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外交力 [評論]



今日は時事評論ではありません。
吉村昭氏の「ポーツマスの旗」を読んで感じた事です。
1905年(明治38)、日露戦争の講和条約の交渉役になった外務大臣小村寿太郎が主人公です。
吉村昭氏は、ノンフィクション作家だと思っています。勿論、歴史家ではなく作家ですからフィクションが介在するのは当たり前でしょう。しかし、可能なかぎり史実に忠実でありたいという作者の意図は感じられます。
小村寿太郎は、明治政府の中では異色な存在です。九州の小藩の、それも貧しい下級武士でした。薩長土肥という藩閥政治の中では、立派にアウトサイダーでしたし、その言動からも嫌われ者であり、異色な存在だったようです。
その小村寿太郎が日露講和条約を締結するための全権大使に任命されたのです。
私が注目したのは、外交力の貧しさを知っていた小村寿太郎です。
この部分は作者の想像の範囲なのか、小村寿太郎の日記等に書かれていたものかは定かではありませんが、日本の外交力の貧しさを嘆く場面があります。鎖国状態のために、外交経験が乏しく、相手の手練手管に何度も翻弄された経験があったことで、外交畑で活動してきた小村寿太郎のその感覚は現実的なものだったと推測できます。
小村寿太郎は、自分の腹一つで交渉に臨むしかないと覚悟していました。仲介役のアメリカ大統領ルーズベルトにさえ、全幅の信頼を寄せていませんでした。既に、日米開戦の予感すら抱いていました。当時の日本人で日米開戦を語る人はいなかったでしょう。

小村寿太郎は、日本の外交力の貧しさは経験不足によるものだと考えていました。
日露講和条約から100年以上経過した今の私達日本人の外交力は経験を積んで、その貧しさから逃れることができたのでしょうか。
私には、そうは思えません。
明治時代の人が経験不足だと感じたことは理解できます。でも、100年経った今、経験だけでは対処できないものがあると考える必要があります。現在の日本外交と明治時代の日本外交との差は、極めて小さなものに思えるのです。ですから、これは経験の問題ではなく日本民族の個性によるものではないかと思うのです。この先、100年経とうが、200年経とうが、日本の外交力が世界標準になることはないと思わなければなりません。
日本人は、ストイックで、ピュアで、善意に満ちた民族です。この事だけでも、世界標準にはなれません。そのことを我々は自覚することから始める必要があります。
日本の為政者達は、世界標準である欺瞞と強欲だけは取り入れましたが、どこまで行っても日本人であることからは逃れることはできません。他人の褌で相撲を取っているのですから、何事もうまくいきません。
ここは、冷静に自己分析をし、国家のシステムデザインを構築すべきなのではないでしょうか。このままでは、先人達の嘆く姿が見えるようで悲しいです。


2011-11-11



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