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変貌する夢 [日記]



若い人の意識が、あの震災で変化したという記事があります。
女性の結婚に対する意識にも変化があるという調査を見ました。
結婚すれば、経済的な問題、夫婦間のトラブル、更には、出産と育児という大仕事が待っている女性。
多くの女性が「この先、一人でも何とかやっていけるんじゃないか」と思っていましたが、自分が前提にしている現状というものが、あの震災の惨状を見て、実はそれほど確固たるものではないのかもしれないと感じたようです。
「もしかすると、一人では心細いかも」と。
御殿のようなお屋敷に住んで、ブランド品で飾り立て、遊びまくるという願望は遠い記憶になりそうです。年収1000万円以下の男は男ではないと思われていた時期もありました。しかし、「何か、違う」と思える事態が周辺で増えていた矢先に、あの震災と原発事故ですから、心配するのは当然かもしれません。ただ、彼女達はあの震災と原発事故が日本崩壊のプロローグになるかもしれない、ということは知りません。彼女達が子育てで一番忙しい時に、常識を覆すような地獄の時代が来るのです。折角、気持を切り替えたというのに、気の毒としか言えません。
考えてみれば、ほんの200年前の日本では、白米を年に数回しか食べることができない暮らしをしている人が大半でありました。日本の歴史の中では、20年前の日本人が特別な場所にいたのかもしれません。その異様な体験を今も引きずっているのが、利権集団の人々です。政治家の待遇、政党助成金、公務員の待遇、官僚の贅沢、マスメディアの高収入、東京電力の企業年金。利権を貪る豚が日本を毎日食い荒らしているのです。利権豚は肥え太り、庶民は日々痩せていきます。既に庶民の年収は300万円以下が主流なのです。
年収300万円以下の男性の既婚率は、300万円以上の男性の既婚率よりかなり低いそうです。今は年収300万円が大きな壁になっているようですが、この壁も破られるかもしれません。300万円以下の男性を結婚候補から外していると、結婚の可能性が遠のきますし、日本人の若い男性の年収は300万円以下が主流になるからです。
家族の意識はあまり変わらないと思います。どんな時代でも、庶民の願いは共通しています。家族が健康で、仲良く暮らすことです。その事が再認識されたのではないでしょうか。ごく普通の願いを持つ家族がこの先も増えるものと思います。ささやかで、ありきたりの願いかもしれませんが、多くの人がその普通の幸せの豊かさを知っています。それこそが庶民の願いなのです。
こういう人達を、日本人だからという理由だけで、地獄に突き落としてもいいのでしようか。許せませんよね。あまりにも理不尽だと思いますよね。でも、現実はそうなろうとしているのです。だから、ささやかな家族の幸せを守るために、庶民も声を出さなければならないのです。家族の笑顔のために。
これは、他人事ではありません。私達一人一人の現実的な問題なのです。

前回は日本崩壊の実像に迫りました。
素人の想像ですからどこまで迫れたのか自信はありません。
でも、素人ですからどんなことでも想像できます。
今日は、日本崩壊で失われる夢を想像したいと思います。

皆さんは、この日本の中にどれだけの夢があると思いますか。
私は、1億2000万の夢があると思っています。
まだ、言葉は知りませんので喋りませんが、0歳児にも夢はあり、100歳のお年寄りにも夢はあるんじゃないかと思うのです。
他人が見れば「それ、夢 ? 」というものもあるでしょうが、本人にとって、それが夢なら立派に夢だと思うのです。
好きな人と結婚したいと夢見ます。
できれば、いい母親になってみたいと夢見ます。
若い駆け出しのデザイナーの卵が、自分のデザインが採用されることを夢見ます。
料理好きの奥さんが、食品メーカーのレシピコンテストで入賞したいと夢見ます。
小説が好きな少女が、新人賞に応募したいと夢見ます。
野球少年が、今年こそはレギュラーになりたいと夢見ます。
踊りの好きな子供が、コンテストで優勝したいと夢見ます。
地区大会でベスト4になったこともない高校球児が、甲子園に行きたいと夢見ます。
少年スイマーが、あと1秒タイムを縮めたいと夢見ます。
成績の悪い子供が、せめてビリだけは逃れたいと夢見ます。
生まれたての子供が、粉ミルクではなく母乳を飲みたいと夢見ます。
100歳のお年寄りが、眠るように死にたいと夢見ます。
そして、6000万人の人が、夢を叶えるために自分の人生を賭けて精一杯の努力をしています。4000万人の人が、無理のない程度で頑張っています。残りの2000万人の人達も、頑張らなくて夢が叶ったら、少しは笑顔を見せてやってもいいなと思っています。

この、多くの夢が、日本崩壊で全て失われてしまいます。
特に、子供達の健気な努力を、否定することになるのです。
大人たちは、逃げるだけで、責任を感じなくてもいい時代なのでしょうか。

今日までの努力が、この先、報われることはありません。
もう、二度と同じ夢を見ることもできません。
何故なら、別の夢を持たなければならないからです。
何か食べたい。
もっと、食べたい。
死ぬほど、食べてみたい。
1億2000万の夢が、食べることに集中します。
昔の夢は、儚い夢よりも形のない思い出として埋もれ、消えて行きます。
ひもじさは、全ての夢を食い潰してしまうのです。
日本崩壊は、日本人が集団で1000年も2000年もタイムスリップをするようなものです。
年老いた両親が餓死する様を見送り、子供が飢えに泣きながら死んでいくのを助けることができず、生き残る友人・知人がいなくなり、地域から人の姿が消えていきます。火葬も土葬もできずに放置された死体が日本中に満ち溢れ、死臭に満ちた街で、人間は何を想うのでしょう。ほんの10年前には世界第3位の経済大国だった、かつての日本の姿を想いうかべるのでしょうか。それとも、崩壊を止められなかった自分を責めているのでしょうか。
不条理の海の中で自分の命を絶つのでしょうか。

それでも、人間は生きたいと思うものです。
運よく生き残った人達は、協力して田に水を引き、畑を育て、永続的な食料の確保を目指す日が来るでしょう。新しい夢が生まれるかもしれません。
でも、苦しさの中で力尽きる人もいます。
ひもじさに耐え、収穫を迎えた作物を、力で奪いに来る人間もいます。
そんな強盗団に殺される人もいます。
台風で全ての作物が流されることもあります。
天候不順で作物が育たない年もあります。
インフルエンザが流行し、コレラが発生し、仲間が大勢死ぬかもしれません。
放射能の影響で、人間の寿命が40年に縮まるかもしれません。
それでも、人は生きようとします。
生き残ることが、夢になる時代です。
楽観論ですが。
日本人は、放射能に耐性を持った人間になることができるかもしれません。
そして、1000年ほど経てば、全く別の新しい日本が生まれるかもしれません。
悲観論ならば。
日本人は絶滅するかもしれません。

これは、確かに空想の世界です。
でも、否定することもできません。
日本が壊れた後で、人は生きることに必死で立ち向かえる力を持っているのです。
だったら、今、日本を壊さない努力だってできるのではないでしょうか。
日本の現状を認め、価値観を変えるだけでいいのです。
そうすれば、子供や孫や、その孫も自分の夢に挑戦することができるのです。
飢えに苦しみ、餓死する必要もないのです。
国民が声をあげれば、できることなのです。
いや、日本崩壊を止める方法は、それ以外にはないのです。
長期金利がいつ急騰するのかは、誰にもわかりません。
それは、明日かもしれないのです。
手遅れになる前に、大きな声を出さなければなりません。
利権集団の手先になっている新聞やテレビのまやかし報道に騙されてはいけません。
私達庶民は、彼等利権集団と立場が全く違うのです。
ほんの数パーセントの人達の利益を守るために、我々は犠牲になろうとしているのです。
彼等は、自分達は選民だと思い込んでいますが、実際には強欲に取りつかれた金食い豚に過ぎないのです。
そんな卑劣な人間に利用されてはいけません。
私達には守らなければならない、もっと、もっと大切なものがあります。
子供達の夢を守りましょうよ。
もう、残された時間は僅かしかありません。

余談です。
先日、福島原発の放射性物質が、この先数十年間あの場所で放射線を出し続けることになるという放送がありました。福島県と県民は長期間放射線と共に生きて行かなければなりません。少し厳しい言い方になりますが、運が悪かったと諦めるしかないのではないかと思います。騙した国も悪いのですが、騙された県も悪いと思います。福島県は天下国家のことを考えて原発を受け入れはわけではありません。補助金と税収と雇用が欲しくて原発を受け入れたのです。そのツケは払わなければなりません。住民にとってはいい迷惑だと思いますが、県の行動を阻止しなかった住民も、結果責任は取らざるをえません。
これも、日本崩壊と同じ構図のように見えます。
この結末を予測した人はどこかにいたと思います。しかし、誰も聞く耳を持たなかった。そんなことはよくあることです。

最後に。
一つだけ、本当の事を言わせてください。
日本を壊そうとしているのは政治家と官僚で、その被害者が国民。
多くの人が納得する論理に見えますが、本当にそうでしょうか。
被害者に見える国民には、何の責任もないのでしょうか。
私には、そうは見えません。
国民には、何もしない、損もしたくないという「ずるい」考えはないのでしょうか。
誰かが、何とかしてくれる。
ずっと、そう思ってきましたし、今でもそう思っています。
日本は、まだ封建時代から抜け切れていないように思えて仕方がないのです。
国民主権も、自由も平等も、私達日本人には他人事なのではないかと思うのです。
もっとも、日本にある主権も自由も平等も偽物ですから、他人事だと思っても別に不思議ではないのですが、偽物であることを知らないことは問題です。
主権も自由も平等も、勝ちとらねばならないものであると言われるのは、それらには守らねばならない価値があると認識するためだと思うのです。苦労して手に入れたものなら、失いたくないと思うのが人情ですから。
自分は何もしないけど、何とか、そこそこ、うまくいけばいいなと思っている国民と、政治家や官僚の強欲の間にある隙間は、それほど離れているようには思えません。
政治家や官僚に、理想を求めてみても意味があるとも思えません。
国民が意識を変革しなければ、何も変わらない。
価値観を変える必要があると何度も書きましたが、それは、多分、国民が自分の価値観を変える事なのだと思います。
大変、残念ですが、その兆しは日本の中にありません。
これが、致命傷です。
日本人はいつも傍観者であり、一度も当事者になったことがありません。
日本が崩壊し、地獄で苦しむことになっても、国民は自分で選んだことではないと文句を言うでしょう。自分達は純粋な被害者だと訴えるでしょう。
いいえ。それは違います。
日本崩壊は国民の積極的な意志ではありませんが、たとえ消極的な意志であっても責任は取らされるものなのです。
ところが、その事も、国民は承知しているようです。
いや、わかっていると思い込んでいるようです。
どうやら、日本崩壊は、私達が通らなければならない道のようです。
救いなど、どこにも見当たりません。
「日本が壊れますよ」
「だから、なに」
「すみません」


2011-6-26



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