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偽りの現実 [評論]


「評論」のカテゴリーに入れましたが、これは「読書感想文」であり「記事紹介」でもあります。ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏が書いた「いまだ人間を幸福にしない日本というシステム」という本について書きます。原題は「The False Realities of a Politicized Society」です。
1994年に発売され、世界的なベストセラーになった「日本/権力構造の謎」に加筆し再版されたものだそうです。角川ソフィア文庫から発売されている940円の文庫本です。
この本を読めば、日本の将来に希望が持てます、と言いたいのですが、そうではないのでお勧めしにくいのですが、興味のある方も、興味のない方も、是非、購入して読んでみてください。もしも、私が大金持ちだったら、文科省も日教組も許可しないとは思いますが、全ての学生に無償で配りたいぐらいです。
最初、「記事紹介」にしようと思い、転記する個所に赤ペンを引いていましたが、赤ペンだらけになってしまい、とても転記できる量ではなくなりましたので、転記は諦めました。
第一章の冒頭の文章だけ転記しておきます。
「日本では実に多くの人々が自分達の人生はどこかおかしい、と感じている。なぜなのだろうか? 老若男女を問わず、あらゆる社会階層の人々が、みな同じような不満を抱えているというのは、驚くべきことではないだろうか?」

この国の権力構造について、ド素人の石田の評論では信じられなかった方も、プロのジャーナリストのベストセラーであれば、ある程度は、日本の病巣がどこにあるのか、わかっていただけるのではないかと思っています。もちろん、ウォルフレン氏の評論が正しいとは言いません。まして、石田の評論が正しいと主張する気もありません。でも、ここには何かあります。
有名なジャーナリストの方なので、石田と比較するのは間違いかもしれませんが、共通する部分が多くあります。一カ所だけ、全く主張が違う部分がありますが、5年後か10年後にはウォルフレン氏の意見は変わると思っています。それは、「政府債務は今の時点で優先的に対処しなければならない問題ではない」と主張している事です。その根拠は、ギリシャ等と違って、政府債務が国内資金で賄われていることにあるようです。石田は、政府債務を購入する国内資金は限界に近付いているし、長期金利が上昇すれば持続できないと思っています。ウォルフレン氏の本は、もともと、日本の権力構造に関して書かれた本ですから、財政問題に深く言及したものではないのでしょう。
権力構造や歴史解釈に関しては、素人の石田とは比較できないほど深く掘り下げていますし、説得力もあります。ただ、残念なことは、ウォルフレン氏が外国人だということです。なぜ、日本人がこのような書籍を書かないのか。ウォルフレン氏が言う「偽りの現実」に日本人が、誰一人、気付いていない訳ではありません。「書かない」のではなく「書けない」のだと思います。それは、日本国籍のままでは生活権を奪われる危険があるからだと思います。どこの国でも、権力に迎合していれば、生活は安定します。確かに、海外メディアや外国人ジャーナリストは、日本の官僚に迎合する必要がないという強みはあります。だからと言って、日本の学者やジャーナリストや専門家が、横一線になって官僚に笑顔を振りまくのは、いかがなものかと思います。
ウォルフレン氏は、日本の将来に悲観していません。条件はいろいろありますが、解決が可能だと考えているようです。その一番大きな条件とは、私達が「臣民」ではなく「市民」になることだと書かれていました。「臣民」というのは、お殿様と家来の関係です。
でも、ウォルフレン氏が指摘した部分を変えようとすれば、私達は全官僚を敵に回し、司法とも戦わなければなりません。彼等は仕事として戦略を作る時間がありますが、国民にはその時間がありません。彼等は全ての情報を手にしていますが、国民はその隠蔽された情報を手にする手段もありません。大多数の国民の賛同を得る主張を作るためには、それを裏付ける情報が必要ですが、それがないのです。このことは、国民が「市民」になることを不可能にしています。これでは、まともな戦いはできません。国民にとって、最大の力は、数です。数以外では、権力者に対抗することはできません。「臣民が市民になれば」という条件は、たった九文字の条件ですが、この条件をクリアするのは99%無理です。そう考えると、このまま、ずるずると、行くとこまで行く、のが自然の流れというものだと思います。多分、ウォルフレン氏は外交辞令として、希望がない訳ではないと書いているのでしょう。国の形を意味する「国体」という言葉があります。この国を、国民のための、文字通り民主主義国家にするためには、この日本の国体を根こそぎ変える必要があるのです。それは、多分、武力革命でしか手に入れられないと思われます。武力革命などすれば、国が疲弊することは避けられません。それは、別の意味で日本崩壊を招きます。
この本の元になっている「日本/権力構造の謎」は、1994年に発売されています。ベストセラーになったと解説してありましたので、きっと、多くの方が読んだのでしょう。でも、1994年から約20年経過した今、日本の現状は何も良くなっていません。いえ、大変悪くなっています。ベストセラーになるほどの発信力があったにも拘わらず、日本の根本的な構造は何も変化していませんし、その兆候も見当たりません。と言うことは、石田のように個人のブログで警告を発しても、力にはなり得ないということなのです。20年も経過したのに、ウォルフレン氏の助言を私達国民は何一つ取り入れなかったということなのですから、再版本が出版されたとしても、この先20年は何事も起きないということです。まして、弱小ブログでいくら警告を出しても、何の役にも立ちません。ただ、何十万、何百万という個人ブロガーが一斉に声を出せば、ベストセラーよりも力があると思いますが、そんなことは起きません。日本国民は、国の将来と自分の将来を見事に切り離して考える能力を有しています。自分の将来には関心がありますが、国の将来には無関心でいられる、という不思議な民族です。最後の最後は国民が責任を取ることになると知っていても、それを棚に上げる。その度胸はどこから生まれるのでしょう。私には理解不能です。
どう考えても、日本崩壊は不可避です。
その原因の一番奥には、私達国民の無知と無関心があります。私達だけではありません、私達の親の世代、そのまた親の世代、何代も何十代も、何百代も遡った日本国民の無知と無関心が大きな原因となっています。このことを、逆の立場から見てみると、日本の為政者は見事に民をコントロールしてきたと言えるでしょう。もちろん、日本の民は21世紀になっても、自分達がコントロールされていることに気付いていません。いいえ、気付かないふりをしていると言った方が適切でしょう。日本の権力構造や統治システムが、個々の国民の利益のために存在しているのではないことを多くの方が知っています。私達は無知を装うことで、現実から逃げているにすぎません。
国が崩壊する条件とは何なのでしょう。政治家や官僚や利権集団の強欲は必要条件ではありますが、それだけでは国が崩壊することはありません。彼等の強欲を認め、迎合し、従順に従い、何もしない国民の存在がなければ十分ではありません。この二つの条件が相乗効果を発揮しなければ、簡単に国など潰れることはできません。今、この国には、この必要十分条件が揃っています。
この国には、さらに、危険なことがあります。
財政破綻という視点だけではなく、この国の崩壊を予測する人は、ほんの少しですが、増えました。しかし、そういう方達の多くが、日本は再生すると信じています。原子力安全神話や国債安全神話には何の根拠もありません。ただの作り話を漠然と信仰してきただけです。日本が再生するというのも、同じように漠然とした神話です。その根拠は誰も示していません。神話では現実を構築できないのです。神話はどこまで行っても神話なのです。ところが、そのことに、誰も疑いの眼差しを向けることすらしません。なぜ、これほど多くの方達が、現状という土俵に縛りつけられている自分に気が付かないのでしょう。ほんの少し、視点をずらせば、誰にでも見える景色なのに、誰も見ようとはしません。日本再生神話がある限り、自分のことを心配する必要がないのです。全てが他人事だと思えるのです。無関心でいいと思ってしまうのです。

この本の読後感を一言で言えば「無力感」でした。ウォルフレン氏は「まだ諦めることはありません。ここと、ここと、ここを直せば、日本は立ち直れます」と書いています。でも、それをやるためには、1億人の日本人を強制的に洗脳しなければなりません。そんなこと、不可能です。他国の国民に「あなた達の国は崩壊しますよ」とは言えませんので、「希望はありますよ」と書くしかないのでしょう。でも、指摘された問題点を見る限り、彼が書いていることは、「崩壊しますよ」という意味です。それは言外の言でありますが、実際に崩壊するのですから、ウォルフレン氏が嘘を言っている訳ではありません。永く日本で生活していたようですから、日本人のことは知っている筈です。日本人の無知と無関心が突然なくなるなどとは考えていないでしょう。「残念でしたね。立ち直るチャンスはあったのですが」と言えばいいだけのことです。彼は、オランダ人で、現在はアムステルダム大学の名誉教授の職にあるようです。日本が崩壊しても、彼自身に甚大な被害は及びません。書籍の印税が入ってこなくなりますが、餓死するようなことはないものと思います。
ウォルフレン氏は、ベストセラーという大きなラッパを吹き鳴らしました。でも、日本人は何もしませんでした。では、日本人は何をしているのでしょう。そうです。「自分さえよければ」をやっているのです。そんな現実を見ている私の読後感が「無力感」になるのは、やむを得ないことだと思います。

願わくば、崩壊するまでに、国とは、国民とは、民主主義とは、に関して本気で国民的議論をやってもらいたいものです。そうでないと、この国が崩壊し、わずかな日本人が生き残ったとしても、なぜ、国が崩壊したのかが曖昧な場所に埋もれてしまいます。折角、大きな犠牲を払うのですから、生き残る人達にとって意味のある崩壊にしなくてはいけません。崩壊後は生き残ることに必死になりますから、議論などする時間はないと思います。
この議論は、150年前にしなければならない議論でした。60年前にもチャンスはありました。20年前にも議論になりませんでした。これが、最後のチャンスです。有識者と呼ばれる人達に微かではあっても誇りが残っているのであれば、政府の諮問会議に出て、権力者に媚を売ったり、儀式に参加してただ飯を食うだけではなく、国民的議論のリーダーになる責任があると思います。勿論、これはカネにはなりません。でも、誇りは取り戻せます。
民の不幸の上に成り立つ国は、少なくとも民主主義国家ではありません。ウォルフレン氏の言葉を借りれば「日本では民主主義は実現にいたらず、いまだ可能性のレベルに留まっている」そうです。民主主義を実現するためのシステムは、ついに出来ずじまいでした。

石田は、当初、この危機的な日本の状態を多くの人に知ってもらいたいと思って、評論という形で数多くの文章を書きました。でも、20年前に同じような警告が、ベストセラーとして登場していたことを知り、そのベストセラーでさえ何の役にも立たなかったことを考えると、私のやっていたことが単なるマスターベーションに過ぎなかったことを痛感させられました。この歪んだ国を見ているだけ。壊れる国を見ているだけ。
どうやって、子供達に謝ったらいいのでしょう。私達大人は自業自得ですから仕方がありませんが、子供達に責任はありません。
責任転嫁をしたいとは思いますが、私が国民の一人であることを、私自身が知っているのですから、逃れることができません。
明るい話を書けば騙しになりますし、暗い話を書いても解決はできません。
だったら、口を噤めば済むのでしょうか。
それは、卑怯ですよね。
どうしたら、いいのでしょう。


2012-01-10



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