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苦痛・後悔・絶望 [日記]



最初に余談です。
社会保障と税の一体改革と称して、政府は社会保障の削減と増税を実現しようとしていますが、菅さんは「効率3本柱」というキャッチフレーズを「支え合い3本柱」と言い換えるように指示しました。効率という言葉では社会保障の削減がバレバレになるからという理由だそうです。官僚は「何が言いたいのか、よくわからない」と言っているそうです。騙しのプロから見れば、菅さんの指示は稚拙に見えたのでしょう。菅さんにしてみれば、官僚の真似をしたのだから褒めてもらえるとでも思ったのでしょうか。
現在の国家運営は、いかに国民を騙すかという手法が主流になっています。震災対応や原発事故についても、同じ事が行われています。
このように、騙しの構図に頼らなければ物事が前に進まないのは、どこかに本来あってはならないものが存在しているからです。巨額の利権を棚上げにして政策を進めようとすれば、無理が生じるのは当然の結果であります。
でも、大丈夫ですよ、菅さん。こんなミエミエのやり方でも、国民はコロッと騙しに引っかかってくれます。何といっても、私達は日本国民ですから。
それにしても、こんな茶番劇をいつまで続けるのですか。

もう一つの内閣不信任決議案という茶番劇では、宇宙人はどこまでも宇宙人なんだと納得してしまいました。やっぱり鳩山さんは政治家を辞めるべきでしょう。
一方、形振りに構わない菅さんの執念は、ここまでくると言葉すら失います。
でも、それは、それで、凄い。
極悪人だった小沢さんが、いい人に見えてくるのも、困ったものです。
茶番劇の欠点は、周囲の人だけてなく、観客の人にも本質が見えなくなることです。今は、政治家が表舞台で悪役を演じていますが、テレビにとっては「おいしいネタ」ですから権力闘争の場面を流し続けます。でも、その裏で官僚達の計画は着々と進んでいます。
「お上」と呼ばれる政治家と官僚に共通するもの、それは自分自身の利益であり、決して国民や被災者のことではありません。
菅さんは自分さえ総理の椅子を手放さなくて済めば、他のことはどうなっても構いません。立法府の議員という意識もありません。だって、この先、菅さんには法案を通す力はないのです。野党が世論を恐れて、賛成せざるを得ない法案だけが成立する状況は政権与党が存在しない事と等しいのです。それでも、総理の椅子は放しません。
菅さんを弁護するつもりはありませんが、「自分さえ」をやっているのは菅さんだけではありません。皆がやってるから、菅さんもやってるのです。最後に勝つのは、底力をもっている官僚達です。彼等は黒子に徹していますが、「自分さえ」の世界では図抜けたスーパーヒーローなのです。馬鹿な政治家が大活躍している今は、こんなこと言っても説得力がありませんが、本物の「悪」は見えない場所にいるのです。国民が、このことに気付くまでには、まだまだ長い時間が必要なのだと思います。
魑魅魍魎だけが跋扈する今の日本が、このままで存続できると信じる方が変です。
既に、日本は壊れ始めているのです。黒幕が誰か、までは気付けなくても、現実は見えているでしょうに、どうして、国民には見えないのか、不思議でなりません。
この先、政界がどのように動いても根底にある「自分さえ」が消滅することはありません。
どんな組織でも、活性化の努力をやめたり、目的を見失ったり、不純物の淘汰を怠ったりすれば、その組織の目的に合致しない組織になってしまいます。国という組織でも同じ事です。国としてあり続ける条件を放棄した国に未来はないのです。

今日も、敢えて、メディアと財政の話題です。
日本の世論に大きな影響力を持っているのは、テレビと新聞です。この二大メディアは、現在ほぼ仮死状態にありますので、国民の役には立ちません。いっそのこと、お亡くなりになってくれれば、偽情報を流す害も無くなり、真実を隠蔽する行為も無くなりますので、国民の将来に少しは光が見えるかもしれません。
メディアとしてのネットは、まだ過渡期ですから、ネットから発信された情報が国民世論に影響を与える力はごく小さなものに過ぎません。それは、テレビ局が行う街頭インタビューによく現れています。市民は二大メディアが流した紐付き情報を、平然として自分の考えだと錯覚して答えている状況があり、自分達が操作されている事にも気付いていません。今回の菅さん辞任の茶番劇でも、メディアの恣意的なミスリードが日本を歪めています。最新の世論調査では菅さんの支持率は上昇しましたし、悪いのは小沢一派だと9割近い人が信じています。某新聞社は日本崩壊の主役を演じるつもりなのでしょうか。国民も、そろそろ気付かなければ駄目でしょう。
では、ネットには何の期待もできないのか。いえ、時間はかかりますが、将来的には大きな影響力を持つことになります。ただ、ネットが影響力を手にする頃には、当然の事ですが、「お上」の手の中に握られていますので、国民にとっては現在の二大メディアと同じ事になります。国民が真実を知る方法は、未熟なメディアから、自分の力で真実を見つけることしかありません。現在、ネット上の情報でも、明らかに「お上」の手先だと思われる記事は驚くほど沢山あります。結局、国民が自ら選別眼を持たなければ、騙し続けられる状態からは脱することができないのです。
私の選別眼が正しいかどうか。それは、誰も保証してはくれません。ですから、多くの意見の中の一つの意見だと思ってください。
ネットでは、日本の財政危機に警鐘を鳴らす記事が大変増えました。
今日、引用させてもらう記事も、ネット版ウォールストリートジャーナル紙のものです。

現職の白川日銀総裁が、日本の財政危機に警鐘を鳴らしています。
既に、日本の財政赤字は限界を超えているのに、国債が消化されていることで、何の問題もないという見方は危険である、と氏は言います。
白川氏は、財政破綻は突然やってくる、と警告します。それを、氏は非連続的変化と呼んでいます。株価チャートを見たことがある方ならおわかりでしょうが、非連続的変化とは「暴騰」や「暴落」の状況を言っています。
予告もなく、ある日、突然、長期金利が暴騰する日がありうるということです。
国の中央銀行にあたる日本銀行のトップが発言しているのです。いろいろな立場の人に配慮しながら発言せざるをえない白川氏でも、日本の財政危機について警告を発せざるをえない状況にあるということは怖い事です。氏の発言は、非連続的変化という言葉等を使用しているので、わかりにくく、ある意味で文語体になっていますので、口語体に変換すれば「日本は崩壊しますよ」という意味です。ただし、白川氏は日銀総裁という立場にいますので、日銀にとって利益になるように発言していると思います。そこに注意する必要はありますが、非常に危険な状態にあることだけは間違いなさそうです。
明白な警告を出しているのは白川氏だけではありません。S&Pが日本の格付けを下げると警告した後、ムーディーズも格下げの警告を出し、フィッチも格下げの警告を出しました。世界の格付け会社が同じ結果を出し、IMFも警告を出しているのです。
これらの警告に反応していないのは、日本政府と日本国民だけです。財務大臣は「いちいちコメントはしない」とつれない返答しかしてくれません。特に、国民のこの無反応は異常です。日本政府は、意図的に反応したくないと思っているのでしょうが、国民は完全に思考停止状態になっているものと思われます。歴史上、これは、いつか見た光景です。世論操作で洗脳され、日本帝国陸軍の暴走に立ち竦んだまま国を滅ぼした日本の姿です。今は、利権集団が日本の富を私物化し、経済的に日本を滅ぼそうとしています。崩壊の形に違いはありますが、結果的には同じ事になるでしょう。
唯一、反応しているのは官僚です。しかし、彼等の反応は自己防衛の反応ですから、国民の利益とは相容れないものです。彼等は、給付の削減と増税しか考えていません。
日銀総裁の発言内容など、庶民の目にはとまりません。たとえ、目にとまっても「何が言いたいんや」で終わりでしょう。
どうやら、財政破綻のXデーは、それほど遠くはないのかもしれません。奈良の田舎から見ていても、財務官僚の慌て方には変化が出て来たように見えますし、金融の専門家である日銀総裁が、長期金利の暴騰に言及せざるをえない状況も異常です。財政問題に警鐘を鳴らす記事が増え、格付け会社が警告を出し、官僚はゴリ押しをしてでも増税をしようとしています。いろいろなものが、ある一点に収斂していく時は何かが起きる前兆と言えます。さあ、消費税増税で、いつまで先延ばしができるのでしょうか。
財政破綻の危機は、我々のすぐ傍にあるのです。長期金利の上昇とインフレの危険については何度も書きました。石田の日記を読んでくれた方ならご存知でしょうが、それは、地獄の扉を開けることになるのです。そうなれば、もう、人間の力でその流れを止めることはできません。行き着く所まで行くことになります。それが、日本崩壊であり、その結果は1億2000万人もの犠牲者を生みだしてしまう地獄に転落することになるのです。
要職にある人や、専門家は危険の警告をしますが、その仕事柄、日本崩壊には言及しません。それは、職を失う危険があるからです。専門家は、長期金利の暴騰とハイパーインフレが招く惨状は知っています。日本が崩壊することはわかっているのです。

この時期に、こんなことを書くと叱られるかもしれませんが、敢えて書かねばなりません。
第二次世界大戦の死者は、約300万人でした。関東大震災の犠牲者は約10万人と言われています。阪神淡路大震災の犠牲者は1万人弱でした。今度の東日本大震災の犠牲者は、確定していませんが約2万5千人と言われています。
しかし、日本崩壊の犠牲者は、私の勝手な推測ですが、1億2000万人になると思うのです。全く桁外れの犠牲者が出るのです。例え、被害予測を9割削減したとしても、1千200万人の犠牲者です。
今回の津波で命拾いをした人達までもが、日本崩壊で犠牲になるのです。これは、酷いと思いませんか。

「1億2000万人の犠牲者」と簡単に言葉にしていますが、だからと言って、我々は簡単に死ねるわけではありません。苦痛と後悔と絶望の中での死ですから、体験のない我々の想像力では追いつかないものがあると思わねばなりません。
こんな時は、言葉を無力だと感じます。あの東北の瓦礫の山の迫力には届きません。
たとえば、日本が崩壊したその時は、痛み止めの薬は既に製造されていませんから、肉体的な苦痛の中で、もがきながら、死なねばなりません。
犠牲者の大半は餓死ですから、死ぬまでに時間がかかります。
後悔と絶望の中で、心を切り刻まれて、死なねばなりません。
追いつめられた私達は。
苦痛や後悔や絶望より、死の方が遥かに人間に優しい存在だと感じることでしょう。
この優しさも、死がもたらす優しさでも、幸せと呼ぶのでしょうか。
これほど悲しい幸せでも、喜ばなければならないのでしょうか。
私なら、死に感謝すると思います。これで、やっと死ねる、と思うでしょう。
何故、新しい価値観を生み出すために、こんな辛い道を通らねばならないのでしょうか。
これで、本当に、いいのでしょうか。
これまでの価値観を否定するため。
それだけのために。
人間は、これほどの犠牲を払わなければ、何も変えることはできないのでしょうか。
いや、たとえ、新しい価値観を見出したとしても、それが日本再生に結びつかなかった時は、苦痛や後悔や絶望だけが宙をさ迷うことになりませんか。それこそが、本物の地獄ですが、それで割り切れるのでしょうか。

歴史を振り返ってみると、苦痛や後悔や絶望に満ちた世界で、人類は宗教という虚構を生みだしました。たとえ、虚構であっても、少しでも心安らかに死ねるのであれば、宗教は人間にとって不可欠のものになります。
きっと、宗教以外に頼れるもののない世界になるのでしょう。
そんな日本崩壊は、正しい事なのでしょうか。
私には、わかりません。

ある世論調査の結果では、増税容認派は半数あり。電気料金値上げ容認派は63%もの多数意見になります。国民は、将来が今の延長線上にあると信じているのです。利権集団に属している一般メディアの世論操作の結果とは言え、余りにも無知が過ぎます。国民は、苦痛と後悔と絶望の世界が来る事を知らないのです。日本崩壊の最大の原因は、国民が無知の状態に押し込められていることなのです。
ですから。
我々には日本崩壊へと歩を進めるしか選択肢はありません。それは、現状から新しい価値観が生まれることはないからです。国民が目覚めることもないからです。

先日、あるテレビ番組でコメンテーターが、司会者の「日本の政治不在の現状に対して、どうすればいいと思いますか」という問いに「街へ繰り出すことでしょう。アフリカのように」と答えていました。どこかの大学の先生ですが、テレビ局はコメンテーターとしてのオファーを出しにくくなったことでしょう。革命しかないというコメンテーターは局にとって危険です。平均年収が1500万円のテレビ業界にとって、現状を否定することは自分自身を否定することになります。国民の5倍もの収入を得ている彼等が、自分達を守ることを第一義にすることは仕方のないことでしょう。そうやって、メディアには現状維持派が溢れることになったのです。そんな彼等が国民に真実を伝えることはありません。
もっとも、今、日本の行き着く先を伝えれば、間違いなくパニックが起きます。その責任を取る覚悟をメディアが持っているとは思えません。メディアに属している人達の中にも、日本の未来が危険に満ちたものであることを知っている人は多くいることでしょう。しかし、何もできません。彼等は自分達が加害者側に立っている事を知っているからです。

我々は、八方塞の場所にいるのです。出口がありません。

我々が過去の価値観として否定しなくてはならないのは、多分、官僚に代表される利権集団の強欲ではないかと思います。それらの利権は国家の存続を左右するほどに膨れ上がってしまいました。その利権を断ち切るには、官僚組織を解体しなければなりません。
では、官僚抜きで、どうやって行政を運営するのだという疑問が出てきます。官僚は自分達の強みはそこにあると考えているでしょう。だったら、あるべき行政の姿を変えてしまえばいいのです。今の行政の姿が絶対のものではありません。
極論ですが、私は国民のボランティアでいいと思っています。そういう意味での国民負担は、負わねばならないと思います。現在の官僚組織を残したままでの新しい出発はありえないと思います。
日本が崩壊した後では官僚組織は後形も無く消えていますので、新しい価値観の形成が可能になります。極論すれば、官僚組織を消滅させるための日本崩壊とも言えます。
こんな下らない事のために、大勢の人が地獄で苦しむことになるのです。
それだけではなく、日本崩壊が何の意味も持てなかった時は、どうなるのでしょう。
仕方がない、で済むのでしょうか。
私は、どうしても、納得できないのです。
私は、家族を、友人を、地域の人を、できれば多くの同胞を地獄に送りたくない、と思います。これは、傲慢な考え方でしょうが、そう思ってしまいます。
何もできないことは、わかっていますが、その気持ちに変わりはありません。
でも、やはり、よくわかりません。


2011-6-4



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