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弱き者よ - 1 [弱き者よ]




神よ
答えよ
弱き心を持つ男に
強き肉体を与え
強き心を持つ女に
その力を与えなかったのは
なぜ
支配と隷従を放置し
世界を混沌とさせたのは
なぜ
今、世界が崩壊へと走っている
そのことが予測できなかった訳ではあるまい
それとも
人類が今日まで生き延びたことが奇跡だと言うのか
苦しみから至福が生まれると
本気で信じたのか
答えよ
神よ











1

電車が到着したようだ。駅から出てくる人が多かった。待合室に人影があるのは、到着した電車が下り電車だったのだろう。駅舎の中に入り、空いているベンチを捜した。売店のおばさんが真衣を見た。いつもはチラッとしか見ないが、真衣の様子に目を止めている。おばさんと友達になっているのは妹の真樹で、真衣はおばさんと話をしたことがない。おばさんの目が、「妹は」と言っていた。真衣は売店から目を逸らして離れた場所に座った。教科書を取り出して読み始める。なんの心配もない生活がどんなものだったのか、今では思い出せない。しかも、今日は妹と喧嘩をして、気持ちはさらに沈んでいた。教科書の文字を見ていると、文字が日本語に見えなくなってくる。やはり、真樹のことが気になった。でも、もう万引きはしたくなかった。真樹は「あんぱんが食べたい」と言って駄々をこねた。昔、真衣は一度だけあんぱんを万引きしたことがある。心臓が飛び出してくるのではないか、と思うほどの恐怖を味わった。だから、もうしない。真樹は学校の給食を食べているのだから我慢しなさいと叱った。真樹は、「おねえちゃんのケチ」と叫んで走って行ってしまった。姉妹にとって、何よりも辛いのは空腹だった。毎日のことだが、今も真衣は空腹の痛みを感じている。空腹に慣れることがないのは、なぜなのだろう。母が勤めに行くのが四時で、父親が飲みつぶれて眠るのが七時。それより早く帰っても碌なことはない。七時過ぎに、そっと家に入り、味噌汁を作ってご飯にかけて食べるのが真衣と真樹の夕食だった。お米や味噌がない時もある。母の稼ぎの大部分は父の酒代になってしまうからだ。母は二年前まではスーパーに勤めていたが、父が何度も勤務先に前借りに行き、母は首になった。仕方なく、母は電車に乗って繁華街の酒場に勤めるようになった。ホステスになって給料が増えた分、父の酒量が増えたので子供たちの空腹は未だに解決していない。中学生と小学生の二人の姉妹にできることは何もなかった。
真樹のことが心配になり、真衣は六時に駅を出た。真衣の家は田畑が広がる、文字通り町外れにあった。歩を進める度にどんどん気持ちが重くなっていく。
消防車が鐘を鳴らしながら真衣を追い抜いて行った。
なぜか、真衣は胸騒ぎを感じて、小走りになっていた。二台目の消防車が真衣を抜き去って行った。
材木工場の塀が終わると、目の前に火があった。闇の中で炎が踊っている。
「真樹」
真衣は全速力で走った。家の前の空き地に座り込んでいる女がいる。こんな時間に母がいるはずがないのに、その背中は母の背中だった。
「母さん」
「真衣」
「・・・」
「真樹は」
「・・・」
母の顔が変わった。
「一緒じゃなかったの」
「まさか」
「あああああ」
母が火に向かって走り出した。
「危ないですから。下がってください」
消防隊員が大声を出した。
「子供が」
「奥さん」
「どいて。あの子を巻き込むわけにはいかないの。どいて」
「だめです。奥さん」
消防隊員が両手を広げて立ちふさがったが、母は消防隊員を突き飛ばして走った。
「清水。止めろ」
ホースを用意していた別の隊員が振り返って、突進してきた母を抱きとめた。
「行かせて。子供が」
「無理です」
二人が揉み合って、地面に打ち付けられた。隊員は立ち上がったが母は倒れたままだった。
「奥さん」
母の体は反応していない。
「救急」
待機していた救急隊員が走り寄った。まだ放水は始まっていない。家の中で何かが小さく爆発する音がした。
真衣は火の熱さと恐怖で、その場に座り込んだ。
「成沢さん」
「先生」
「真樹ちゃんは」
真樹の担任をしてくれている片岡先生が真衣の横に身をかがめて見ていた。真衣は首を横に振った。
「下がってください」
消防隊員の声は命令だった。
真衣は火の粉の真っただ中にいた。
「真衣さん」
片岡先生に腕を取られたが、立ち上がれなかった。体の自由がきかない。先生に引きずられて空き地を離れた。担架に乗せられた母が救急車に運ばれて行くのが見えた。真衣の頭の中は真樹のことで一杯だった。「どうか、家に戻っていませんように」と祈る気持ちだったが、真樹には他に行くところがないこともわかっている。真衣は既に、母が火をつけたことを確信していた。「どうして、気がつかなかったのか」と母を責める気持ちがあるが、自分のせいだということもわかっていた。こんなことだったら、万引きをしてでも強盗をしてでもパンを食べさせてやればよかった。
真衣は茫然と消火活動を見ていた。時間の感覚はなくなっている。目の前の出来事は現実ではないように感じている。それは、まるでプールの底に沈んだままで景色を見ているような感覚だった。
放水が始まると、火はあっけなく消えた。農協が仮の倉庫として使っていた建物を改造して住んでいたので、太い柱も分厚い壁もない。家財道具も最小限の物しかなかった。
少し離れた場所で先生と消防隊員が話していた。
「真樹ちゃんとお父さんみたい」
真衣は縋るような眼で先生を見た。嘘だと言って欲しい。
「先生も残念だわ」
その時、真衣は大きくて重い十字架を背負った。妹の死は取り返しのつかない重罪だった。
小学二年生の時に、父が会社を辞め、この町にやってきた。母の話では流行のリストラによるものだったようだ。明るくて元気だった父は酒に逃げた。家に酒がなくなると、暴れるようになり、家庭は崩壊した。三人で逃げようと母に相談したが、母は寂しそうに笑うだけ。「いつか、昔のお父さんに戻ってくれる」と母は信じたかったのだろう。妹の真樹が物心ついた時は飲んだくれの父親になっていたので、父親とはそんなものだと思っているところがあり、一人だけ明るい性格の子供でいられたし、それが救いでもあった。姉妹が別々の行動をとることなど、年に一度あるかどうか。それほど二人の間は密着していた。そのことが母を安心させていたようで、母からありがとうと言われたことがある。最低最悪ではあったが、見せかけの安定だけはあった。他の人から見れば、そんな状態を安定とは言わないのだろうが、ないよりはあった方がいい。今は、その最低最悪の安定すら失くしてしまったのだと思う。転びながら、這いずりまわりながら中学一年になったことに何の意味があるのだろう。
真衣は周りを見た。見知らぬ風景の見知らぬ町の見知らぬ道路にしゃがみ込んでいる自分。妹の世話をすることで、自分自身を保つことができていたことは漠然と知っていた。いや、妹を失ったことで気づいたのかもしれない。
「お母さんのいる病院に行こう」
先生がしゃがみ込んで真衣の顔を見た。
真衣は首を横に振った。父と妹を失くし、共犯者になった母をも失くした。母とは会いたくなかった。真衣は首を横に振って立ち上がった。
宙を歩いているような不安定を感じながら、歩き始めた。
「どこに、行くの」
「大丈夫です。友達の家に泊めてもらいます」
真衣に友達と言える人間はいない。同級生が真衣をはじき出していたわけではなく真衣が拒絶していたせいで友達はできなかった。友達同士でお互いの家を訪問している話は聞いたことがあるが、真衣は誰かの家に遊びに行ったことがない。それは、友達を家に呼ぶことができない現実があったから。小学校の頃は給食費も払えない時が多く、積立など払ったことがない。先生は何とかするからと言ったけど、修学旅行へは行かなかった。たとえ小学生でも世間づきあいはあるのに、貧乏人にはそれができない。母が火をつけることも認める。父が死ぬことも仕方がない。でも、真樹を巻き添えにした母と自分は許せなかった。その日暮らしで、未来に何の光もない毎日だったが、妹の明るさだけが生きる糧だったことに気付いた。自分には真っ暗な闇しか残されていない。
駅舎が見えてきたが、真衣は道を右に曲がった。次第に人家が少なくなり、両側が畑になった。遠くで踏切の警報が鳴っている。時たま、車が行きかった。
真衣は暗い農道に入り込んだ。この辺は田圃が多く、今は作物のない季節だった。暗闇の中を、足元だけを見て進んだ。
真衣は足を止めた。真樹の声が聞こえたように思い、暗闇の中を見つめた。
この農道は、昔、線路の土手に生えているつくしを取りに真樹と二人で来たことがある。
暗闇の中に、見覚えのある小さな小屋がうっすらと見えてきた。風が強くなってきたようだが、寒さは感じていない。足を前に出していることにも意識はないし、靴の下にある地面の感触もなかった。
小さな物置小屋の横に腰を下ろした。土手を駆け上がれば線路がある。真衣は耳を澄まして音に集中した。
時間の経過はわからないが、遠くで電車の音がしている。真衣は鞄を置いて立ち上がり、両手を地面について土手を登った。電車の音がはっきりと聞こえる。上り電車の明かりが見えていた。
真衣は獲物を前にしたライオンのように、地面に伏せた。電車の音も風の音も聞こえなくなった。近づいてくる電車のライトだけを追った。
体が自然と起き上がり、足が前に出た。電車は運転手が真衣の姿に気づいても、もうブレーキは間に合わない距離に来ていた。線路まで行けば、全ては終わる。
だが、左足が動かないことに気付いた。それまで消えていたあらゆる音が戻ってきた。
「真衣さん」
誰かが自分の名前を大声で呼んでいる。真衣は自分の足を振り返った。片岡先生が真衣の足を両手で掴んで叫んでいる。どうして、先生がここにいるのか。足を引き抜こうと力を入れたが動かない。電車が間近に来ていて、大きな警笛を鳴らした。
電車が轟音とともに目の前を通る。風が吹き荒れた。
真衣の体から力が抜けて行った。電車が逃げるように遠ざかっていく。
真衣は地面に倒され、先生がのしかかってきた。はがい締めにされて、息が苦しかったがどうでもよかった。周囲が静かになり、先生の粗い息遣いだけが聞こえる。
押し付けられていた力が消え、体を起こされ、先生が正面から抱きついてきた。先生の体が震えている。そして、先生は泣いていた。

片岡孝子は薬局の一人娘だが、結婚もせずに小学校の教師をやっている。店は孝子の母と昔から来てくれている薬剤師の安藤さんがやってくれていた。スーパーにも薬局があり、専門店も進出してきているので、昔ながらの薬局は時流に遅れてはいたが、今のところ商売は成り立っていた。店の裏手にある駐車場に入り、エンジンを切った。助手席にいる成沢真衣は一言も口をきかずに下を向いたままだった。
「着いたわよ」
孝子は車を降りて助手席へ廻り、ドアを開けた。
「降りて」
真衣は素直に降りてきた。本当に諦めてくれたのかどうか。自信は持てないが、今は見守る以外に方法はない。中学一年といえば、まだほんの子供にすぎない。火事に動顛した程度では電車に飛び込もうとするはずがない。見えていない部分の方が大きいのはわかっていた。
住居用の玄関を入ると大きな土間になっていて、店舗用のドアに続いている。壁際には商品在庫が積まれていて、ガラス戸の向こうに居間があった。
「おかえり」
店に通じるドアが開き、母親の順子が顔を出した。
「ただいま」
「どうしたの。二人ともどろどろよ」
「ああ。一寸ね」
「その子は」
「成沢真衣さん。今日泊まってもらうから」
「そう。さっき、西崎君が来たわよ」
「西崎君」
「火事のことで」
「ああ。あとで電話しとく」
「そう」
後で話すから、と目で合図して母との会話を打ち切った。
靴を脱いで板間に上がり、ガラス戸を開けて居間の明かりをつけた。
「上がって」
部屋に入った真衣を見ると、制服のまま泥遊びをしてきた生徒のように、泥と草で無残に汚れていた。自分のズボンとジャンパーも汚れている。あの土手で、二人で格闘をしたようなものだから仕方がない。
孝子は真衣を連れて二階に上がった。自分の部屋の隣にある客間として使っている部屋に案内した。
「待ってて」
自分の部屋に入ってジャージを取り出し、客間に戻ると、真衣は部屋の真ん中に茫然と立ったまま窓の方を見ていた。
「後で、これに着替えなさい」
押し入れを開けて、布団を下ろしてシーツを敷く。毛布と掛け布団を重ねて、寝る準備を整えた。
「しばらく、寝てなさい」
「・・・」
「真衣さん」
言葉ではなく、ジャージと布団を指差して、腕を折って耳に持っていき、寝るように言った。真衣が小さくうなづいた。
階下に降りると、母が台所に立っていた。
「西崎君に電話しとく」
孝子はそう言って、庭に出た。
「刑事課の西崎さんをお願いします。はい。片岡と言います」
西崎はすぐに電話口に出てきた。西崎と孝子は小学校に行く前からの付き合いで、今でもいろいろな場面で接触がある古い友達だった。西警察署の刑事をやっている。
「孝ちゃん。今、どこ」
「家に帰ってきた」
「成沢真衣は」
「二階にいる」
「話が聞けるかな」
「今は、無理」
孝子は事情を説明した。
「そうか。だったら、すぐにでも話が聞きたい」
「どうして」
「放火の疑いがある」
「あの子が」
「わからん。でも、あの子は一番近い関係者だからな」
「警察署に連れて行くの」
「話の内容によるけど、そうなるかもしれん」
「わかったわ。でも、無茶しないでね」
「ん。五分で行く」
西崎が来たら、二階に来るようにと母に頼んで、孝子は二階に取って返した。襖をノックして、返事を待たずに部屋に入った。真衣は制服のまま部屋の中央で座り込んでいた。
「警察の人が、火事のことで聞きたいことがあるらしいの。いい」
初めて真衣の表情が動いた。
「すぐに終わると思うから」
気休めでも、安心させたかった。西崎は疑ってかかるかもしれないが、犯人と決まるまでは真衣のことを信じることぐらいしかできない。
「先生。さっきのこと、話した。西崎さんは昔からの友達で、いい加減な奴じゃないから。話してあげて」
火事という言葉にかすかな反応があっただけで、真衣の表情に変化はなかった。着替えさせるだけの時間はないと判断して、孝子は真衣の横に座った。
階段を上ってくる男の足音が聞こえ、西崎が部屋に来た。孝子は西崎の顔を見て首を横に振った。尋問は無理だと伝えたかった。
西崎は真衣の正面に座って、真衣の顔を直視した。真衣の目に西崎の姿が映っているのかどうか定かではない。
「成沢真衣さん。だね」
「・・・」
「家が火事になったよね」
「・・・」
「その時、君は、どこにいたのかな」
「・・・」
西崎は言葉を変えて、同じことを三度聞いたが、真衣の反応はなかった。
ため息をついた西崎が孝子に「話がある」と目で言って、立ち上がった。
孝子は西崎と一緒に階段を下りて、そのまま玄関を出た。
「放火の疑いって、ほんとなの」
「消防は、そう言ってる」
「あの子のお母さんは」
「まだ、話が聞けない」
「・・・」
「病院でも暴れたらしい。鎮静剤で眠ってる。目が覚めても、どうかと病院の先生は言ってた」
「そう」
「二人、死んでるんだ。放火なら、殺人事案になる」
「そうね」
「母親も、あの子も。重要参考人なんだ」
「だから」
「署に連れて行かなきゃならない」
「馬鹿、言わないで。留置する気」
「仕方がない。それに、自殺を図ったんだろ。保護する必要もある」
「・・・」
西崎が間違ったことを言っているわけではない。でも、正論が正しいという保証は、どんな場合でもないことも事実だ。孝子は考えた。成沢真衣にとって、この瞬間の大人の判断が真衣の人生に大きな影響力を持つことになる。後になって、あの時の判断は正しかったのだと言ってみても、それは言い訳にすぎない。真衣が放火犯でなかった時、留置されるということが自殺へのだめ押しになってしまわないか。孝子は何度か真樹の家庭訪問であの家に行ったことがある。たぶん、あの家族はこれでもかと言うほど痛めつけられていたと感じた。そんな子供を大人の都合で追い込んでいいのか。
「西崎君は、私の友達だよね」
「それとこれとは別だろ」
「西崎君だから、私は電話をした。彼女の自殺のことも話した。友達としての誠意だから。今度は、西崎君の番」
「片岡」
「さっき、どこにいたって、聞いてたよね」
「ああ」
「それって、アリバイなんでしょう」
「ああ」
「今日中に証明してあげて。私はあの子に張り付いてるから」
「無茶、言うな。本人が何も言わないのに、どうやって証明するんだ」
「それが、警察の仕事でしょ」
「おい」
「西崎君なら、できる。町中で聞きまくって。あの子の足取りを追って。明日になったら、私が連れていく。それまでに、証明してあげて。お願い」
今度は西崎が天を仰ぐ番だった。
「で。どこか立ち寄りそうな場所、知ってるのか」
「先ず、学校」
「火が出たのは六時前だぞ。学校は関係ない」
「そうね」
「妹の方の担任だったんだろ。妹の立ち寄り場所は」
「そうね。そう言えば、よく駅に行くと言ってた」
「駅」
「待合室で勉強してるんだって」
「駅か」
「スーパーとか、本屋とか。ともかく町中よ」
「ほんとに、お前は、変らねえな」
「お願い」
西崎が玄関に向かった。
「どこに行くの」
「顔写真がなかったら、捜せないだろ」
「そうか」
西崎が孝子の家を飛び出して行ってから一時間も経たずに孝子の携帯が鳴った。駅員と売店の女性の証言で真衣のアリバイが証明されたという知らせだった。
孝子は二階に行った。真衣は制服のまま、体を折り曲げて畳の上で眠っていた。孝子は真衣の体を布団の上に運んで寝かせた。こんな歳で、電車に飛び込む決心をしてしまう。もう、遠い昔のことで思い出せないが、自分が中学生の頃はどうだったのだろう。孝子のクラスにいたこの子の妹は明るい子供だった。家庭訪問であの家庭を見て驚いた。明るいふりをしているが、本当は大きな問題を抱えているのだと感じた。妹は姉の存在があったから明るく振る舞えていたのかもしれない。そうならば、姉は妹の痛みも引き受けてくれていたのではないだろうか。自殺にまで追い込まれたのは、この子に妹の分と自分の分の深い痛みや重い悲しみがあったからなのだろうか。小学校の教師をしていると、問題を抱えている子供の多さに驚く。何年か経てば教師歴二十年のベテラン教師になるというのに、子供たちの悲しみに慣れることができない。結婚もしていないし、子供もいないから青臭いままだと陰口を叩かれていることは知っている。でも、感性を失った教師にはなりたくない。子供たちの苦しみを見て見ぬふりはできない。教師にできることは限られているが、せめて気持ちだけは支えていたい。
階下から母の声が呼んでいた。時計を見ると既に八時半を過ぎていた。
「夕飯。あの子の分、どうする」
「あのまま、寝ちゃった」
「そう。あんたも、着替えなさい。泥だらけよ」
「そうね」
店のシャッターを閉める音にも気がつかなかった。だが、確かに空腹を思い出していた。
二人で食事をしながら、今日の出来事を話した。
「そう。あの小屋、まだあるの」
「えっ」
「佐山に行く道から少し入ったとこでしょ」
「知ってるの」
「うん。あんたは知らないけど、お父さんと初めて出会った場所なの」
「どういうこと」
「不思議だよね。私もあそこで、電車を待ってた。お父さんがいなかったら、私もいなかったかもしれない」
「自殺」
「高校の、三年生の時。父親の借金のために、風俗に売り飛ばされる寸前だった。逃げ出して、行くとこもなく、もうお終いだと思って、電車を待ってた。その日に、母親が家に火をつけて無理心中して、弟と三人が死んだ。私は死ぬ運命の中心にいたのね」
「知らなかった」
「だから、私は必死に生きた。お父さんにもらった命だから。それなのに、お父さん、先に逝っちゃうんだもん。不公平だと思わない」
「そんな話、初めて。どうして黙ってたの」
「自慢話にはならないだろ」
「でも。娘が知らないのも、問題じゃない」
「そうかい」
「そうよ」
「でも、あの子、どうなるんだろう」
「うん」
「西崎君は放火だと言ってるんだろ。母親が火をつけたとしたら、あの子は、行く場所も戻る場所もなくなったんだよね」
「うん」
「いつも、子供って悲しいね」
「うん」
翌朝、孝子は母親に真衣のことを頼んで学校に出勤した。

布団が温い。誰かが何度か部屋をのぞきに来たが真衣は寝たふりを続けた。たぶん、片岡先生だろう。早くに目覚めていて、昨日の出来事は可能な限り思い出していた。いや、そうでもないかもしれない。でも土手の上で先生に抱きしめられていた時のことは細かなことまで覚えていた。電車が通り過ぎた後に、体を震わすほどの恐怖がやってきた。あの時は先生が震えていると感じたが、本当は自分が震えていたのかもしれない。夢に真樹の笑顔が何度も出てきたが、父親の顔は、目が覚めた今でも、うっすらとしか思い出せない。取り返しのつかないことをした時の、底が抜けたような不安感が胸を締め付ける。布団が暖かい。真樹はあの冷たい布団の中で死んでいった。私は、この先どうすればいいのだろう。もう電車に飛び込む勇気はない。あの怖さには勝てない。それでも、真樹を殺したのは自分に間違いない。真樹はもういない。真樹がいたから、毎日を乗り越えてこれた。どうやって時間を前に進めていけばいいのか。自分ひとりだけ生き残っていいのか。そんな堂々巡りをしながら、うとうととしていた。
「まだ、寝てるの」
見覚えのないおばさんが布団の横に座っていた。
「私、片岡先生のお母さん。よろしくね。成沢真衣さんって言うのよね。まいちゃんって呼んでいい」
真衣は眼でうなずいた。
「お腹、減ったでしょう。ご飯にしよう」
そう言えば、昨日から何も食べていないことを思い出したが、なぜかあの空腹の痛みは感じていなかった。
「トイレは、そこを出て、右の突き当たり。洗面所は階下にあるから。もうすぐお店開けるから、食べてくれると助かる。それと、着替えるのよ」
おばさんは笑顔を残して部屋を出て行った。
起き上がろうとして、少しめまいがした。空腹のせいなのか、先生と格闘したせいなのかわからない。用心して立ち上がった。明るい朝日が当たっているのだろう。カーテンが明るく、部屋は光に満ちていた。制服が泥だらけになっている。靴下を替え、ジャージに着替えてカーディガンを羽織った。足は泥で白く汚れ、切り傷も何カ所かあった。ふらつく体で部屋を出て、トイレに入った。そこで初めて下着が汚れていることに気付いた。燃えてしまって、着替える下着がないことにうろたえた。ナプキンはすぐに見つかった。下着はそのままでナプキンだけを借りた。貧乏をしていて、何もない家だったが、全てを失ったことを実感した。
階段を下りると、おばさんが洗面所に案内してくれた。タオルと歯磨きセット、ブラシまで用意してあった。鏡に写っている顔も髪も泥で白くなっている。顔を洗い、何度もタオルを洗って髪を拭いた。大きな鏡を見ると、鏡の中の真衣の目から涙が流れていた。スーパーで鏡の前に立ち、「こんな鏡があるといいのにね」と真樹と話した時のことを思い出していた。真衣は洗面台の前でしゃがみこみ、声をこらえて泣きじゃくった。どこに隠れていたのかと思うほど涙は止まらなかった。息苦しくて声が出る。他所の家なのに、声を出して、体を震わせて、泣いた。
広い居間の食卓の上に食事が用意されていた。
「適当に食べてね。私、お店にいるから」
ガラス戸を開けて、おばさんが声をかけてくれた。
焼き魚、卵焼きとほうれん草のおしたし。真衣はガス台にある味噌汁をよそい、炊飯器の暖かいご飯を入れた。小学校の給食で食べて以来の御馳走だったが、食べることができなかった。お腹をすかせたまま死んでいった真樹のことを思うと、体が受け付けていない。やっとの想いで味噌汁だけを食べ、炊事場で食器を洗った。真衣が炊事場に立つと、真樹はすぐ横で真衣の手つきを飽きずに見ていた。だが、今は、横に真樹の姿はない。
二階に戻って、布団をたたみ、柱にもたれて座った。鞄から教科書を出す元気はなかった。今までも、毎日、生活の心配をしてきたが、この先、どうやって生きていけばいいのか見当がつかない。家もなければ、お金もない。それでも、もう母親に頼る気持ちはない。
心配ごとと後悔との間を行ったり来たりしながら、座り続けた。

孝子は買い物をするために、早めに学校を出た。他の先生が不思議そうな顔で見送ってくれた。教師の鏡のような孝子が早めに帰ることは珍しい。私用には違いないが、自分のクラスの子供の姉が窮地に陥っているのは他人事ではない。
下着と普段着、そして靴下を買ったが、サイズがわからなくて、靴とブラジャーは買えなかった。本人を連れてくるしかないだろう。留守中の火事では、何もかもが必要になる。女の子だから着るものは大事だと思った。
スーパーを出て、孝子は西警察署に向かった。署内の一般駐車場に車を停めて西崎を呼び出した。
「ごめん。呼び出して」
「ああ」
「お母さんは」
「今は、ここにいる」
「退院したの」
「怪我はたいしたことない。脳震盪だそうだ」
「で」
「これ以上は話せないよ」
「西崎君。それ、本気なの」
「仕方ないだろう。捜査情報を外部に漏らせば懲罰もんだぜ」
「そう。本気なんだ。わかった。聡美は怒ると、ほんとは怖いってこと、知ってるよね」
「孝ちゃん」
「私が知ってること、全部、聡美の耳に入ってもいいの」
「そんなやり方、汚いだろ」
「西崎君の家庭を壊したくないよ。でも、聡美には知る権利、あるよね」
「わかったよ。御立派な友達だよな」
「そう。世間はそうやって動いてる。違う」
西崎は困ったときに唇を舐める癖がある。孝子は西崎が過去に犯した浮気を知っている。親友でもある西崎聡美にそのことは話していない。孝子が知っているだけでも浮気相手は二人いた。尋問すれば余罪が出てくるに違いない。西崎は唇を舐めながら話し始めた。
「たぶん。火をつけたのは母親だろ」
「お母さんが、そう言ったの」
「はっきりと自供したわけじゃないけど、そうとしか考えられない」
「どうして」
「家庭の事情は知ってるんだろ」
「まあ」
「話が死んだ娘のことになると、錯乱状態になる。娘が家に帰ってきていることに気がつかなかった。そういうことなんだろう」
「そう。どうなるの」
「送検することになる」
「放火殺人」
「だろうな」
「証拠は」
「まあ。たぶん、立件できるだけの証拠はあると思う」
「そう」
「情状酌量はあるだろうけど、二人だからな」
「あの子は、どうなるの」
「一応、児童相談所には連絡した。片岡薬局にいることも伝えてある」
「施設に行くの」
「引き取ってくれる親戚がいなければ、そうなるだろう」
「そう。なんてことなの」
「俺も、そう思う。父親と妹が死んで、母親が殺人犯じゃ、一人残された娘はどうすればいいんだ。あの母親はまだ、そのことに気付いていない。気付いた時が怖いな。あの様子では耐えられないかもしれない」
「ありがとう。聡美の件、ただの脅しだからね。言わないよ。聡美のためにも」
「ひでえ、友達を持ったもんだ」
「ごめんね。でも、もう、してないよね。浮気」
「ないない」
「今度したら、ほんとに言うからね」
「わかったよ」
警察署を出てすぐの信号を見逃しそうになって、急ブレーキを踏んだ。自分のことではないのに動揺している。孝子は運転に専念してガレージまでたどり着いた。疲れた。でも、あの子の方が、もっともっと疲れているし苦しんでいる。母は店にいるから、家に明かりがないのはいつものことだけど、二階にも明かりがないのはおかしいと思った。嫌な予感がして、慌てて車を降りた。
「かあさん。あの子は」
「ああ。おかえり。二階にいるよ」
「真っ暗よ」
「電気、ない方がいいみたいよ」
「そうなの」
「私、今、降りてきたところ。元気はないけど、二階にいる」
「ありがとう」
孝子は車に戻り荷物を持って家に入った。居間の灯りをつけて、階段を上った。
「入るわよ」
開いたままの襖の向こうの暗闇に座っている真衣の姿がぼんやりと見えた。
「電気、つけるよ」
真衣は眩しそうに顔を下に向けた。光は感じてくれているようだ。
「私、子供いないから、わかんなくて。とんちんかんなもの買ってきたかもしれない。下着と普段着。そのジャージ大きいものね」
孝子は買い物を取り出して、畳の上に並べた。
「ブラジャーはサイズわかんなくて、買えなかった。靴も。それから、学校へは連絡しといたから。しばらく休みますって」
「すみません」と言ったようだったが、声が小さくて聞き取れなかった。
「制服。クリーニング、出すよ。二日もあればやってくれるから」
畳んでおいてある制服をスーパーの袋に入れた。
「あの、ナプキンもらいました」
「ああ、場所、わかった」
「はい」
「しまった。生理用のパンツ忘れた。今日は、私の使っておいて。大きいかな。ないよりはましか」
「すみません」
「それと、お風呂に入りなさい。頭、まだ白いよ。シャンプーとか決まったのがあるの」
「いえ」
「私のでいい」
「はい」
「三十分くらいで沸くから」
孝子は制服を入れた袋を持って部屋を出た。真衣が返事をしてくれた。大丈夫かもしれない。風呂の水は何日目だっただろうか。家事は母親にまかせっきりで、そんなこともわからない。駄目な娘だと思った。
風呂に火をつけて、店の方から外に出た。五軒先に昔からのクリーニング店がある。
戻ってくると、母が台所に立っていた。
「私。やろうか」
「えっ」
「無理、か」
結婚もしないで、仕事を理由に家事もしないで、ずっと母に甘えてばかり。あの子は全てを失い、自分の足で歩いていかなければならないというのに。反省しなくては。
「私、何すればいい」
「落ち着きなさい」
「そうよね」
母は昔からよく動く人で、いつの間にか仕事を片付けてしまうスーパーお母さんだった。初めて昔の話を聞いたが、思いつめて自殺しようとした過去があったという話には驚いた。父もそんな話をしてくれたことがない。いつも、優しい笑顔で、なんでも受け入れてくれる世界一のお母さんだと、今でも思っている。
「かあさん」
「なに」
「私、この歳になっても、親離れしてないんだね」
「そうかい。あんたはあんたで、いいんじゃない」
「そういう優しいことを言ってくれるから、つい、その気になってる」
「どこか、具合でも悪いのかい」
「反省してるのよ」
「らしくないよ」
「うん」
「いつものあんたでいた方が、あの子も楽だと思うよ」
「そうか。そうだね。学校の先生しかできないか」
孝子は湯加減をみるために風呂場に向かった。新しいバスタオルはどこにあったのか、記憶をたどる。風呂場で石鹸やシャンプーを確認。追いだきの方法も教えておかなければならない。
真衣が風呂に入っている間、孝子は台所で母親の手伝いをした。母は店と台所を往復しながら手際よく料理をしている。孝子にはその動作がゆったりとしたものに見えるのに、次々と料理ができあがっていく。食器を出して、盛り付けを担当した。
いつもは学校から帰ってきて、用意された食事を当たり前のように食べて、また仕事をするという生活をしていた。孝子も母も健康面では何の問題もないが、還暦を迎えた母に頼り切っている自分の生活態度を変える時期に来ていると感じる。教師という仕事は好きだし、まだまだ続けて行きたいが、何かを変えなくてはならない。真衣の自殺を阻止するという劇的な出来事が、自分自身を振り返る機会になっているように思えた。ただ、現在の最重要事項は成沢真衣のことだった。
食事の用意ができ、孝子は真衣の部屋に行った。真衣は先ほどと同じ場所に座り、バスタオルを頭からかぶった状態で頭が折れ曲がっていた。孝子は一瞬不吉な想像をしたが、真衣の肩が揺れているのを見て、息を吐いた。かける言葉は見つからない。真衣の横で膝を折り、バスタオルで真衣の髪を拭いた。
「ドライヤー、使う」
真衣が首を横に振ったようだった。
「ご飯、食べよう」
孝子はそっとバスタオルを頭から外した。真衣の鼻が赤くなっている。泣いた方がいい。
「ほら。鼻、かんで。食事にするよ」
孝子はポケットから出したティシュを渡した。鼻をかんだせいで、真衣の鼻はさらに赤くなった。
「立ってみて。大きさ、どう」
スカートは少し大きかったかもしれない。大は小を兼ねる、と決めつけ、ベルトのついているスカートを選んできた。
「少し、大きかったね」
シャツとセーターは似合っていた。
「寒くない。靴下は」
「大丈夫です」
「そう」
孝子は後ろに回って、真衣の背中を押した。
居間の食卓に母はいなかった。
「ここに、座って」
孝子は土間に下りて、店のドアを少しだけ開けた。やはり、お客さんがいるようだ。
部屋に戻り、二人分の味噌汁とご飯をよそった。
「お客さん、来てるから、先に食べよう」
孝子は真衣の正面に座った。
「うちの肉じゃが、おいしんだよ」
真衣の目からテーブルの上に、大粒の涙が零れ落ちた。そして、両手を胸の前で握りしめて、嗚咽になった。睫毛が長いせいか、普段でも泣きそうに見える真衣だが、下を向いてばかりなので、いつも泣いているように見えていた。今は、本気で泣きだしたようだ。
孝子は真衣の後ろにまわり、後ろから抱きしめた。
「いいよ。遠慮せずに泣きなさい。あんたは、泣いて、いいんだよ」
孝子の手にも容赦なく涙が落ちてきた。真衣は両手で顔を覆って号泣した。孝子の体にも真衣の悲しみが、苦しさが伝わってくる。孝子の目からも涙が出ていた。
泣きすぎて酸素不足になったように真衣があえぎ始めた。無理やり立たせて、体を支えてソファーに連れて行った。食事のできる状態ではない。二人でソファーに座り、膝の上に真衣の頭をのせて、背中をさすった。悲しさや苦しさは、溜めずに外に出した方がいい。
三十分以上も泣いていた真衣が静かになった。泣き疲れて、眠ってしまったようだ。
母が店から戻ってきて、二人の様子をみて、毛布を持ってきてくれた。

食べようとすると喉がつまり、涙が出てくる。この家に来て一週間が過ぎたが、空腹に苦しめられていた時より体力がなくなっていた。二階でぼんやりとする毎日だが、行動を起こす気力はなかった。
「入ってもいいかい」
先生のお母さんが部屋に来た。
「ここの商店街は木曜が定休日でね。今日はお休み」
真衣が背中を預けている壁におばさんも並んで座った。
「寒くは、ない」
真衣は小さく頷いた。そう言えば、寒さのことは忘れていた。
「少し、話、しても、いいかい」
おばさんは、そう言っただけで、黙ってしまった。
「あんたの気持、よくわかる。どうしてかわかる」
「・・・」
「私も、昔、そう、もう四十年以上も昔の話なんだけど、あんたと同じだった。だから、私も胸が痛い」
「あの時、私は高二だったから、もう少しお姉さんだったけど、私も、あの土手で電車を待ってた」
思わず真衣はおばさんの顔を見た。
「主人が、孝子のお父さんが私を助けてくれた。その娘が、同じ場所であんたのことを止めた。びっくりしたわ」
「私の父親は賭けごとに狂っていて、家は貧乏だった。母が昼も夜も働いたけど、そのお金を奪い取って遊びに行ってしまうのよ。弟は心臓に病気を持ってたけど、医者に行くこともできないし、食べるものもないような家だった。一番辛かったのは、空腹。空腹ぐらい慣れればいいのに、毎日が苦しかった。私も弟も学校は休むことが多かった。お弁当が持っていけなかったから」
「父親の借金が膨れて、父親は私を暴力団に売った」
「売春って知ってるよね」
「私がお金を稼げば、父親のギャンブルは続くだろうし、私は死ぬまで売春婦として働かなければならない。だから、私は隙をみて、家を飛び出した。着の身着のまま、持っていくお金もなかった」
「どこを、どう歩いたのか思い出せないけど、あの土手にいた。あの時は、他にどうすることもできなかった。行くとこも、帰るとこもないし」
「どうして、主人が私を見つけたのか。気がついた時には、この家にいた。主人の両親もいて、厄介事を持ち帰った息子を非難するような視線で見ていたのを憶えてる。でも、主人は徹底的に私のことをかばってくれた。どうして、そこまでしてくれるのか、私も信じられなかった」
「その日の夜、母親が父親と弟を道連れにして、家に火をつけて死んでしまった。最初は私が疑われていたけど、主人の証言で、私の疑いは晴れた。でも、私は家族を一度に失ってしまった。弟が可哀そうで、私が卑怯者のような気がして。私さえ売春婦になっていれば、母も放火などしなかったかもしれない。そう思うと、悪いのは自分なのだと思えた」
「そんな私をどこまでも支えてくれたのが主人だった。後でわかったんだけど、主人は底抜けの、信じられないほど優しい人だったの。いい人は早死にするって言われるけど、風邪をこじらせて、あっという間に逝ってしまった。死ぬ前に、俺は幸せだった、なんて言って」
「そんな主人が、よく言ってたことがあるの。人間は、たまたまの連続で生きてるだけで、そのたまたまが切れた時が寿命なんだって。そして、そのことは人間の力ではどうすることもできないんだ、と」
「たぶん、私が売春婦になったとしても、三人は救われていなかったと思うと言ってくれた。売春婦になって苦しい生き方をしなければならない人間が、一人でもそこから逃れることができたことの方が大切なんだと」
「私が、主人と会ったことも一つのたまたまなんだけど、たまたまが続く限り人間は生きていかなくちゃならない。どうせ、生きなければいけないのなら、他の誰かのために生きたっていいじゃないかというのが主人の口癖。そんな主人の影響で、娘は結婚もせずに子供たちのために、自分のできることをやり続けている。私は、そんな孝子が好き」
「私たち、けっこう、似てるでしょう。私、びっくりしちゃった」
「私・・・・」
「うん」
「喧嘩したの」
「誰と」
「真樹と」
「そう」
「私たち、二人とも、いつもお腹が空いてた。一度だけ、あんぱんを万引きして二人で食べたことがあった。怖くて、足が震えて。もう、二度としたくないと思った。でも、あの日、真樹がぐずって、どうしてもあんぱんが食べたいと言い張って。あの子は一人で家に帰っちゃった。私が万引きして、あの子にぱんを食べさせていたら、あの子は死なずにすんだ。おばさんが、毎日御馳走作ってくれるけど、真樹が食べれないのに、と思うと」
「そう」
「あの火事は、母さんがやったんだと思う」
「そっくり、だね。悲しいよね。でも、あんたのせいなんかじゃない、とおばさんは思う。たまたまが切れちゃったんだよ」
「・・・」
「料理作る人は、食べてくれる人がいると幸せって、あんたなら知ってるよね。最近、私、とても、不幸。自分のためでなくてもいいから、おばさんのために食べてくれると、すごく嬉しい。駄目かな」
真衣は、その日から、食べる量を増やした。

会議室が空いていなかったので、孝子は校庭で荒木田を迎えた。
「言ってくだされば、行きましたのに」
「別件で近くまで来ましたんで、気にせんでください」
痩せて背が高いせいか、首の長さが孝子の倍はあるのではないかと思う。児童相談所のベテラン職員の荒木田とは何度も会っているので、それほど気を使う相手ではなかったが、真衣の件だと思うと緊張はあった。
「成沢真衣さん。先生の家にいるんですよね」
「はい」
「どうです。様子は」
「母とは少し話をするようですけど、私とは、まだ。ほとんど食べませんし」
「そうですか。いや、そうでしょうね。悲しいことです」
「ええ」
「僕が行っても、話は聞けませんね」
「たぶん」
「そう、でしょうね」
「話してくれるかどうかわかりませんけど、なにか聞いておきましょうか」
「いえね、本人が、親戚のことを知らないだろうかと思いましてね」
「親戚」
「僕の方で調べた限りでは、あの夫婦の親兄弟はおらんのです。もっと遡って調べれば、遠い親戚はいるのかもしれませんが、あまり縁が薄いと引き取れとは言えませんし、あの子のためにもならないかもしれない。本人からも話を聞いておきたいと思うんですよ」
「そうですか」
「施設に入った方が幸せな子もいますから、一概には言えませんが、できるだけ調べてあげないとね」
「ええ。一度、聞いてみます」
「もし、話してくれそうなら、すぐにでも行きますから」
「わかりました。私の方から荒木田さんに電話します」
「助かります」
荒木田がいつでも子供のことを最優先に考えていることは知っている。仕事とはいえ、無造作に調査をすれば、傷ついた子供の心に塩を塗るような結果になることを心配している。荒木田はそういう気遣いのできる人だった。警察官の西崎とは少し違う。
孝子は家に戻って、母に相談した。孝子から見ても、真衣と母の間にある垣根はそれほど高くはない。
「その返事、急ぐのかい」
「そんなことはないと思うけど、そんなには放っとけないでしょう」
「そうだね。施設に行くことになるのかね」
「わからないけど」
「なんと、ね」
「私、一寸、出てくる」
「ご飯は」
「帰ってからにする」
「わかった」
孝子は西崎を呼び出した。携帯に電話したが、まだ警察署にいた。
「西崎君、家に帰ってるの」
「今日は、当直だよ」
「そうなの」
「あの子は、どうしてる」
「しばらくは、何も食べなくて、心配したけど。少しだけは」
「話は、できるか」
「まだ、なにか、あるの」
「どんな、家庭だったのか」
「それが、必要なの」
「いや。必要でないかもしれない」
「どういうこと」
「起訴になるかどうか」
「・・・」
「最初の頃は、錯乱状態だったけど、今、あの母親の目は向こうの世界に行ってる」
「えっ」
「もう、なにも喋らない。取調室に座っていても、俺の方を見てるんだけど、俺のことを見てないし、表情も変わらない。検事は精神鑑定すると思う」
「そんな」
「自供はとれなかったし、服に付着していた灯油だって、家庭の主婦なら不思議ではないし、誰も現場を見た訳じゃない。状況証拠は放火で、放火できる人間が他にいないとすれば、犯人はあの母親なんだけど、調書取る前にああなったんじゃお手上げだ」
「で」
「起訴しても、弁護士は心神喪失を言うだろう。検察も二の足踏むと思う。起訴して、心神喪失で、強制入院かも」
「そう」
前回脅迫したおかげで、西崎は内部事情をそれほど抵抗なく話してくれた。この事実が表にでると西崎は危ない立場に立たされるかもしれない。孝子は西崎の心配もしなければいけないと自分に言い聞かせた。だが、真衣の母親が戻ってくる確率は無いものと考えなければならないだろう。児童養護施設の件は早急に結論を出さなければならない。施設の子供は何人も知っている。子供たちの環境は収容される前よりはよくなるが、子供たちが喜んでいるのかどうかは微妙な部分があると思っている。劣悪度が大から中に変わっても劣悪であることに変わりはないからだ。
家に戻り、真衣の母親の話を母に話した。西崎から聞いたとは言わなかった。
「母さんの話なら、少しは聞いてくれる。あの子に親戚のこと、聞いておいてくれないかな」
「いいけど、言うかね」
「うん。でも、このまま、というわけにも、いかないし」
「そうだね」
孝子が食事をしている間に、二階に行った母が戻ってきて首を横に振った。
「知らない、そうだよ」
「そう」
翌日の昼休み時間に孝子は荒木田に電話をして、本人は知らないと言っていると連絡した。
「そうですか。近々、会いに行きたいと思いますが、先生はどう思いますか」
「ええ。いつまでも、というわけにはいきません。そう簡単に立ち直れるとは思えませんし、かといって、いつまでも。学校もありますし」
「そうですよね。思い切って、明日、行ってみましょうか」
「ええ。気を使っていただいて、すみません」
「とんでもない。先生には感謝してるんです。でも、先生の気持ちはあの子には届いていると思います」

真衣は、毎日、畳の目の数を数えていた。おばさんに元気づけられて、無理して食べているうちに、食べることが以前ほど苦痛ではなくなったように思う。今まで、他に楽しみのなかった真衣は、教科書を読むことだけが楽しみだった。それなのに、今は、鞄を開ける気持ちも起きてこない。泣き続けているうちに、真樹のことで泣いているのか、自分のことで泣いているのか、はっきりしなくなってきていた。
「児童相談所の人が来てるの。大切な話だから、聞いてあげて」
「はい」
先生の声には、譲れないという強さがあった。手元から離せなくなっているタオルで涙を拭いて立ち上がった。先生の顔も複雑な表情だった。
一階の食卓に、痩せた年配の男の人が座っていた。真衣は先生に勧められるままに、その男の人の正面に座った。先生が隣の椅子に浅く腰をかけて、男の人に声をかけた。
「僕は、荒木田です。児童相談所という所から来ました。成沢真衣さん、ですね」
真衣は小さく頷いた。
「とても、つらいことがあった後なのに、ごめんね」
「・・・」
「子供は、一人では、どうしょうもないことあるよね。食事や寝る場所や着るものも。僕の仕事は、そういうことで困ってる子供たちの手助けをすること。だから、なんでも言っていいんだよ。君の力になりたい」
「お母さんは警察にいて、当分、帰れないと思う。生活費は、お母さんが仕事してたんだよね。家も無くなってしまったし、お母さんも、仕事、できない。つらいこと、言って、ごめんね」
「今は、片岡先生がやってくれているけど、もう少し先のことも考えると、君には保護者が必要だと思う。君の生活の面倒をみてくれる人。親戚の叔父さんとか叔母さんはいないのかな」
真衣は首を横に振った。叔父さんや叔母さんだけではなく、お祖父さんやお祖母さんの話も聞いたことがなかった。
「そう。そういう子供たちのために、児童養護施設があるの、知ってるかな」
駅前にいる不良の子供たちのことを、同級生が施設の子だと言っていた。その子たちが不良に見えたわけではないが、皆と同じように避けるようにして通り過ぎたことがあった。そう言えば、親のいない子が行く所だと言っていた。たぶん、その施設なんだろう。
「小さい子供から、高校生まで、多くの子供たちが生活し、学校に行ってる。保護者の代わりに子供たちの面倒をみてくれる大人がいて、いろいろと助けてくれる所なんだよ」
「近いうちに、そこに君を連れて行きたいと思うんだけど。いいかな」
おじさんは、施設のことをいろいろと話してくれていた。自分の力だけでは生活できないことは承知している。子供たちが大勢で生活しているこということは、それなりの難しいこともあるのだろうと想像できたが、生きて行くためには仕方がない。電車に飛び込もうとしてできなかった。電車が通り過ぎた後にやってきた、あの圧倒的な恐怖を乗り越える力は、今はもうない。真樹を死なせたことで、大きくて重い十字架を背負った。死ぬことができなくて、鉄のように重いものを飲み込んだ。そして、施設という所に行くことで、両足を鎖で繋がれることになるのだろう。生きることも、死ぬこともできない時って、どうなるんだろうと思った。確かなものなんて、何もない。私にも、何もない。死んでしまった真樹の方が運がよかったのだろうか。今までだって多くのことを諦めて、一日一日を乗り越えてきた。このおじさんは、私が喜んで施設という所へ行くことを望んでいるのだろうか。それぐらいのこと、乗り越えるのは簡単なことなのに。
「一日か、二日で、迎えに来れると思う。いいよね」
真衣は頷いてみせた。

客が帰ったようだった。居間には孝子だけが椅子に座っていた。
「誰だったんだい」
「児童相談所の荒木田さん。明日か、明後日、迎えにくるって」
「施設」
「うん。母親は戻ってこれないと思う」
「そう」
「私、先に食べて、いい。あの子と二人で」
「そうしておいて」
「ちょっと、仕事も溜まってて」
「うん」
順子は店に戻った。片岡薬局の営業時間は、朝九時から夜の八時まで。遅くまで店を開けていても売り上げが上がるわけではないのだか、決めたことは守っていた。シャッターを閉めるまでは時間がある。順子は自分の胸に最後の問いかけをしていた。夫を失くした後、戸籍上の筆頭者は順子だったが、この家の責任者は孝子だと決めていた。孝子もその積りでいるので、何の問題もない。ただ、この件だけは無理を言わなければならないかもしれない。
シャッターを閉めて居間に行くと、食卓の上は孝子の書類で埋まっていた。
「ごめん。今、片付ける」
「いいよ。私は、ここで食べるから」
順子は調理台の上に食器を並べた。あの子が食べるようになってくれて、調理に力を入れているからなのか、自分自身の食事の量が増えたように思う。夫がいて、まだ孝子が子供の頃、料理を作ることが楽しかったし、三人で囲む食卓には幸せが溢れていた。今が不幸だとは思っていないが、意識して噛みしめるような幸せもない。毎日、同じ日常が流れて行くだけで、あの時のように弾むような時間がなくなった。歳を取ったのだから、こんなものでいいのだろうが、懐かしい想いはあった。
食事が終わり、洗いものをしていると、風呂から上がった真衣が「おやすみなさい」を言いにきた。「いただきます」も「ごちそうさま」も言うようになったが、それ以上のことはまだ喋らない。本当は、「おいしい」も言って欲しいけど、もう少し時間が必要なのだろう。
「忙しい時に、悪いけど。一寸、話、いい」
「何。あと十分だけ。すぐに終わるから」
「うん」
順子はソファーで新聞をめくった。商店主として、日本の経済活動の一端を担っているのだから社会情勢を知っておく必要はあると思っているが、あまり役に立っているとは思ったことがない。ただの習慣になっているだけかもしれない。ジャイアンツ五連勝。夫が生きていたら不機嫌な声を出していることだろう。ジャイアンツが今のジャイアンツになった頃から日本が壊れ出したような気がする。
「母さん。何、話って」
「いいのかい」
「うん」
孝子が順子の横に座った。
「あの子。やはり、施設に」
「うん」
「うちに、引き取れないのかい」
「引き取るって」
「養子縁組とか。あの子、他人のような気がしないのよ。そっくりで」
「養子か。考えもしなかったわ」
「駄目かね」
「母さんは、そうしたい。そうなの」
「ああ。もちろん、私の子供というわけにはいかないから、あんたの子供として。あんたなら中学生の子供がいたって不思議じゃない」
「養子、ね」
「駄目かい」
「一度、荒木田さんに相談してみる」
「父さんが生きてたら、きっと、そうしたと思うのよ」
「うん。父さんなら、そうするわね」
「あんたは、どうなの」
「そうね。よく考えてみる」
「明日、連れていっちゃうんだろ」
「それは、変更できると思う」
「できるだけ、あんたの手はとらないようにするから」
「わかった。考える」

翌日、孝子は学校から児童相談所に向かった。児童相談所と言っても、正式には園田支所になる。児童相談所の重要性が叫ばれ、県もその機能を拡充させるために支所を作る方針を出し、実験的に園田支所が開設されたのが二年前だった。園田児童相談所は所長と所員三名の小さな相談所で、中央相談所の所長を兼任している前田所長は名前だけの所長なので、荒木田が一人で背負っているような相談所だった。昔と違って、児童相談所はなくてはならない存在になっているが、行政の対応は中々進んでいない。小学校の教師をしていると、児童相談所に対する不満はいっぱいある。そんな中で、園田児童相談所は荒木田の懸命な努力で成り立っているような相談所だった。二年前に赴任してきた荒木田という男が、どんな男なのか知る人は少ない。孝子も荒木田の個人的なことは全く知らなかった。身元不明の死体ではないが、年齢も三十代から五十代としかわからない。独身であることは確かなようだが、結婚しなかったのか離婚したのか、死別したのかわからない。この土地の人間でないことは、話をしている時の違和感のあるアクセントでわかる。関西以西のどこか、九州かもしれない。わからないことが多い男だが、子供たちを大切に扱い、親身になってくれる、温かみのある人間であるということは接した人間ならよく知っている。
事務室には荒木田が一人だけ、パソコンに向かっていた。
「こんばんは」
「あっ、先生。どうしました」
「今、いいですか」
「どうぞ」
荒木田は立ちあがって、会議机の方を指差した。
「今、お帰りですか」
「はい」
「お茶入れますから」
「いえ。そんなこと」
「丁度、喉が乾いてたとこなんです。渡りに船のお茶ですから」
「すみません」
小さなお盆に載せた茶碗を持ってきてくれた。
「いただきます。遅くまで、大変ですね」
「この仕事は、仕方ないです。気を抜けば、子供たちの命にも」
「そうですよね。荒木田さんが来てくれて、私たちほんとに助かってます」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
「どうして、この仕事を」
「ははは、巡りあわせ、ですかね。ところで、今日は」
「ああ、はい」
「成沢真衣さんの、こと」
「はい。母が言いだしたんですが、あの子をうちで引き取れないかと思って」
「引き取る、と言いますと」
「養子縁組でもいい、と母は言ってます」
「養子ですか」
「何か」
「今は、無理かもしれません」
「・・・」
「あの子の保護者は、あの母親なんです。母親は、大学病院に入院しました」
「入院」
「精神鑑定のための、強制入院です。今は、完全に自分を失っています。何も聞こえていないようだし、何も話をしないそうです。母親の、保護者の同意をもらうのは難しいと思います。特別養子縁組もありますが、そうなると、あの母親が孤立します。あの子の場合、問題があったのは父親で、あの子と母親の関係は悪くなかったと思うんです。後になって、母親が孤立した事を知った時、あの子がどう考えるか心配です」
「そうですか」
「あの子には、もう少し時間が必要だと思うんです」
「ええ」
「里親ではいけないんですか」
「里親か」
「成沢真衣として、先生の家で生活をする。名前や戸籍上の続柄は変えられませんが、実質的には先生の家の子供として生活できます」
「ああ」
「いつか、自分の意思で決めることができるようになります。それでは駄目ですか」
「あの子が、辛い立場になりませんか」
「名前が違うことで、いじめに遭うとか、ですか」
「ええ」
「仕方がない、という言い方は可哀そうですが、施設に行けば、施設の子だと差別されるのは現実に起こることです。子供たちは、それを乗り越えるしかありません。あの子も、それは同じです。残念ですが」
「差別」
「ええ。辛い立場に立たされた子供たちなのに、社会は差別という接し方をします。でも、それが現実で、どの子も乗り越えなければならないんです。飢えて死ぬより、虐待されて死ぬより、差別を乗り越えることの方がいいと、子供たちは時間をかけて納得せざるを得ないんです。大人は、多くの大人たちは、その現実に目をつぶります。いや、気付かない振りをします。当事者も周囲の人たちも、別世界の出来事ではないのに、自分のこととは捉えてくれません。悲しいことですが、そうなんです」
「・・・」
「児童養護施設は、そんな子供たちに全てを用意してくれているわけではありません。最低限のことしかできません。食べさせて、寝る場所を確保して、修学のチャンスを提供するだけです。大人の勝手な論理で、その犠牲になった子供たちに大人がしていることはその程度のことにすぎません。里親制度も機能しているとは言えませんが、子供たちに本気で向き合ってくれている里親もいます。小さいけれど、それは光になります」
「里親の条件とか、あるんですか」
「あります。でも、先生のお宅なら、何の問題もありません」
「そうですか。一度帰って母と相談してみます」
「お願いします」
「荒木田さんは、どうやって、乗り越えているんですか」
「・・・」
「だって、子供たちに寄り添って、子供たちの辛い立場をわかっていて、ご自分が辛くはありませんか」
「ほんとに辛いのは、子供たちですから。私が泣きごと言ったら笑われます。あえて言うなら、先生のような人に出会うことができる。それが救いなんだと思います」
荒木田の目は一瞬だけ遠くを見た。荒木田の背中の向こうには、孝子の知らない荒木田の素顔があるように思えた。
家に戻って母親に里親の話をした。予想した通り、母はそれでもいいと即答した。後は、本人の了解を取るだけだ。孝子は二階に行って、真衣を連れて降りてきた。
「真衣ちゃん。あなた、うちの子になる気はない」
「えっ」
「昨日、来てくれた荒木田さんと相談したんだけど、あなたさえよければ、私も、母も、あなたに、うちの子として来てもらいたいと思ってるの。里親制度って知ってる」
「いえ」
「児童養護施設に問題あるとか、そういうことじゃないの。母はあなたにいてもらいたいと思ってる。私も、そうしてくれた方が嬉しい。どう、思う」
「わたし、施設に行きます」
「えっ」
孝子は、真衣のあまりにもはっきりとした返事に言葉を失って、母の顔を見た。
「この家が、きらい」
母が身を乗り出して聞いた。
「わたし、施設に」
「どうして」
「どうしても」
「妹さんのこと」
真衣は小さく頷いた。
「わかった。あんたの気持は、わかった。そうだよね。じゃあ、おばさんの気持ちも、言っていいかな」
「・・・」
「昔、おばさんのこと、引き取ってくれた主人の話、したよね。私、時々独り言、言ってるけど、独り言じゃないの。今でも、ここで、主人と話をしてるの」
順子は両手を自分の胸にあてた。
「あんたのことも、いっぱい、話した。孝子の事、褒めてくれたし、わたしには、自分にできることをすればいい、と言ってくれた。父さんなら、きっと、私があんたの背負っているものを一緒に背負うことを知ってる。だって、あの人は、孝子の父さんは、私の弟を、ずっと一緒に背負ってくれていたから。私も、あんたの妹の事、背負っていきたい。きっと、きっと、あの人は、そう言う。私、あの世で、父さんに嫌われたくない。だから、無理矢理でも、あんたには、ここに、いて欲しい。おばさんのために。お願い」
「・・・」
「わかった。今日、答えを出すの、やめよう。もう少し、考えてみよう。それでいい」
孝子が結論を先延ばしにすることで、三人は解散した。子供だからという甘い考えがあったことを反省した。真衣が、どうしても施設に行くと言えば、それはそれで仕方のないことだと思う。大人が勝手に、よかれと思ってやることが、子供にとっていいことだとは限らない。大勢の子供と接してきた孝子にはわかっていることだった。だが、母がここまで言い切るとは思わなかった。今は、時間が必要だと考えた。


2

高校生になれば、何かが大きく変わると思っていたが、何も変わらなかった。
真衣は孝子先生を、お母さんと呼び、そのお母さんの母親をおばあちゃんと呼んでいた。おばあちゃんの強い希望で施設に行くことを諦めたが、そのことによる気持ちの負担は背負わなければならないと覚悟してのことだった。罰を受けて施設に行くことの方が自分にふさわしいと思っていたが、おばあちゃんはそれを認めてくれなかった。孝子先生は迷っていたようだったが、おばあちゃんの勢いには勝てなかった。校区の関係で三木中学ではなく園田中学に転校し、この年高校生になった。別に期待していた訳ではないが、何も変わらない毎日が続いている。陰でつけられた渾名の「死神」は高校に来てからも無くなることはなかった。面と向かって死神と呼ばれることはないが、聞こえることを承知で言っているのはわかる。その渾名が嫌いなわけではない。命名者には、お見事と褒め言葉を贈りたいと思う。自分に最もふさわしい渾名、それが死神だった。先生の質問には答えるが、生徒間での会話は持ったことがない。返事すらしない。真衣の瞳の奥にあるものがわからないために、不気味と感じるらしい。自分の顔を鏡で見ても、不気味だと感じるのだから、他人にはよほど不気味なのだろう。殺人者の自分が友達を作って、一体、何の話をすればいいのかわからない。人殺しより死神の方がいい。
おばあちゃんは、時間がたてば、と言ってくれたが、三年経っても背負った十字架の重さは変わらない。電車の車輪の大きさとあの重量感、そして巻き上げる風。電車が通り過ぎて感じたあの恐怖と懐かしさ。草も土も小屋も、充満している空気も、生きている証拠の全てが懐かしかったあの時。二度と死ぬことはできないと知って震えていた自分の体。どんなに重くても歩き続けるしかない。何のために、どこへ。何も答えのない毎日を、ただ生きている。今という時間を乗り越えるために、そのためだけに、もがき苦しんできた。その苦しさから逃れるためだけに勉強をした。勉強に集中している時間だけは、苦しさが薄らぐような気がしたから。楽をしたくて勉強をしているなどと他の人には言えない。他人には言えないことがいっぱいあった。孝子お母さんにもおばあちゃんにも、わかってもらえないだろう。まして、同級生にわかってくれと言っても無駄なことだと思う。死神で結構。自分でもそう思っているんだから。でも、高校生になって一つだけいいことがある。真衣の高校は県内でも一番の進学校だから、他人を無視して勉強することが不思議だと思われないことだった。真衣以外にも、口を開かない生徒が何人もいる。自分の世界に入り込んで大学入試のことだけを考えているらしい。真衣には志望校も志望学科もない。一年生なので、家でもその話題は出ていない。大学入試など、真衣にとっては些細なことのように感じられていた。
この三年間で変わったこと。それは、真樹を死なせたのは自分で、共犯者などいないということに気付いたことだった。母に責任を半分押し付けて、逃げようとしていただけに過ぎないと気付いたのだ。母があの男を殺すには、十分すぎる訳があった。当然のことをしたのだと思う。それなのに、真樹と喧嘩をして家に帰してしまった。母をずたずたに切り裂いたのは、真樹ではなく、自分だったのだとわかった。母を共犯者だと決めつけていた。犯人はお姉ちゃんだと真樹は知っている。
母は三沢病院に強制入院させられていると聞いていた。どうしているのだろう。自分と同じように、いや、それ以上に苦しんでいるのだろうか。三沢病院はN市から三十分も電車に乗れば行くことができる。高校生になって電車通学になり、行動半径が広がったので三沢に行くことは冒険ではなくなっている。半年以上も決心がつかなかったのだが、化学の時間が先生の都合で休講になり、成り行きで三沢までの切符を買っていた。母と会って、何を言うのか、何も決めていないが、行くだけでも行ってみよう。
三沢駅からは、三沢病院行きのバスが出ていた。大きなバスは狭い道を苦労しながら対向車とすれ違い、十分足らずで病院に到着した。乗客は三人しかいなかったが、正面玄関に向かったのは真衣一人だった。
病院だから大勢の人が行きかっているのかと想像していたのだが、玄関を入ると、受付のカウンターの向こうに座っている女性以外に人影は全くなかった。
「どうぞ」
立ち上がった女性が手を差し伸べている。真衣は前へ進んだ。
「面会ですか」
「はい」
「これに、記入してくださいね」
書類には面会簿と書かれていた。日時と患者名と面会者名、そして関係の欄に長女と書いて渡した。緊張感で字が躍っているように見えた。
「連絡しますので、そこに掛けてお待ちください」
少し離れた場所にあるベンチに腰を下ろした。受付の女性は下を向いて電話をしている。真衣はこのまま、そっと、帰ってしまいたいと思っていた。
「成沢さん」
五分程して名前を呼ばれた。
「先生から説明がありますので、第一診察室にお入りください」
「・・・」
「そこを、左に曲がったところに診察室がありますから」
「はい」
真衣は恐る恐る歩を進めた。左に曲がると何列ものベンチが並んでいて、診察室と書かれた部屋が四部屋ほどあった。ノックして部屋に入ると、中年の白衣を着た女性が小さな笑顔で迎えてくれた。孝子先生より年上だけど、おばあちゃんよりは若い年齢に見えたが、頭にはかなりの白髪があった。
「成沢さん」
「はい」
「座って」
「はい」
「私は、成沢和子さんの主治医で奈良岡と言います」
「はい」
「その制服は高見沢高校よね。何年生」
「一年です」
「そう」
初対面なのに、奈良岡という女医は真衣の顔を懐かしそうに見つめていた。
「片岡さんの家にいるの」
「はい」
「片岡順子さん。元気かしら」
「はい」
「一度、電話で話したことがあるの。聞いてない」
「いいえ」
「そう。お母さんが、ここに入院してるいきさつは、聞いてる」
「はい」
「成沢さんが入院してきた時、私、成沢さんの家族から話が聞きたいと思って、あなたが片岡さんの家にいることを調べて、電話したの。でも、順子さんは、しばらく待って欲しいと言って、あなたの事情を説明してくれた。あなたは中学一年だった。今日は順子さんに言って来たの」
「いえ」
「自分の判断で」
「はい」
「お母さんに会ったら、最初に何を言いたい」
「わかりません」
「様子が知りたかったの」
「それも、よくわかりません」
「そう」
奈良岡先生は、書類に目を移してページをめくった。「母さんのせいじゃないよ」と言ってやりたいと思っていたが、言うと決めていたわけではない。
「最初に言っとくわ。今日は、面会を許可しないつもりなの」
「・・・」
「あなたが苦しんできたのは知ってる。いや、まだ苦しんでいることはわかる。きっと、ここにきてくれたのには、いろんな気持ちがあってのことだろうと思う。明日にでも退院できるわよ、という話ならいいんだけど。きっと、あなたには重すぎる話かもしれない。一人で決心して、ここに来てくれた。そんなあなたになら、話せると思うから。聞いてくれる」
「はい」
「ありがとう。精神科の病気については、あまり知られていない。三沢病院と聞いただけで嫌な顔をする人もまだいる。医学が進歩したと言っても、まだまだ。特に精神科の病気についてはわからないことが多い。だから、私の話は断定だと思って聞かないでね」
「はい」
「内科の病気だと、肺炎と胃潰瘍ははっきりと区別できるし、科学的な証明もできる。精神科の病気の場合は、病名はいっぱいあるけど、その区別はとても難しいの。一つ一つの症状によって病名をつけると、一人でいくつもの病気にかかっていることになるけど、精神科の場合はそういう患者さんが多い。成沢さんも同じ。それと、一般的には病気の原因を見つけて、それを治せば病気がよくなると思うわね。精神科の病気がその領域に到達するにはまだまだ時間がかかる。今、私たち医者にできることは、その場その場の対処療法しかないと言ってもいい。患者さんの話を聞き、薬を処方するのが精いっぱい。私は、胸を叩いて、まかせなさいとは言えない。治りますから希望を持ってくださいと言い続けている医者が多くて、現状ではそれが正しいのだと思うけど、私にはできない。確かに治る患者さんはいる。病気によっては薬で治る人もいる。私の患者さんだった人も治った人は多くいるけど、患者さん本人の気持ちか、神の意志が働いたとしか思えない。冷たい言い方でごめんね」
「いえ」
「成沢さんの場合、はっきりとしているのは失語症。たとえば、統合失調症やうつ病やパニック障害。症状から言えば、病名はもっとある。でも、病名なんて意味ないわね。成沢さんはあの事件で心を壊してしまった。希望は時間が治してくれるかもしれないと言うこと。そうなった時には、あなたの力が必要になると思う」
「はい」
先生は白い紙を取り出して、そこに四本の線を引いた。
「ここが健康な人。そして、ここが病気のひと。そして、この間にあるのがグレーゾーン。意味わかる」
「はい」
先生はその紙に曲線を何本も引いた。たぶん、バイオリズムを表しているのだろう。
「私は、この線。あなたは、この線かな、それともこの線」
「こっち、です」
「私と一緒なんだ。精神科の医者なのに、自分で危ないと思うことがある。お母さんの場合は、こんな線になる」
先生は赤のボールペンで新しい線を引いた。グレーゾーンと病気を跨る線だった。
「この幅が大事なの、こうなるためには」
先生は赤い線をカーブさせながら、健康ラインの上まで持ち上げた。
「でも、今は、ここにいる」
病気ゾーンの中間あたりにある赤い線の一番下をボールペンで塗りつぶした。
「なにかあれば、ここまで行ってしまうかもしれない」
病気ゾーンの一番下にある線を指した。
「今は、あなたに会うことが、いい方向に行くとは思えないの。せっかく、来てくれたのに」
「いえ」
「成沢さんの症状がここまで悪くなったのは二度目。一度目はテレビで火事のニュースを見た時で、今回は散歩の途中で子供の姿を見たためだと思う。あの火事で妹さんも亡くなったのよね」
「はい」
「科学的根拠はないけど、私は治ると思ってる。こんな医者の勘だけじゃ信用できないと思うけど、私は自分の勘を結構信用してる」
「はい」
「どうしたの。怒った」
「いえ」
「わたし、少し、言いすぎたのかな」
「いえ。違うんです」
「そう」
「ただ」
「うん」
「やっぱり、私が悪いんだと思って」
「あなたが」
「ええ」
「話してみて。お母さんのためになるかもしれない」
「母さんは、悪くないんです」
「うん」
「私が悪いんです。私のせいで、母さんも」
「ちょっと、待ってて」
先生はドアを開けて出て行った。真衣は先生の書いた赤いボールペンの線を見た。重い十字架を背負っている自分も苦しいが、母はもっと苦しんでいるのだ。あの時、真樹と喧嘩などしなければ、母もこんな苦しみを味わわなくてもすんでいた。真衣は息苦しさに自分の体を抱えた。
「だいじょうぶ」
戻ってきた先生が後ろから真衣の肩に手を当てた。
「ええ」
「お茶でよかった。私、コーヒー駄目だから」
「はい」
「よかったら、飲んで」
「はい」
二人は、缶を開けてお茶を飲んだ。
「私」
「うん」
「私のせいなんです。真樹が死んだのも、母さんがこんなことになったのも」
「うん」
真衣は、真樹と喧嘩したこととその原因を話した。
「母さんは、真樹が帰ってきていることに気がつかなかった。私は、最初、母さんのことを恨みました。真樹を殺した共犯者だと思いました。でも、私が真樹を一人にしたことが全ての原因なんです。母さんは悪くない。真樹を見てたのは、私ですから」
「ううん」
「あの男から逃げるために、母さんがしたことは、間違っているとは思いません。母さんは私と真樹のことを守りたかっただけなんです」
「わかったわ。あなたは、この三年間で、そういう結論を出した。重かったでしょう。いや、今でも重いよね」
先生は重いと言った。この先生には私が背負っているこの重い十字架が見えているのだろうか。真衣は初めて先生の目を見た。
「あなたの目を見れば、その重さはわかるよ。先生も泣きたい。泣いていいよ」
「いえ。もう、泣けないんです」
「泣けない」
「最初は泣いてばかりでしたけど、いつからか、泣けないんです」
「それは、苦しいね」
「いえ。もう慣れました」
「私、さっき、治る人がいると言った。本人の力か神の意思かわからないけど、この苦しい世界から抜け出す人がいる。医者だから科学者のつもりだけど、人間の知恵では追いつかないものがあることも体験してる。信仰心も薄いし、もちろんクリスチャンでもないから、私が言う神は仏様でもキリストでもないんだけど、神の意志みたいなものはあると思っている。人間の力ではどうすることもできない力があると思う。科学を武器にして病気と闘っている医者が、そのことを一番実感しているんじゃないかと思う。自分たち医者は、病気に対して弱い立場だから。だから、必死に戦おうとしているように見える。妹さんの事は、あなたやあなたのお母さんの力ではどうすることもできなかった、そんな力が働いたと私は思う。たぶん、それが正しい答えのような気がする。私があなたに、あなたのせいじゃないよ、と言ったところで何の力もないよね。でも、神の意志があると思っている人間がいるということも知っておいて欲しい」
「はい。ありがとうございます」
先生が真衣に力を与えようとしていることが伝わってきていた。
「成沢さん」
「はい」
「もう、これ以上、無理、と思ったら、また、ここに来て。私に何ができるか、約束はできないけど、できる限りのことはする。お母さんにあなたの気持ちを伝えるチャンスがあれば伝える。お母さんに会うのは、もう少し先にして頂戴。ごめんね」
「ありがとうございます。来るまでは不安だったんです。でも、来て、よかった。母の事、よろしくお願いします」
「私にできる範囲だけど、頑張るわ」
真衣は立ちあがって奈良岡医師に頭を下げた。孝子先生やおばあちゃんとは違う近さを感じさせてくれた医師に感謝の気持ちを込めた。
「えっと、真衣さんだったわね」
「はい」
「また、来てくれるよね」
「はい」
「次は会えると、いいね。お母さんに」
「はい」
真衣は病院の玄関を出て、建物を見上げた。この中に、苦しみ続けている母がいる。いつか、生き続ければ、母と暮らせる日があるかもしれない。真樹を死なせた犯人は自分なのだから、母を支える責任は自分にある。
バス停に着いたが、バスは一時間に一本しかない。おばあちゃんは心配してるだろう。病院まで戻れば公衆電話があるかもしれないと思ったが、三沢駅から電話しても間に合うだろうと考えた。真衣は高校生なのに携帯電話を持っていない。片岡のお母さんは、買いなさいと言ってくれたが、友達もいないのに携帯電話など必要なかった。こんな形で携帯電話が必要になるとは思わなかった。
三沢駅の公衆電話からおばあちゃんに電話をして、三沢病院の帰りだと知らせた。
園田駅に着いた時には八時を過ぎていた。駅前なのに八時を過ぎると閉める店が多いせいで、人通りも少なく全体に暗い印象がある。特に廃業したゲームセンターの前は暗かった。
無意識のうちに足を速めていたが、三人の男に道を塞がれた時は驚きのあまり声も出なかった。男たちも無言で真衣の両手を押さえ、暗い建物の裏に連れ込もうとした。危険信号が真衣の中で鳴り響いている。真衣は抵抗して足を止めたが、両脇にいる男の力はより強いものになった。
「た・・」
助けて、と叫ぼうとしたが、腹部に激痛が走り、声が消え、その場に崩れ落ちた。誰かに殴られたという経験はなかったが、殴られたことはわかった。暴力の怖さに身が縮んだ。
「声、出すんじゃねぇよ」
髪をつかみ上げられ、両脇の男が体ごと持ち上げるような力で真衣の体を立たせた。後ろにいた男が正面に来て、真衣の顔を両手で掴んだ。
「痛いの、嫌だろ。すぐに済むから。な」
真衣は男たちから逃れるために身をよじった。顔に激痛が走り、目の前が暗くなる。
「た・・」
又、腹部に痛みが走り、吐き気で息が苦しい。それでも、続けざまに何度も殴られ、真衣の意識は一瞬だが遠のいた。
宙を飛んでいる自分に気が付き真衣は体を捩った。その直後、顔面に衝撃を受けて、頭を上げた。フェンスが見え、電車のレールが光っていた。真衣の両脇に男が二人倒れている。
「何、やってんだよ。だらしねえな」
リーダー格の男が笑いながら、真衣の上に馬乗りになってきた。両手を膝で押さえられて身動きが取れないが、まだ動く両足で抵抗した。
「まだ、やるか。この女」
男の両手が右から左から真衣の顔面を捉えるが、真衣には逃げる隙間がない。また、意識が遠のいていく。
目を開けると、下半身を露出した男の姿が足元に見えた。襲われる。その時、自分が消えたような不思議な感覚になった。真衣は両腕を前に出し、静かに男に抱きついた。男の首に顔を密着させ、ゆっくりと男の喉に噛みついた。男の体に衝撃が。真衣は更に強く噛んだ。逃れようとして後ろに倒れこむ男。だが、真衣の歯は男から離れない。二人の体が一つになって倒れこむ。男の体が痙攣している。
仲間の男たちが、フェンスを乗り越えて逃げて行き、別の人影が現れた。
「離れなさい」
真衣は男の喉に噛みついたまま、目を上げると、警察官の姿が見えた。力を抜いて歯を男の首から離した後、真衣は本当に気を失った。
次に、真衣が目を覚ましたのは鉄格子の中だった。
どこにいるのか、何が起きているのか理解できないが、近くに下着が落ちているのに気付いた。それは、自分の下着だった。誰もいない静かな板間の上で下着を付ける。体中が痛みに悲鳴を上げている。顔の左が痛い。鏡を見るまでもなく、腫れあがって熱を持っているし、何かで汚れているのがわかる。男に襲われ、抵抗し、男の喉に噛みついたことを思い出した。恐怖心がぶり返し、体を震わせる。あの時は自分を守ることに必死で恐怖心を感じていなかったのかもしれないが、圧倒的な衝撃が襲ってきた。声が漏れ、それは悲鳴になった。
鉄格子の向こうに警察官が姿を見せた。
「静かにしなさい」
だが、真衣の悲鳴は止まらない。いや、自分の意志では止まらない。手を握り締めても、体を折り曲げても、体の震えと悲鳴は制御できない状態になっていた。三年前の放火犯の女のことを知っている看守がいたら、宿命のようなものを感じていたかもしれない。そこは真衣の実母が留置されていた場所でもあった。
時間が経ち、悲鳴が泣き声に変わり、そして静かになった。
放心状態の後に、強い眠気に襲われ、真衣は壁にもたれたまま寝入っていた。
「起きろ」
体を揺さぶられて目を覚ました真衣は、間近にいる男の顔を見て思いっきり突き飛ばした。
「おう」
後ろ向きに倒れた男は警察官の制服を着ていた。背広姿の男が中に入ってくる。立ちあがって逃げようとした真衣は板の間に叩きつけられていた。右腕がねじられ、膝で押さえつけられた真衣は動くことができなくなっていた。
「大丈夫ですか」
「ああ、何なの、この女」
「気、つけてください。男を噛み殺そうとした女ですから」
「まじ」
「腰ひも、お願いします」
「わかった」
制服警官が出て行った。
「まだ、暴れるようだと、何度でも投げ飛ばしますよ。わかりますか」
「・・・」
「言いたいことがあったら聞くから、大人しく。わかったかな」
「・・・」
「返事をしろ」
真衣は首を縦に振って見せた。
腰紐と手錠をかけられて、エレベーターで二階の小さな部屋に連れられて行った。
すぐに別の背広姿の男が部屋に入ってきて、真衣の正面に座った。
「名前は」
「・・・」
「名前」
「・・・」
「だんまり、か。あんたは、傷害の現行犯で逮捕されている。わかってるのか」
傷害?
現行犯?
何、それ。
「なんだ。その目は。相手は重体で、手術中だぞ。おいっ」
真衣は男から目を逸らした。
「坂本。学生証」
「はい」
「成沢真衣。高見沢高校の一年生。そうだな」
男は学生証の写真と真衣の顔を見比べた。
男は刑事だと思うが、その態度を見ていると口を開く意欲は無くなっていた。
「何をした」
「・・・」
「なぜ、あんことをした。痴話喧嘩か」
「・・・」
部屋のドアが勢いよく開けられて、別の男が入ってきた。
「おじさん」
「西崎さん」
「ん」
「西崎さん、非番ですよね」
「真衣ちゃん。どうした、その顔」
「西崎さん。まずいっすよ。自分が担当してますから」
西崎刑事は片岡の母の友人で、西崎の家には母に連れられて何度か行っているし、西崎の妻の聡美は母の親友でもあった。
「ちょっと」
真衣の前に座っていた刑事が西崎に呼ばれて部屋を出て行った。

「西崎さん。この件は自分が担当ですし、非番の西崎さんが口出しするのはまずいでしょう。どうやら個人的にも知っているようだし、課長に話、通してくださいよ」
「わかってる。何があった」
「もう」
「何があったのか、聞いてるんだ」
「あの女が男の喉に噛みついて殺そうとした。今は傷害の現行犯です。現着の警察官が目撃してますから、間違いありません。被害者は手術中です。病院には宮本がいます。命に別条はないようなんで殺人にはなりませんけど、処置が遅れていれば死んでいた可能性もあるそうです。これは消防の話ですけど。何か問題ありますか」
「事情は」
「それを、今から聞くとこですから」
「あの怪我は」
「それを、今から聞くんですって」
「被害者の男は」
「中央病院です」
「取り調べは、ちょっと待て」
「はあ」
「いや、ちょっとだけ待ってくれ」
「ですから、課長に」
細川巡査部長は一年前に西警察署に赴任してきた。県警本部にいたことで、最初から所轄の西崎たちを下に見る態度は誰からも好感を持たれていないのに、本人にその自覚がないのでは変わりようがなかった。警察では縦の関係が民間より厳しい。階級の上下。上司と部下の関係。そして、先輩後輩の関係。それ以外にも本部と所轄の関係もある。西崎と細川は階級では同じだが、先輩後輩の関係では西崎の方が五年ほど先輩になる。だが、細川は西崎に敵対心のようなものを持っているらしく、西崎のことを所轄のダメ刑事と陰口をきいていることも知っている。課長も細川の扱いには困っているようなので、課長の立場も考えなければならなかった。
西崎は独断で病院に向かった。
中央病院の外科手術室の前には、若手の宮本刑事がいた。
「ご苦労さん」
「西崎さん」
「どうだ」
「もう、終わると思いますけど、今日は非番じゃ」
「まあな」
「現場では、呼吸困難状態で、消防が気道確保に苦労したらしいです。喉に噛みついたまま睨んだ女の顔は肉食動物の顔だったと、現着した大村が言ってました」
「そうか。被害者の身元は」
「ええ、免許証持ってました」
「免許証は」
「多分、受付にあると思います。細川さんには連絡入れました」
「そうか」
宮本の知っている範囲の事を聞いて、西崎は病院の事務所に向かった。
この事件は細川の担当事案であり、その細川の協力が得られなければ自分で調べるしか方法はなかった。加害者と被害者、そして犯行現場。
片岡孝子も成沢真衣も知っている。確かに暗い女の子だが、真衣が傷害の加害者になることなど考えられない。
事務所で被害者の所持品を見せてもらった。免許証の名前は芝原浩次。一年前までは何度も目にした名前だった。中途半端なワルだった。送検こそされなかったが、刑務所への一本道を歩いている男と言える。西警察署の管内から姿を消していたが、戻ってきたのだろう。仲間の話を聞かなければならない。西崎は栗田正夫の家に車を走らせた。
栗田正夫の母親と少し険悪な会話になったが、なんとか正夫を外に連れ出した。
「浩次。いつ戻ってきたんだ」
「つい、最近、かな」
「今、どこにいるか、知ってるか」
「知らねえよ」
「今日、一緒だったろ」
「いや」
「じゃ、お前はどこにいた」
「ずっと、家にいた」
栗田正夫の目は泳いでいる。裏を取るのは後でいい。
「なんで、逃げた」
「は」
「あの現場にいたんだろ」
「知らねえよ」
「まあ、いい。でもな、深みにはまる前に、あいつとは切れろ。おふくろさん、泣くぞ」
強がりを言っているが、栗田正夫は気の弱い、どちらかと言えば優しさをどう使っていいのかわからないまま、芝原浩次に使われているような男だった。
宮本刑事から聞いた現場の状況と、怪我をしたのが芝原浩次という男だったということがわかれば簡単に絵が描ける。強姦犯が芝原で、真衣はその被害者。女の逆襲に重傷をおった情けない犯罪者という構図になるのだろう。
西崎は署に戻り、課長に報告した。
「神野」
神野刑事は刑事課の紅一点。融通はきかないが真面目な刑事だと西崎も信頼している。
「もう一度。話してくれ」
西崎は神野に自分の調べた範囲の話をした。
「細川に変わってお前が話を聞いてくれ」
「はい」
「被害がなかったのかも」
「わかってます」
神野が部屋を出て行った。
「なんで、お前がからんでる」
「あの子の母親は、自分の古い友人なんです。母親と言っても里親ですけど」
「里親」
「ええ。三年ほど前にあった放火事件の生き残りです。火をつけたと思われるのは、あの子の実の母親で、今は強制入院している筈です」
「ああ、あの事件か。薬局の家にもらわれた子が、そうか」
「はい」
「そして、今度は強姦事案か」
「ええ」
その時、細川刑事が顔色を変えて部屋に入ってきた。
「課長。どういうことです」
「ん」
「なんで、神野が出てくるんです。納得いきません。それに、西崎さんがここにいるのは何なんです」
「西崎。話してやれ」
「はい」
西崎は芝原浩次と栗田正夫のことを話した。
「あの子、何か話したか」
「いえ。ずっとダンマリです」
「女の刑事の方が話しやすいと、課長が判断した。そうですね、課長」
「ああ」
「でも、女があそこまで、しますか」
「細川。まだ何も固まってない。神野が話を聞き出せたら、裏を取れ。わかったな」
「はあ」
西崎は部屋を出て、取調室へ向かった。取調室の前には坂本刑事が立っていた。
「どうした」
「神野さんに追い出されました」
「そうか」
今、部屋に入れば西崎も追い出されることが容易に想像できた。西崎は署の建物を出て、煙草に火をつけ、孝子に電話を入れた。
「無事なのね」
「ああ」
「いつ、帰してくれるの」
「まだ、時間はかかる」
「そう」
「大丈夫。俺が送り届けるから」
「うん。ありがとう」
「孝子。もう、脅しはなしだぞ」
「わかってる。全部忘れる。あの子の事、お願い」
「ああ」

「驚いた。でも、すごい。よくやった。私はそう思う」
真衣の話を聞き終えた神野刑事は、眩しそうに真衣を見た。
「明日、レントゲン撮りに行こう。それと、その怪我も」
「・・・」
「骨折があるかもしれないし、内臓も心配。今はまだ気が張ってるから、わからないということもある。念のためよ」
「はい」
「ごめんね。最初、失礼があったと思う。特にあいつは。西崎さんが動いてくれてよかった。ほんとに、ごめんね」
「西崎さんが」
「結構、頼りになるんだよ、あの人は」
「はい。家に電話してもいいですか」
「もう少し、待って。西崎さん呼んでくるから、相談してみて」
「はい」
暫くして、お茶のボトルを持った西崎が部屋に入ってきた。
「すまなかったな」
「いえ」
「孝子には電話しといた」
「すみません。怒ってました」
「いや。心配してた。あんな孝子、初めてだよ。本物の親子みたいだった。でも、きっとあいつは、真衣ちゃんの顔見たら、怒ると思う」
「うん」
「真衣ちゃんは、大丈夫か」
「さあ」
「ん。おじさんでできることがあったら、遠慮するなよ」
「うん。ありがとう」
「顔、痛いか」
「少し」
「神野、呼んでくるわ。その血だけでも取っておいた方がいい。孝子やおばさんが目を回すと困るし」
「神野さんって、さっきの刑事さん」
「ああ。それと、家に帰れるように話してみる。これで、終わった訳じゃないけど、帰りたいだろ」
「はい」
「もう少し、待っててくれ」
「うん」
しばらくして戻ってきた神野刑事がトイレに連れて行ってくれて、顔の傷の手当てをしてくれた。
「少し腫れてるけど、傷は大したことないと思う」
「はい。すみません」
「あなた、強い子ね」
「そんなことありません」
悪いことには慣れてるだけなのだ。
「そう」
最初の刑事に犯人呼ばわりされて、その怒りで怖さがどこかに行ってしまった。あのカラオケハウスの駐車場での出来事が他人事に思えている。
一時間後に、西崎の車で家に向かった。
「自分で、話せるか」
「うん」
「俺が、話しようか」
「大丈夫です」
「そうか」

学校は二日休んだだけで、真衣は元の生活に戻った。いや、そう見えるように頑張った。暴力の恐怖は、まだ真衣の体を震わせる。事件を知っている西崎刑事や神野刑事、そして孝子母やおばあちゃんは優しくしてくれるが、一人で立ち向かわなければならないということを思い知らされているような気もする。真衣も世間の壁というものを身近に感じる歳になった。病院の母が、よく世間という言い方をしていた。世間に守られているのは自分ではなく、世間からはみだした存在の自分を守るのは自分しかいないのだと、自覚を強いられているようにも感じる。
事件から十日ほど過ぎ、神野刑事が片岡薬局にやってきた。孝子母が早く帰宅していたのは西崎の要望があったからのようだ。
「今回の事件のことなんですが」
警察署で会った時の神野刑事と雰囲気が少し違うと感じた。
「ご存知かと思いますが、強姦罪は親告罪と言って被害者による被害届によってのみ成立する犯罪です。つまり、被害届を出さなければ犯罪とはなりません。被害者側にもいろいろな事情があり、被害届が出ないケースは決して少なくはありません。真衣さんの場合は未遂ですが、これも犯罪です。今頃、こんな話をするのもどうかと思いますが、真衣さんやお母さんの考えをお聞きしたくて来ました」
「被害届を出せ、ということですか」
孝子が固い表情で質問した。
「いえ。これは、警察がどうこうしろという話ではありません」
「問題があるのは知っています。特に若い女性の場合は、その人の人生に大きな影響を与えることになる、とも聞いています。まだ、家族で、その話はしていません。できません」
「そうですよね。でも、警察としてはお話をお聞きしなくてはなりません。残念ですが、申し訳ありません」
「いえ。あなたが謝ることではありません。でも、何も話をしていないんです」
「はい。では、一度話し合っていただいて、ご連絡いただけませんか」
「ええ。そうします」
家族の固い表情に見送られて、神野刑事も固い表情で帰って行った。
「真衣は、どう思う」
「わからない」
「そうよね。私も。母さんは、どう思う」
「これは、やはり、真衣の気持ちが一番じゃないかねえ。辛い時に、追い打ちをかけるようだけど」
「しばらく、考えてみようか。真衣」
「うん」
「神野さんの言ってた意味、わかるよね。裁判とか、世間とか」
「うん」
孝子が一人になるのを待ってたかのように、西崎から電話がきた。
「うちの神野が行っただろ」
「うん」
「そのことで、話したいことがある。今から出れるか」
「わかった」
商店街のはずれで西崎の車が待っていた。
「被害届の件だけど」
「うん」
「どうする」
「まだ、わからない」
「この件は、俺から話を聞いたと言ってもらっては困る。そん時は、本気でお前と絶交する。そのつもりで聞いてくれ」
西崎の顔はいつもと違って深刻だった。
「うん」
「実は、向こうの弁護士が出てきた」
「弁護士」
「ああ。加害者の男はろくでもない奴だが、父親は一応真面目で、社会的にも通用する男だ。勿論、名前も職業も言えないけどな。だから弁護士が出てくるのは仕方がない。犯人の男の怪我、知らないよな」
「うん。真衣は詳しく話をしない」
「そうだろうな。真衣ちゃんは、男の喉に噛みついたんだ」
「喉」
「パトカーが行った時には、呼吸困難になってた。消防が応急手当をして、病院で手術して、命に別条はなかったが、危なかった」
「そう」
「ただ、後遺症は残るらしい」
「後遺症」
「声が出なくなるかもしれない。声帯が潰れていたんだそうだ」
「・・・」
「向こうの弁護士は、これは傷害だと言ってきた」
「傷害」
「ああ」
「だって、悪いのは、その男でしょ」
「ああ」
「そんなの、変」
「わかってる。だが、その部分だけ見れば、間違いなく傷害になる。向こうは、なぜ送検しないのだと言ってる。送検して不起訴になるのであれば、それはそれでいいと」
「いやがらせ」
「被害届が出れば、警察の処置を表に出すらしい」
「被害届を出すな、ということ」
「ああ。喧嘩両成敗だと」
「喧嘩じゃないでしょう」
「そんなこと、相手は百も承知で言ってる」
「でも、神野刑事はそんなこと、何も言わなかった」
「だから、俺が言ってる。ほんとは、こんな話、ばれたら、俺は首だ」
「ひどい」
「ああ。やってられないよな。孝子が戦う気なら、それでもいい。ただ、泥仕合にはなる。正当防衛なのか過剰防衛なのか、裁判所の判定になるが、負けるとは思わない。でも、こちらにも覚悟はいる。あの子には辛いことになるかもしれん」
「なんてこと」
「向こうは、父親の世間体だけは、何が何でも守る気らしい。あの弁護士なら、被害者の名前のリークぐらいしそうだし、あの子の母親のことも出てくるかもしれない」
「もう」
「こんな話、あの子にはできない。お前が判断するしかないだろ」
「母親の役ってこと」
「ああ」
「西崎君には、迷惑かからないの」
「俺の事は、いい。だけど、この話は絶対に他に言うなよ」
「わかった。考える。時間は、ある」
「あまり、ない。向こうには早く決着したい事情があるみたいだ」
「そう。でも、話してくれてありがとう。西崎君には世話になるばかり。ごめんね」
「お前から、礼を言われるのも、な。もう、母親なんだな、お前」
「そうなのかな」
「ああ」
西崎と別れて商店街を歩きながら、考えをまとめようとしたが、孝子の頭の中は軽いパニック状態だった。何も持たずに家を出たので持ちあわせはなかったが、孝子は喫茶店に入った。もう70歳にはなる桝本老人が一人でやっている喫茶店で、学生の頃から知っている。
「おじさん。つけで、コーヒー」
「あいよ」
客の姿はなく、商売になっているのかと心配になるが、今の孝子にははるかに大きな心配がある。自分には強姦の体験などない。怖かっただろう。だが、それは貧弱な想像に過ぎないということがわかっている。だから、真衣がどんな気持ちなのか、今、何を思っているのか、わからない。そして、親としての責務は何なのだろうという問いにも答えは見つかっていない。守りたい、いや、守ると思っても、守ると言うことがどういうことなのかわからなくなっている。親は「長いものには巻かれろ」としか言えないのか。弱肉強食という現実の前に立たされ、立ち往生している。「法は強者のためのもので、弱者の味方などではない」と言い切った友人がいた。自分の中で、いかに漠然とした理解が多かったのかがわかる。教師としては失格なのだろうか。いや、人間としてはどうなのだろう。
戦うことが正義なのだと思う。でも多くを失っても、それでも戦う価値があるのだろうか。一番傷つくのは、一番守ってやらねばならない真衣なのだ。これは教壇の上でのきれい事ではすまない。母親が子供の痛みを少しでも小さくしたいと思っちゃいけないのか。



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