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現状維持連合 [評論]



あるテレビ番組で、新聞各社の年頭の社説が提示され、民主党の藤井氏が「新聞にはサポートしていただいて感謝している」という発言をしていました。新聞は政府のやり方を批判しているのではなく、応援しているようなのです。実に不可解な発言でした。
野田政権が無理筋を押し通そうとしていて、国民は大きな違和感を持っていますが、これは、国民が間違っているのでしょうか。それとも、新聞社に何らかの事情があるということなのでしょうか。菅内閣不信任案の時に、新聞社とNHKが不思議な行動を取り、一部の方から批判が出たことは以前に書きました。
また、同じ事をやっているようです。
新聞社には、頭の良い方が大勢おられますので、あからさまなサポートをしているわけではありません。逃げ道はちゃんと作られています。しかし、増税路線の中心人物が応援してもらっていると感じているのは、少し変です。藤井氏、本音がポロリ。
また、産経新聞は、復興需要が終わった後では景気が落ち込み、増税などできなくなるのだから、なぜ、もっと早く増税しなかったのかと主張しています。新聞社の社員は高給取りですから、5%の増税など何とも思っていないと自慢したいのでしょうか。
新聞社が、なぜ、政府の提灯持ちのようなことをするのでしょうか。
こんなことをして、恥ずかしいとは思わないのでしょうか。
新聞が独裁政権の国営新聞のようになっていると批判する人は、まだ少数派です。善良な市民はまだ新聞がジャーナリズムに忠実だと信じているのです。
それでも、庶民を馬鹿にしてはいけません。
庶民の感覚は、古くから、なぜか正確無比なのです。この感覚というものは理屈抜きですから、本能に近いと言えます。言葉や宣伝や圧力、更には隠蔽や誤魔化しを超越した場所にある最強とも言える本能ですから、外れることがありません。
その庶民が腹の底で「何か変だ」と感じています。それは、多分、私だけではないと思っています。社会が正しく機能していない一因に、メディアの堕落は大きく貢献しています。そして、メディアの堕落は強欲に起因しています。強欲とジャーナリズムは、本来なら対極に位置するものですが、今は同じ場所でヌクヌクと安逸を貪っています。
正月早々、その断片を見せられたようで、大変不快な気分になりました。

皆さんは「現状維持連合」をご存知でしょうか。
ご存じではない。
すみません。知らなくて当然なんです。
それは、私が、今日、勝手に作った造語だからです。
それでも、誰も認知していないとしても、連合は存在すると思います。
組織もありませんし、その構成員が連合に加盟しているという意識も希薄だと思います。
しかし、日本を動かしているのは、この「現状維持連合」だと思います。
ごく簡単な定義をすれば、現状維持が自分の利益になると考えている人達を指し、何とか自分の利益を守りたい、と人間の誇りを捨て続けている集団のことを指しています。
その代表例が、新聞やテレビというメディアに籍を置く人達であり、政治家であり公務員です。メディアの平均年収は、ほぼ1000万円を超えています。政治家の収入は給料だけではありませんので明確ではありませんが、それでも1000万円は切らないでしょう。では、その連合の中で最も人数の多い公務員はどうでしょう。地方自治体の統計がありますので、それを参考にしてみますと、1810ある自治体の中で一番高い平均年収は三鷹市の889万円です。600万円以上の自治体が1390(76.8%)あり、500万円から600万円の自治体が406(22.4%)、500万円以下の自治体が14(0.8%)となっています。大雑把な言い方では、公務員の平均年収は600万円だと言われています。
これらの人達は構造改革をされたら、大変困ります。昔のように収入の上昇が望めないとしても、減少することだけは避けたいと思っても不思議ではありません。
一方、民間の給与水準がどうなっているかと言うと、平均であっても400万円以下です。その主流は300万だとも言われています。とても、不自然です。
彼等「現状維持連合」の年収は庶民感覚とは乖離しているのが現状です。
明確な「連合」という組織を形成しなくても、現状維持という目的は一緒なのです。
でも、これって、国が「ゆがんでいる」ということではないのですか。
欲のためならジャーナリズムでさえ捨てるのが人間です。ぬくぬくと生きているジャーナリストが苦しい生活を強いられている庶民の側に立てるのでしょうか。勝ち組のために働いた方が得になるのですから、真実の追求など「とんでもない」と考えているのも仕方がないのではありませんか。日本という国が抱える構造問題に切り込むことは、自分達の収入を否定することに繋がるのですから、そんなことはしません。寂しい話ですが、もし、新聞社の平均年収が300万円以下になれば、彼等はジャーナリストに戻れる筈です。
また、公務員が抵抗するのもごくごく自然な事なのです。彼等は、自分達、税金で生活している公務員が、税金を納めている国民より裕福であるのは不自然だということを知っているのです。知らない訳がありません。しかし、既得権益なのですから、できるだけ先延ばしにした方が得だと思っているだけなのです。いつかは、是正される日が来るでしょうが、一日でも先になる方がいいのです。ですから、公務員の場合は、話し合いなどで問題は解決しません。法律で変えるしか方法がないのです。
政治家は、特に民主党は、政権を取るまでは、結構本気で政治をやろうとしていたのです。そうでなければ、国の仕組みを変えるという発想にはなりません。ところが、現状維持連合のボスである官僚達から「あんた達のやっていることは、自分の首を絞めることになるんですよ」と囁かれ、急遽、反対方向へと走り出したのです。本物の議論をして、本当の問題点がどこにあるのかを国民に気付かれたら、現状維持が難しくなるのです。自分達も同じ穴の貉だということに気付いたのです。そうでなければ、これほど掌を返すような路線変更はできません。とても、不自然です。不自然だということは、そこに何か裏があるのです。それは、構造問題を隠そうとしているからなのです。
本来、ジャーナリストや政治家や公務員には使命があった筈です。使命を捨てて、自分の収入を守るだけの集団に堕ちた人達が動かす日本は、どこへ行こうとしているのでしょう。
使命を持たねばならない人達の代表選手である総理大臣が、まるで品格のない三流芝居のように「増税は、決して、決して、決して、決して諦めません」と高々と宣言する国に庶民の居場所はあるのでしょうか。体力の弱った国民という病人に寄生する虫共は、さらに病人から血を抜き取ろうとしているのです。その結末がどうなるのか、寄生虫は本当に理解できないのでしょうか。いや、彼等は自分達の既得権益を守ることに縛られてしまって、何も見えなくなっているのでしょう。
増税などやってはいけません。一番楽な方法ですから、一度やってしまうと泥沼に沈みこんでいくだけです。消費税の増税で、展望が開けると説明出来る人は誰もいないと確信していますし、消費税の増税で日本が救われるという話も聞いたことがありません。それでも増税するというのは、とても不自然です。それは、現状維持連合の既得権益のためなのですから、国民には説明ができないのです。国民にとって、増税はただの蟻地獄に過ぎません。とりあえずの10%は、次のとりあえずの15%に繋がり、際限なく続くことになります。それで、問題が解決するのならまだ価値はありますが、増税すれば日本の財政問題は更に深刻になるだけです。確かに、自虐行為は日本人の趣味ですが、決して褒められる趣味ではないことを知らねばなりません。
自ら絶望へと突き進む主人公は小説の中だけでいいのです。
苦しみもなく再生はできないのですから、同じ苦しむのであれば、将来展望のある方法を選ぶべきだと思います。
売り上げが半減した企業が従来通りの経営を続けられるでしょうか。商品群を特化し、不採算部門を切り捨て、徹底的なリストラをし、正社員の替わりに非正規社員を雇い、鼻血も出ないほどの合理化をしなければやっていけません。よく、企業と国とは違うのだという主張がありますが、それはただの逃げ口上に過ぎません。国民へのサービスが減るから出来ない、と自分達を正当化しようとする欺瞞に過ぎません。企業であれ、国であれ、家庭であれ、身の丈に合った生活をする以外に方法はないのです。それが、生き延びるということなのです。「現状維持連合」に所属する人達を除けば、国民の大多数が疲弊している今、日本は、40兆円で運営できる国にならざるをえないのです。1997年をピークにして、日本のGDPは一度も1997年の数字を超えていないのです。この先、再び右肩上がりの成長が始まると考える根拠はどこにもありません。
身の丈に合わせるということは簡単なことではありません。既得権益を無くすことになりますから抵抗は半端ではないでしょう。でも、他に生き残る方法を見つけられないのであれば、やるしかないのです。
よく、公務員の給料を下げれば、優秀な人材が集まらなくなるという言い訳があります。優秀な人材を集めた結果が現在の窮地なのですから、その論理には説得力がありません。優秀と言われた官僚達は、国を潰すほどの官僚利権を作り出しただけではありませんか。
極論ですが、公務員はボランティアでもいいのではないかとさえ思っています。それは、高齢者対策としても役に立つのではありませんか。確かに、高齢者は何をやるにも時間がかかるかもしれません。でも、それで国が潰れることはありません。老人にとっては、誰かのために死ぬまで働けるということは、幸せなことだと思います。皆さんの周囲を見てください。年寄りは大量に余っています。きっと、役に立つと思います。小学校の登下校の安全のために、動員されたお母さん方がいますが、表情は硬いです。でも、お年寄りは、とても喜んでいて、表情も晴れ晴れとしています。年寄りには、もっともっと出来ることがあります。生きる場所を提供してはいけないのですか。家の中に閉じ込めておいても、おじいさんはほとんど役に立っていません。役に立たないどころか、邪魔でさえあります。おじいさんだっていい気分ではないと思いますが、どうなのでしょう。おじいさんが毎日出かけてくれれば、おばあさんも喜んでくれるでしょう。家族がみんなでハッピーになれるだけではなく、国家運営の経費が助かります。元気に働きますので医療費も減ります。年寄りボランティアが普通の状態になれば、国民だって慣れるものです。

身の丈に合すことが一番自然だと思いますが、それのどこが間違っているのでしょう。
なぜ、現状維持をしなければならないのでしょう。
現状維持をするのではなく、実勢に合わせ、再出発をしなければなりません。
増税を持ち出すのは、100年早いのです。
我々は、現状維持が全てをゆがめていることに気がつかねばなりません。
何度も「不自然」だと書きましたが、不自然は時間とともに解消されるものではなく、さらに増幅することの方が多いと思います。それは、どんなことにも終わりが来ることで証明されてきました。栄枯盛衰という言葉は歴史の知恵だと思います。
国民が現状維持連合の存在に気付くだけで、日本はきっと変われます。

私が日本崩壊をブログで書き始めた頃、それを読んだ方は「こいつ、アホか」と思ったことでしょう。日本が壊れると感じたのは約10年前です。それをブログで書き始めたのが約2年前でした。数年前までは、日本国債は100年安心国債だと、漠然と信じられていたのですから驚きです。もっとも、日本国債が危険だと思っている人は増えたと言っても全体の5%ぐらいでしょう。まだ、大丈夫だと信じ切っている人が30%。よくわからない、と思っている人が65%ではないかと勝手に想像しています。でも、危険だと思う人は、0.1%から5%まで増えたのですから激増と言えるのではないでしょうか。ただ、日本崩壊の基本的な原因は「自分さえよければ」ですから、日本国債の危機はその一つの現象に過ぎません。
現在は、時事評論という形で、問題提起を心がけています。問題提起をすることを仕事としている人は大勢いますが、現状維持連合に所属しているので口を開きません。なぜ、何の力もない素人がこんなことをしているのかと、自分でも疑問に感じますが、これから先は、多くの方が問題提起をせざるを得ない局面を迎えることになります。しばらく問題提起の期間を経て、解決の方法を模索する段階になるものと思っています。それには、そこそこの時間が必要です。
ですから、いつもの心配は拭えません。残された時間はどれだけあるのかという心配です。


2012-01-12



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