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無力-3 [「無力」の本文]


 参謀会議は静かだった。衛星写真を見ただけで状況が変化しているのは明らかだったからである。傍受通信の量も急激に増えた。マニュアルに従って空自のP3Cが飛び、海自のイージス艦は、通常の訓練計画を変更していて、すでに日本海の真ん中にいた。十分前には、官邸の危機管理室の立ち上げを具申しており、必要とされる要員は官邸へ向かっていた。各隊の幕僚長も、三十分後には参謀会議室から官邸へ移ることになる。防衛庁内にある有事作戦会議室と官邸の危機管理室はオンライン化されており情報の共有ができるので、各隊の参謀の大半は残っていた。
防衛警戒レベルが引きあげられたことで、各基地では出動準備が始まっている。参謀会議では、部隊の編成と派遣区域の決定をしなければならないが、先ずは緊急配備を第一次出動として、小編成の部隊を動かす必要があった。
「問題点を整理します。まず、政府発表がどのようにされるかが一点。これが北の上陸作戦だとして、その上陸地点をどのように想定するかが二点目だと思われます。三点目は民間人の避難をどうするかです」
会議の進行を担当する町村が出席者の表情に注視していると、陸自が発言の挙手をした。
「上陸地点に関しては、新潟、金沢、舞鶴、鳥取の四ヶ所を想定します。ただし、緊急配備ということであれば、十分な兵力とはなりません。また、それ以外の地域であれば、空自の機動力を初動に当てる等の対応が必要と考えます。これらの想定の前提は、海上で掃討できなかった敵に対してであります。写真で見るかぎりでは、相手は漁船や貨物船のようなので、それほどの抵抗は無いと思っております。また、民間人の避難に関しては、政府発表にもよりますが、訓練をしたことの無い民間人に避難は難しいと思います。我々が避難誘導をしたとしても、指示に従ってくれるとは思えません。つまり、避難しなくても済むようにしなければならないということです」
陸自の安藤一佐が淡々とした口調で言った。前回の参謀会議では、どこか感情的なやり取りがあったが、今回は誰もが冷静であった。本物の作戦立案は誰にとっても初めてのことだったが、三軍を統合した参謀本部が十分機能するという予感が持てた。各隊が具体的な投入戦力想定を時系列で組み上げる作業に入ったところで、各幕僚長は官邸の危機管理室へ向かうために部屋を出て行った。北山将補も席を立ち、加代が待っている会議室へ向かった。
「待たしてすまん」
「いいんです」
「かなり重い話だが、まず聞いてくれ」
北山は現状の概略を話した。共和国の東海岸に船舶が集結していることだけでは脅威にはならないが、それらの船舶が日本を目指して動き出せば大きな脅威となると言った。数千隻の船に数万人の軍人が乗っていて、彼らの日本上陸を阻止できなかったら、民間人に犠牲者が出る危険性が高くなる。
「武田二尉には会ったな」
「はい」
「科学的でないと言われればそれまでなんだが、あの男の直感は無視できないものがある。今の事態がどの程度のものなのかは現実に起きてみなければ何とも言えないが、武田二尉の直感は最大級の危険を感じているらしい。私と町村の心配は、民間人の捕虜なんだ。撃退は可能だと信じているが、あいつの直感が気がかりなんだ。だから、このことをリークして民間人の避難が出来ないものかと思った。勿論、このことが明るみに出れば、私も町村も軍法会議にかけられるだろう。一人でも二人でも避難することができれば、軍法会議でもいいと町村が言い出して加代に声をかけた。だが、町村はこの事に加代を引きずりこむことに危険を感じたらしい。私もそう思う。今、この件で作戦会議が進行中なんだが、民間人の避難の件は賛同を得られなかった。だから、今回のことは全て加代の胸の中にしまい込んでもらいたい。この場にいて、放送も聞いてしまったんだから、異常事態が発生していることは知ってしまったことになる。あの放送はこの階だけだから、民間人で聞いたのはお前だけということになる。現状を話したのは、承知の上で他言無用にしてもらいたいからなんだ。わかってもらえるかな」
「わかったわ。そうする」
「すまん」
加代は叔父の後を歩いて歩哨の立つドアまで行った。頭の中は混沌としていて、宙を歩いて一階のホールまできた。そこは、いつもの防衛庁の正面玄関で、緊迫した様子も無かった。新しいIDカードをバックに入れて、周囲を見渡した。
「どうかした」
「えっ」
他社の松本という女性記者から声をかけられた。
「顔色悪いわよ」
「ええ。風邪気味で」
加代は無理やり笑顔を作ったが、その記者は怪訝な顔をした。 二時間ほど経って、少し落ち着いた加代は社に戻った。帰りしだいすぐに報告するようにというメールがあったので、加代は大田の部屋のドアを叩いた。
「どうだった」
「申し訳ありません。私、参謀の町村さんとお付き合いしています。前に、防衛庁の中を案内して欲しいと頼んだことがあったんですが、今日はその呼び出しだったんです。公私混同で申し訳ありませんでした」
「そういうことか」
部屋に戻った加代は、官邸担当の記者に知人がいないか確かめるために人事資料にアクセスした。同期入社の斉藤愛子がいるらしい。研修期間が終わった後はほとんど付き合いも無かったが、他に話の聞けそうな人は見当たらなかった。政治部に電話をして斉藤の携帯番号を教えてもらい電話を入れた。
「北山加代です。憶えてます」
「もちろん。憶えてるわよ。企画部に変わったんだって」
「そうなの。新米記者」
「一課で何の担当」
「遊軍みたいなもので、まだ勉強中」
社内的にも企画部五課は存在しない。一課でも特命プロジエクト要員という扱いで、詳細を知っているのは、一課の佐々木課長だけだろう。五課の課長も一課ではただの社員扱いだった。勉強したいので、官邸のぶらさがりを見たいと、斉藤に頼んだ。
「いいわよ。いつ」
「今からでもいい」
「急ね。何かあった」
「ごめん。そういうことじゃなくて、そこに愛子がいるのを知らなかったの」
「ん。まっいいか。すぐに来る」
「一時間後でいい」
「いいわ。正面玄関で待ってる」
大田に対して嘘の報告をしたが、それで丸く収まったと思っているわけではない。政府の公式発表を直接聞いて、自分の行動を決めたかった。


 統合参謀本部は、まとめた一次作戦案を官邸に伝送した。自衛隊の作戦出動は総理大臣の指示に基づき、防衛庁長官が出動命令を発動する。陸海空の各隊は、その出動命令に迅速に対応するために行動を起こしていた。町村たちも統合作戦司令室につめっきりになる。静止軌道にある気象衛星がオプション動作に入っていて、日本海の画像データを一時間に二回送ってきていた。船の種類、大きさ、そして船上にいる人数などは判別することができるが、武器の有無などは判別できない。北の共和国海軍の艦船には動きがないので、軍事力評価の判定は困難としか言えない。漁船や貨物船が通常どおり出港したということで、それらの船の数だけが異常値を示しているにすぎない。現象を素直に判定すれば、大量難民の発生とみるのが正しい。官邸の危機管理室での方向も難民問題に収斂していて、自衛隊は念のためのオブザーバー的な立場でしかないようだった。ただ、難民問題に直面したことの無い日本にとっては難しい問題であることに変わりがなかった。
加代が官邸の正面玄関に着いたときには、斉藤は腕章を持って待っていてくれた。
「ごめんなさい。急に無理言って」
「久しぶりね。これって特命プロジエクトっていうやつ」
「うんん。研修項目なの」
「そう。最初、あなた記者志望だったわよね。総務部に行ったから、どうしたのかなと思った。何かあったの」
斉藤は、加代の急な話に、何かあると思っている様だった。同期入社とは言っても、何年も音信が無かった者から電話があれば疑っても無理はないだろう。記者歴五年の勘が納得していない。
「教えなさいよ。何があったの。官邸に関することなの」
「ほんとに、そんなんじゃないって」
「わかった。言えるようになったら、私に一番に教えてくれる」
加代は返事をせずに、小さく首を縦に振った。
「何が知りたい」
「変わったことない」
「特に無いとは思うけど、自衛隊法の改正案のヒヤリングということで、制服さんが来たわね。幕僚長が三人揃うと、ちょっと危険な匂いがするけど、誰もなにも言ってなかったな」
「定例の記者会見では」
「いつもどおりだと思う」
「そう。しばらくついて回っていい」
「いいわよ。初めてでしょう、官邸。案内するわ」
二人は別館へ向かった。官房長官の定例記者会見の時間が近づいていて、会場には各社の記者やカメラが集まり始めていた。テレビでは見たことのある記者会見室は、ざわめいているだけで緊張感はなかった。
「初めて」
「ええ」
「もう少し時間があるから、記者クラブに行ってみようか」
加代は出来るだけ多くの情報が欲しかった。記者クラブのブースでは先輩記者に挨拶をしたが、誰も企画室の記者には関心を示さなかった。
「企画室とは、あまり良くないの。秘密主義というか、情報を出さないから。挨拶してくれただけでも、たいしたものよ。みんな美人には弱いからかな」
斉藤が声を抑えて解説してくれた。初めての記者クラブは独特な雰囲気で、加代は自分が部外者であることを痛感した。斉藤がいなければ、ここに来ることも出来なかっただろと思った。また企画室の評価を悪くすることになるのだろうが、加代の持っている情報は出せるものではなかった。いつか、斉藤には謝ろうと思っていた。
記者会見場に津田官房長官が入ってきて記者会見が始まった。加代は最後部に一人で座っていた。淡々とした口調で発表が始まり、短い時間で終わった。質問事項も数が少なく、官邸での日常業務が支障なく終わりをつげたが、北の共和国の話題は何も出ない。津田官房長官は小さな笑顔を見せて部屋を出て行った。加代は斉藤の姿を捜したが見当たらなかった。何の収穫も無かったが、斉藤に礼もせずに帰ることは出来ない。加代は、重い疲労感を感じた。参加者が部屋から出て行く。カメラクルーが機器の片付けをしているだけになったが、斉藤の姿は無かった。加代は椅子から立ち上がれずに、目を閉じた。自分に出来ることは何も無いことはわかっているが、何かをしなければならないとも思っている。人の近づく気配で目を開けると、斉藤が戻ってくるところだった。
「何かあるわね。官房長官が危機管理室へ向かったように思えるのよ。なんだろう」
「ごめんなさい」
「そんな悲しい顔しないでよ。何かあったら連絡する。話せるようになったら、約束どおり一番に教えてよ」
「ほんとに。ごめん」
「元気出しなさい。記者に貸し借りはつきもの。ちゃんと返してもらうから」
斉藤に肩を叩かれて、加代は官邸を後にした。


「発表は何もしないそうだ。難民対応が当面の議題になっている」
「それでも、なんらかの発表をしていただくわけにはいきませんか」
町村は厳しい目で北山本部長を見た。
「無理だろう。幕僚長の話では、危機管理室は学級委員会らしい。外務省主導ではなにも出来んわな」
「あれだけの船を集めることも、一斉に行動を起こせるのも、この事態が軍主導でやられていることは明白です。明らかに軍事行動です」
「そんなことは幕僚長も承知している。だがな、うちの長官があれではな」
防衛庁内では禁句になっている長官批判を北山がするのは、北山もかなり苛立っているということだった。若き女性市民活動家だった井上和美長官は、組閣の目玉として当選一回で防衛庁長官に就任した。制服組と長官の間には、いろいろな軋轢があった。各幕僚長は辛抱強く対応してきたが、本音の部分では、ほぼ匙を投げていると言った方が正しい。民主党が政権を取った時は、防衛庁長官には中原議員がなるだろうと言われていたが、市民派総理の実現と軍備縮小の公約により中原長官は実現しなかった。井上長官が誕生した時には、現場ではその若さと性別が心配されたが、自衛隊の上層部はそれほど青臭くなかった。しかし、「市民」と「人権」という言葉を金科玉条とする柔軟性の無さには手を焼いていた。
「本部長。我々はどうしても事前対応に目が行ってしまいますが、事後対策を早急に立案すべきではないでしょうか」
「のようだな」
「最悪の事態を想定しますので、それで会議を招集してください」
「わかった。やってみてくれ」
町村と武田は画面上で資料作成に取り掛かった。もう残り時間は僅かなので、多少乱暴な想定でも仕方がないと思った。明日未明に、船団は中間点に達するだろう。難民を装った武装集団が日本海のどこかの地点に上陸する。舞鶴地方隊があることで、舞鶴上陸を断念するだろうか。軍事基地といっても舞鶴地方隊は海軍の基地なので、それほどの不安は持っていないと考えなければならない。海岸線、岸壁、そして上陸後の展開を考慮すれば、町村なら舞鶴を目標地点とする。
軍事的抵抗が全く無かった場合、市内の制圧にはさほどの時間は必要としない。舞鶴市の人口が約十万として、半数が捕虜になった場合はどんな対応が出来るだろうか。もう、軍隊同士が戦う戦争は無いのかもしれない。五万人の民間人が人質になってしまったら、人質の犠牲覚悟で何らかの作戦を実行することが出来るのだろうか。相手は人質を確保した上で、少しずつ支配地域を増やしていけばいい。当初の五万人の人質は時間とともに十万にも百万にもなりうる。
そうなれば、もう国は乗っ取られたことになる。だからと言って、五万人の人質を犠牲にする決断をできる人がいるのだろうか。本部長に対して事後作戦の立案を提案した町村だが、この戦いは、上陸を許した時点で勝敗が決まることを再認識せざるをえなかった。
「こりゃ無理です。いっそ、本物の難民であることを期待しますよ」
「そんなわけないだろう。また、お前の勘は当たってしまうことになる」
「もし、この想定どおりの作戦だとすると、相手の参謀はとてつもなく優秀ですよね。何も東京を占拠する必要は無いわけですからね」
有効な作戦を打ち出せない状態で、町村は作戦会議の招集を依頼した。選択できない二者択一が永遠に続く。町村の頭に加代の顔が浮かんだ。
八時が過ぎて作戦会議が始まった。官邸の危機管理室は何の方針も出さないままに散会していて、三人の幕僚長も作戦会議に参加していた。
「何度も言うようですが、上陸を許せばそこで勝敗は決まります。出動命令と交戦命令が出ないままであれば、明日一日でこの戦いは終わります。これが軍事行動だとすれば、自分は軍事行動であると確信していますが、敵の上陸後に出来ることは無いと判断せざるをえません。我々に出来ることは人質の数を一人でも少なくすることぐらいだと考えます。再度、情報リークの提案をしたいと思います」
陸自の安藤一佐も反対しなかった。海上幕僚長の佐々木と北山本部長が額をよせて相談していた。
「佐々木幕僚長が井上長官と面談される。結論が出るまで休憩とする」
「待ってください」
陸自の安藤一佐が立ち上がった。
「自分は、町村一佐の意見に最初は違和感がありましたが、間違いでした。町村一佐の解析が正しいと思われます。つまり、海上での殲滅しか勝機は無いと自分も信じます。長官と面談をしても何も解決しないことぐらい、どなたが考えてもわかることだと思います。それとも、佐々木幕僚長は勝算がおありなのでしょうか」
「安藤。口が過ぎるぞ」
稲本陸上幕僚長が厳しい声を出した。
「申し訳ありません。ですが、どなたか町村一佐の分析に異議のある方がおられますか。何のために我々がここにいるのでしょう。未曾有の国難を前にして我々が何もしないということは裏切り行為ではありませんか。政治家は辞めれば済むかもしませんが、民間の犠牲は元に戻りません。自衛隊独自の判断でも、阻止すべきだと信じます」
「安藤一佐の退席を命ずる」
安藤一佐は、ゆっくりと敬礼をして部屋を出て行った。自衛隊独自の判断という言葉を使った時点で安藤一佐は軍法会議の候補になった。会議に参加している人間の総意を言ったに過ぎないが、陸上幕僚長は退席を命ずるほかに選択肢は無かった。制服組の最高位にある幕僚長は制服組の代表であると同時にシビリアンコントロールを機能させる責任者でもある。立ち止まっていた海自の佐々木幕僚長が鎮痛な表情で退席した。休憩に入ったので、陸自の参謀は全員部屋を出て行った。町村は、目の前の画面を見つめていた。
「びっくりしました」
武田が小声で言った。
「そうか。でも、安藤一佐は根っからの軍人なんだよ。俺が言いたいことを言ってくれたと思っている。俺が言ったかもしれん」

10
官邸記者クラブのブースに顔を出した加代を見て斉藤が高い声を出した。加代も斉藤もタバコを吸わないが、加代は目で斉藤を連れ出して、誰もいない喫煙場所に行った。
「話してくれる気になった」
「条件付でもいい」
「条件って」
「うちの社からこの情報が出たことを知られたくない」
「うう。スクープには出来ないんだ」
「駄目」
「大きいの」
「多分。人命がかかってると思う」
「政府がらみで、人命がかかってるんじゃ、大事じゃない」
「だけど、裏は取れていない」
「そう。私じゃ無理みたいね」
斉藤は携帯を取り出してボタンを押した。
「今、チーフに来てもらうわ」
やって来たのは、本間という年配の記者だった。斉藤の説明を聞き終わった本間が加代の目を見つめた。
「話を聞いてから決めてはいかんかね」
「はい。約束をしていただきたいです」
「出来ないと、言ったら」
「やめます」
「いつから、企画部」
「つい、最近です」
「企画部には、あまりいい思い出が無いんでね」
「斉藤さんから聞きました」
本間は胸のポケットからタバコを取り出した。
「いいかな」
「どうぞ」
本間はタバコに火をつけると、大きく吸い込んだ。
「条件を呑むしか、ないか。約束しよう」
「ありがとうございます」
「で」
「はい。昨日、北の共和国から大量の船が日本に向けて出港しました」
「大量って」
「数千隻だそうです」
「数千」
「大量難民の発生か、難民を装った軍事行動の可能性があります」
「まさか」
「はい。もしも、これが軍事行動だとすると、民間人が人質になる可能性があります」
「すぐには信用できない話だが、この情報の出所はどこ」
「言わなければいけませんか」
「裏が取れていないんだろ。言ってもらわないと」
「防衛庁です」
「防衛庁。まさか。防衛庁のどこ」
「統合参謀本部です」
「それは無いでしょう。本物ならえらいことだよ」
「ですから、こうやってお願いしてます」
「統合参謀本部のだれ」
「本部長の北山は、私の叔父なんです」
「それにしても、こんなでかい情報がどうしてここにあるの。君の上司は知ってるのか」
「いえ。話、してません」
「驚いたな」
「叔父からは口止めされています。このリークが表に出れば軍法会議だそうです」
「叔父さんは、リークという言葉を使ったのか」
「はい」
本間は加代から目を離し、吸っていたタバコを消した。
「本物らしいな」
「私もそう思いましたので、危険な橋を渡っています」
「どうして、うちではいけない」
「昨日、防衛庁を訪問した記録がありますし、調べれば叔父と私の関係はわかります。それに、決して口外しないと約束もしました」
「そうか。どうして欲しい」
「他社の、できれば新聞社でないところから、質問を出してもらえないかと」
「テレビ局のリポーターだな」
「難民発生の情報があるが、どうか。と」
「いつ、くる」
「多分、今日」
「時間、無いじゃないか」
「すみません」
「どうして、話す気になったんです」
「自分でも、よくわかりません」
「わかった。やってみよう。斉藤、このお嬢さんにくっついてろ」
本間は走って別館へ入って行った。

11
 午前の定例記者会見が始まった。津田官房長官の表情は昨日より緊張しているように見えたが、共和国の動きには全く触れられなかった。
「質問を」
津田官房長官は会場を見渡した。五列目中央に座っていた男性が手を挙げた。田村というテレビ局の報道記者として有名な人だった。
「共和国からの大量難民が日本に向かっているという情報がありますが、政府の対応はいかがでしょうか」
「難民ですか。そんな情報があるんですか」
場内に緊張が走った。津田官房長官の目も泳いだ。
「さあ、私は聞いていませんが、情報源を教えてくれませんか」
「漁師さんです。日本海に出漁している漁師さんが大量の船を目撃しています」
「そうですか。さっそく調べてみます」
「もう一つ、よろしいですか」
「どうぞ」
「官房長官はお聞きではないようですが、仮に、そのような事態があれば、当然、危機管理室が動きますよね」
「でしょうね」
「仮に、危機管理室が動けば、官房長官もメンバーのお一人ですか」
「そうなるでしょうね」
「でも、出席されていないということですね」
「そうです」
「ありがとうございました」
会場の人間が一斉に動いた。「他にご質問は」という津田官房長官の声を聞いている者はいなかった。駆け出しながら携帯電話に向かって大声を出す記者が増え、大声が出口に向かって殺到した。津田官房長官の否定発言は、否定したために事実と認定された。津田官房長官は呆然と立ち尽くしていた。
「あまい」
斉藤がつぶやいた。
「えっ」
「官房長官よ。どこの社も飛び出したでしょ。前からそうだったけど、彼は記者という人種を甘く見すぎてる。私も記者の端くれだけど、記者の動物的直感は半端じゃない。しかも、ほとんどの社の記者の直感に触れてしまった。難民事件は本物だったわ」
「斉藤さん。ありがとう。本間さんにもお礼を言っておいて」
「どうするの」
「現場に行ってみる」
「現場って」
「日本海」
加代は急いで社に戻り、官邸での出来事を自分の役回りも含めて大田に報告した。
「申し訳ありません。独断で動きました」
「そうか。何かあるとは思っていたが、そういうことか。僕の指示で動いたということにしなさい。君にこんな一面があったとはな。お嬢ちゃんだと思ってたよ」
「よろしいんですか」
「五課は、何でもありですよ」
「すみません。現地に行かせてもらえませんか」
「君はカメラ回せるか」
「はい」
「ヘリを用意する。よそに先を越されるなよ。うちの社にも」
「はい」
加代はポーチを腰につけただけの軽装で、大田の指示に従い調布飛行場に向かった。カメラは大阪の八尾飛行場で受け取ることになる。叔父か町村へ連絡をしておきたかったが、加代は情報の守秘を約束した叔父を裏切っていた。

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