動する方法が描かれているのです。
(7)日本の未来を創造するための鍵
諭吉はなぜ書籍『学問のすすめ』を書いたのか。なぜ日本を変革する戦略指南書となったのか。当時、日本を取り巻く環境と時代はどのように動いていたのか。中津藩の下級武士の家に生まれた諭吉青年が、自ら環境の壁を飛び越えながら学び、世界情勢と日本の現状を見比べて辿り着いた、未来を創造するための構造とは一体なんだったのか。
上記、7つの新たな視点での分析は『学問のすすめ』のまったく別の「真の姿」を映し出してくれます。諭吉は日本の国内戦争だった戊辰戦争で、東京の上野で大砲が鳴り響く中授業を行うような時代を体験し、自身が幕臣であることで江戸幕府内部がいかに時代遅れであったかを痛感していました。
一方で彼は攘夷(外国排斥運動)を強固に推進する薩摩長州側が勝利すれば、外国排斥が激化し、海外先進国の技術知識、文化を日本が学ぶことを拒むようになり、最終的に日本という国家が弱体化して西洋の植民地にされることも強く憂えました。

結果、彼の先見性と戦略性、世界情勢の中で日本という国がどうサバイバルすべきかという提言のすべてが『学問のすすめ』という類まれな書籍に昇華されていったのです。

日本の歴史から読み解く「失敗の本質」から「成功の本質」への回帰

昨年出版した拙著『「超」入門失敗の本質』では、日本的組織論の白眉である『失敗の本質』から、現代日本に共通するエッセンスを導き出しました。名著『失敗の本質』は約70年前の、大東亜戦争における日本軍の作戦を精緻に分析したベストセラーです。
今回の連載ではさらの70年遡り、約140年前の日本の歴史的勝利である「明治維新」を当時の国民的ベストセラーである、福沢諭吉の『学問のすすめ』を通じて分析し、日本という国の「成功の本質」を描き出すことを目標としています。
当時の日本で文明開化を目指した諭吉や、維新に奔走した幕末の志士達は無為無策のままで時間を過ごしたわけではありません。彼らを含めた無数の日本人が危機に奮い立ち、望ましい未来をつくるために行動したからこそ、歴史の偉業が成し遂げられたのです。
幕末以降から現代に至るまで、日本の飛躍は大きく2つあると言われています。一つは明治維新後に、極めて短期間に先進国へ追い付いた幕末明治初期。もう一つは300万人以上が亡くなった敗戦以降、わずか20年程度で経済大国に成長した戦後日本の高度成長期。
この国の失敗の本質が存在するのなら、当然成功の本質も存在するはずです。過去2回の大飛躍である明治維新後と、戦後の高度成長。この2つの隠れた共通点を見つけることができれば、それは「日本の成功の本質」と呼べるものかもしれないのです。





余談です。
これは、鈴木博毅氏が自分の著書を解説する文章です。
鈴木博毅氏は、思想家ではないと思いますので、あまり無茶は言えませんが、少しだけ注文をつけたいと思います。
鈴木氏には、この国の課題を捉える視点はあると思います。
ただ、時代背景が似ているとはいっても、瓜二つではありませんので、今の時代に「学問のすすめ」をそのまま流用することはできません。
鈴木氏は、「学問のすすめ」に匹敵する思想が必要だ、と言っているのだと良心的に解釈しておきます。
ここまでは、建前論です。
折角、長い文章を読んでもらったのに、申し訳ないのですが、私には、こんな本を買う人の気がしれません。
この本が、現在の日本に警鐘を鳴らしているのだとしたら、空論に過ぎません。
それは、この本が現実を無視しているからです。
残念ですが、この著書が、現実から遊離していると感じるのは、福沢諭吉が「学問のすすめ」を書いた時の時間軸です。この本は明治になってから書かれています。明治維新と呼ばれる政変は、江戸城が炎上しなかったとはいえ、間違いなく武力革命です。その革命後に書かれた文章です。では、今の日本で、革命が行われたのでしょうか。これから、革命が起きるのでしょうか。いいえ、革命が起きることはありません。このことが、時代背景を全く別のものにしているのです。
徳川幕府の中枢にあった大老と老中が、その時代に対応できなくなり、世界の潮流に遅れ、他のアジア諸国と同じように植民地になる危険があったために、革命が起きたのです。もし、明治維新がなかった時、徳川幕府の老中が、政策を変えることができたのでしょうか。
現在も、日本の中枢にいる官僚が、今の時代に対応しきれていないから、国家衰退が始まっているのですが、革命は起きていません。今のままで、官僚に日本のあり方を変えることができるのでしょうか。いいえ、権力者が自ら進んで権力を手放すことはありません。
明治時代は、革命後の日本だったから、「学問のすすめ」に意味があったのです。
現在は、革命が起きていませんし、官僚が排除されていませんから、「学問のすすめ」は、残念ながら、通用しないのです。
このままでは国が崩壊する、という状況は同じですが、革命の有無は決定的な相違点になります。
では、今の日本で、革命が起き、新しい思想が生まれるまで、どのくらいの時間が必要なのでしょう。仮に、13年後に財政破綻が起きるとした時、それまでに日本は変われるのでしょうか。とても、無理です。
残念ですが、鈴木氏の著書も、私の主張と同じマスターベーションに過ぎません。
今の日本では、「学問のすすめ」を勧めても効果はありません。
今の日本に、最も必要とされるのは、革命です。
それを主張する方がいないのが、この国の不幸だと思います。
もちろん、政治家を殺せ、とか、霞が関を燃やしてしまえと言っているのではありません。
法律を使って、この国に革命を起こすことは可能です。昔は、法律での革命などありえない発想です。でも、今の時代であれば、機能はしていませんが、この国は形の上では民主主義国家であり、法治国家ですから、法律で革命を起こすことは可能です。皮肉な話ですが、民主主義や法治主義が初めて役に立つことができるのです。中国や北朝鮮では、武力革命という手段しかないと思います。
そのためには、「自分さえよければ」ではない政治集団と、民主主義という概念を正しく定義できる学者集団とそれを支持する国民が必要です。要は、今の封建制度や独裁政治を排除すればいいのです。看板通りの民主主義国家になればいいのです。その上で、明治時代に必要とされた「学問のすすめ」のような、時代に合った思想を手に入れることです。
でも、それは、「学問のすすめ」そのものではありません。
復古で時代を変えることはできないのです。それは、ただの無能力の証明にしかなりません。教育勅語を道徳にしようという馬鹿もいます。今の時代を生きている人間が、今の時代のために創造する思想だけが、時代を変えるのです。過去の思想は、最大限、参考にするべきですが、あくまでも、新しい思想は、今の時代のためのオリジナルでなくてはなりません。時代を変えるためには、時代に負けない巨大なパワーが必要だからです。そのパワーは、誰かを、何かを真似ることでは手に入れることはできません。
ただ、時代を変えるためには、革命が不可欠であることだけは間違いありません。それは、権力者の交代を意味します。権力者の交代こそが革命なのです。革命の手段は問いませんが、革命なしには時代が変わることはありません。
権力者はその力を使って自分を守ります。ですから、革命前夜の数年間で革命家の多くが命を奪われる結果になってきました。これは、古今東西、人間社会に共通する歴史です。革命は、それほど簡単にできることではありません。でも、それしか権力者を交代させることはできないのも、厳然たる事実なのです。今の日本人に、そのパワーがあるでしょうか。いや、それ以前にこの危機を認識しているでしょうか。残り時間は、どんどん失われていきます。
そう考えると、ずるずると崩れていくのはやむを得ないのではないかと思います。


2013-03-31



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