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無力-11 [「無力」の本文]

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 村上が姿を消して、三日が経った。銃声も無かったし、校庭の墓も増えていないので、敬子は村上が脱走に成功したと信じていた。村上という男は、自分だけ助かりたいと思って行動に移すような人間ではない。必ず、村上は助けに来てくれる。この最悪の状況から助かることがあったら、残りの人生は村上と一緒に生きていきたいと思っていた。お互いに回り道はしたが、結局は結ばれる運命にあったのだと思う。敬子の夫は、頭が良くて大人しい男だった。何の不満もなかったが、心躍る人生でもなかった。ずっと羽目を外さずに生きてきて、敬子の人生で最大の危機に直面した今、自分に正直に生きてみたいと感じていた。この危機をのりこえたら、五年前に死んだ夫も文句は言わないだろう。村上が一度も結婚しなかったのは、自分のせいかもしれないと思ってきたが、村上はそんな素振りはみせなかった。勘違いでもいい、村上の胸に飛び込もう。そして、村上の腕に抱かれて眠りたいと思っていた。
加代は、二人の子供たちに添い寝をしていたが、眠ってしまった子供たちから離れて、廊下に出た。敬子が窓に手を預けて遠くを見ている。加代も黙って敬子の横に行った。
「ねた」
敬子がきいて、加代は頷いた。
「村上さん、どうしてるのかな」
「大丈夫。ケンさんはタフやし」
「敬子さんは、ケンさんのことが好きなのね」
はにかんで小さく頷く敬子の様子は、初めて恋を知った若い娘のように見えた。そんな敬子を見ていると、加代も勇一のことを思ってしまう。勇一はどこで何をしているのだろう。こんな所へ囚われていることを知っているのだろうか。勇一のことだから、きっと必死になって捜しているのだろう。勇一に会いたかった。ここに来て、二人の子供と出会い、まるで母親のように添い寝をしていると、勇一の子供が欲しいと切実に思う。修と恵は、自分のお腹を痛めた子供ではないが、本当にいとおしく思うようになったし、二人も加代を頼りにしてくれる。しかし、毎日が何の意味もなく過ぎていく。共和国の見張りの様子も惰性が感じられるようになった。共和国にとって平穏無事ということは、自衛隊が来ないという見通しがあるということであり、人質にとっては未来が見えないということでもある。それでも、時間は過ぎていった。
朝一番に校内放送があり、番号が読み上げられた。以前にも何度かあったが、それはいつも動員命令だった。学校の南側が爆破された時も、大勢の人がその後片付けに動員された。ただ、動員された人には小さな握り飯が与えられるので、喜んでいる人もいた。今は誰にとっても、米粒一つが大切な食料だったが、動員されるのは男ばかりであった。加代の番号は261番だったが、読み上げられた番号の中には無かった。男たちが何人か部屋を出て行く。校庭に集められた人たちの作業は、校庭の中央に穴を掘る仕事だった。校庭に面した窓から見ている人たちの話では、かなり大きな穴のようだったが、何のための穴なのかは誰にもわからなかった。穴掘り作業は三日間続き、校庭にポッカリと大きな穴が出来た。掘り出した土が周囲に盛り上がっているので、二階の窓から見ると蟻の巣のように見えた。
穴掘り作業が終わった翌日に、校内放送で人質番号が読み上げられた。222番は敬子の番号だった。穴掘りは終わっていたし、動員では呼ばれない女性が含まれていたことで、教室には不安の声が出ていた。番号は何回も読上げられ、校庭に集合するように指示があった。
「加代さん。この子たちをお願い」
「はい。でも、なんの」
「わからへん」
敬子は二人の孫に頬ずりをして、教室を出て行った。校庭に面した窓には、大勢の人が押し寄せ、加代は近づけなかったが、呼び出された人数が二十人で、その中には女も子供もいることが窓から見ている人の話でわかった。どこから現れたのか、五十人ほどの兵士が人質を取り巻いている、と言う声が聞こえ始め、教室が得体の知れない不安で一杯になった。加代も胸騒ぎをおぼえて、子供たちを両手で抱き寄せた。そして、再び校内放送が始まった。
「一週間前、日本帝国海軍は、無慈悲にも我々同胞の船を撃沈した。乗船していたのは婦女子を含む民間人ばかりで、乗組員を含めて二百人以上の犠牲者が出た。我が共和国は、このような暴挙を、決して許さない。日本政府に厳重抗議をした結果、同数の日本人を処刑することで合意に至った。この二十人は、日本政府との合意により、本日公開処刑に処せられるが、この処刑の責任は全て日本政府にあることを承知していただきたい。公開処刑は十時に行う。以上」
人質は凍りついて、一瞬の静寂があったが、校庭でも教室でもパニックが発生した。加代は子供たちを更に強く抱き寄せて目を閉じた。敬子さんが殺される。何とかしなければ。胸の鼓動が抑えようもなく激しくなる。あまりの息苦しさに、加代は叫び声を出していた。子供たちが泣き出し、加代も身を捩って叫んでいたが、子供たちを振り落とすように離して、教室を飛び出した。
階段を駆け下りて、踊り場にいる見張りに体当たりする。突然の行動に対処しきれなかった四人の見張りの男をすり抜けて、加代は一階に飛び降りた。だが、一階から校庭に通じている場所には十人以上の見張りが銃を構えて待機している。加代は悲鳴をあげながらその見張りの男たちに突進した。だが、見張りの男の振り下ろした銃床が加代の後頭部を直撃したために、加代の意識は突然に失われた。

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 もし、本当に公開処刑が行われるとすれば、校庭だろうと村上が言った。町村と村上は舞鶴西工業所という三階建ての建物に来ていた。金属加工をしていた会社で、村上の友人が経営していたが、その友人もいまは収容所に監禁されている。無人の工場は音がなかった。二人は音を出さないように注意しながら階段を登った。三階の事務室からは、学校の校庭が一望できた。町村は、岩場の監視所から運んできた集音マイクをセットし、ブラインドの間から校庭を見おろした。校庭には処刑場と思われる大きな穴が掘られていた。簡単なイヤホンだったが、充分に音は拾える。学校に動きが出たのは、五時に待機し始めてから四時間後だった。校内放送で番号が読上げられている。
「222」
「どうしました」
「222は敬子の番号や」
「えっ」
「あかんわ」
「・・・」
「なんでや」
町村もその番号が読上げられたのを聞いた。残念だが、幸運は無かったらしい。
「わしは、もう少し近くまで行くわ」
立ち上がった村上の腕を、町村は押さえた。
「危険すぎる」
「わかっとる。せやけどな、あいつは俺が助けに来ると信じてるはずや。少しでも近くで見ててやりたい。なんも、出来んとしても、あいつの最後は見届けたいんや。わかってくれ」
村上の気持ちはわかっている。自分が村上の立場でも、きっと同じことを感じるだろう。愛する人間の死を、黙って見ていることなど出来る訳がない。
「自分も行きます」
「いや。あんたが言うように危険や。あんたには、なにがなんでも、子供たちを助けてもらわなあかん。二人が見つかって殺されたら、誰が助けるんや。加代さんと二人の子供を」
「必ず、戻ってください」
「わかってる」
町村には、村上が戻ってこないことがわかっていた。ザックから拳銃を取り出すと、安全装置を外し初弾を送り込んで、村上に渡した。
「引き金を引けば、弾が出ます」
「すまん」
「でも、最後まで諦めないでください。あなたの気持ちはわかるが、なんとしても戻ってきて欲しい」
村上は笑顔を見せて、部屋を出て行った。町村が視線を校庭に戻すと、校舎から人質が出てきた。体育館の方からも、数人の人が出てくる。町村は小型の双眼鏡を目にあてた。老人も小学生も女性もいる。処刑自体が不条理なのに、共和国は女子供まで殺すつもりなのだ。怒りで体が熱くなる。戦争が感情で成り立っていることを、町村は自分の体で知った。多数の兵士が、銃を構えて人質を取り囲み、人質の顔に不安と恐怖が見える。二十人の人質が揃ったことを確認したのか、放送が始まった。公開処刑が、なぜ行われるのかの説明だった。町村は集音マイクの音を、電波でデータ収集センターへ飛ばした。校庭に呼び出された人たちがパニックになり、叫びだす者、逃げ出そうとする者、その場に崩れ落ちる者で騒然としたが、力づくで押さえ込まれた。校舎や体育館に押し込められている人質の間から、地鳴りのような叫び声が起きている。校庭の二十人は、次々と後ろ手に縛られていった。処刑開始時間が十時と言っていたので、まだ少し時間がある。町村は飛び出したくなる自分を抑えるのが苦痛であったが、これが最後ではない。犠牲者は、これからも止まることなく出ることもわかっていた。この現場にいない人が、このことを結果として知ったとしても、「そうか。気の毒に」で終わってしまうのだと思うと、町村の心は爆発してしまいそうな怒りで溢れた。こういう結果になることは、町村にはわかっていた。この戦争の初動対応で何もできなかった、いや、なにもしなかった日本という国がたどる当然の結果なのだ。校内放送では、日本政府の同意により処刑すると言っていたが、その通りなのだろう。指を咥えて見ているということは、同意したと言われても仕方が無い。「なぜ、何もしない」というのは、人質の人たちだけでなく、多くの国民の本音と感じた。政府は有り余るほどの情報を持っていながら、国民の目に触れないようにしている。町村たちは自衛隊と行動を共にしているので舞鶴に潜入することができたが、舞鶴に通じる道路には警察の検問があって潜入することは不可能に近かった。従って、報道機関の報道内容は現実から大きくかけ離れている。死者の数も不明で、このような処刑が行われようとしていることも知らされていない。倉持の話によると、政府は共和国が要求してきたテレビ中継だけは断ったらしい。現在の政府が日本を統治しているかぎり、日本は国という形をなさないまま滅びてしまう運命にある。
十時になった。一番に指名された男性が、大声で叫び、身を捩って抵抗するが、二人の兵士に両脇を抱えられて引きずられていき、大きな穴の南側に立てられた柱に、四人がかりで縛り付けられてしまった。五人の兵士が穴の北側に横一列に並び準備が整った。目隠しされなかった人質の恐怖は極限にきている。士官らしき男が右手を挙げ、共和国の言葉で兵士に命令を出し、五人の兵士が小銃を構えた。再び、地鳴りのような叫びが校舎から沸きあがって、銃殺をしようとしている士官の声を掻き消したが、士官の男は右手を降ろして次の命令を下した。人質たちの叫び声で、町村に銃声は聞こえなかったが、柱に縛られた人質の男性の体の動きが止まった。四人の兵士が近づき、縄を解いて、処刑の済んだ死体を穴の中に蹴落とす。次に指名されたのは、中年の女性だった。二十名の中に中年の女性は一人しかいないので、その女性が村上の言っていた原田敬子なのだろう。町村は学校の周辺を捜したが村上の姿は見えなかった。女性は覚悟を決めたのか、自分の足で歩いている。小高くなっている柱の所に女性が着いた時に、校門の方から駆け寄る人の姿が見えた。やはり、村上は突入した。柱の所には、敬子と六人の兵士がいたが、一人の兵士が弾かれたように転げ落ちると、異変を知った兵士が村上の方を呆然と見ている。村上は拳銃を乱射しながら突進をやめなかった。別の兵士が肩を押さえて、地面に倒れる。あまりにも近くまできた村上の姿に、他の兵士は自分の銃を村上に向けることを忘れて、身を守るために穴の中へ飛び込んだ。町村の計算では、拳銃の残弾は二発しかないはずだ。呆然と立ち尽くす敬子に、飛びつくようにして村上が駆け寄った。敬子を抱えて、校門の方へ逃れようとした村上の体の動きが止まった。穴の向こうにいた兵士が撃った銃弾が村上を捉えていた。一瞬の間があって、一斉射のような銃弾が、村上と敬子の体を吹き飛ばした。二人は抱き合ったまま、柱の山から転げ落ちて、動かなくなったのが町村にはよく見えた。用心しながら近寄ってきた兵士が、二人に止めの銃弾を打ち込み、柱の所へ引きずりあげた。十人近くの兵士が集まり、村上の顔を見ながら、何かを言い合っていたが、士官の男の命令で二人の遺体は、穴のなかに放り込まれた。脱走した人質が仲間を助けようとして、飛び込んできたことがわかったのだろう。
処刑は淡々と続けられ、二十人の人質と村上の遺体が放り込まれた穴を兵士たちが埋めている。人質以外の日本人で公開処刑を見たのは自分だけだろう、と町村は思った。二十一人の苦痛を背負い、その無念を晴らすのは、目撃証人の自分しかいない。理性などクソ食らえだ。

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 校舎を揺るがすような音で、加代は意識を取り戻した。誰もいない廊下に横になっていて、修と恵が心配そうに見ている。体を起こそうとしたが、頭の痛みに声を漏らした。加代は手についた血を二人に見られないようにズボンで拭いた。怒鳴り声や悲鳴、そして誰かの名前を呼ぶ声が校舎全体を揺すっている。頭の痛みに堪えて思い出す。敬子を追って校庭に出ようとして意識を失った。加代は敬子の死を感じた。生き残った自分にできることは、修と恵を守ることだ。加代は二人の残された子供たちを両手で抱いた。子供たちは、全体重を加代に預けてきた。きっと、敬子にも加代にも置いていかれたことが不安だったのだろう。加代には「なぜ」が解けなかった。こんな事になっているのに、なぜ、誰も来ないのか。自衛隊はどこへ行ったの。叔父や勇一は何をしているの。この二人をどうやって守ればいいの。答えを見つけられない自分が情けなかった。どうしようもない事情があって、自衛隊の救出が遅れているのだと考えていたが、その自信もゆらいでいた。疑心暗鬼と不安、そして恐怖に混乱する自分を、どうすることもできない自分がいる。それでも、二人の子供たちを守らなければ。暴力に押さえつけられた時に、人間に出来ることなどないのだということを、身をもって体験した今、自分の中に得体の知れない凶暴な何かが座り込んだような気がした。もう考えるのは、やめよう。子供たちを受け入れることだけに専念しようと思った。
数日経って、敬子と村上健一が死んだことを聞いた。ケンさんは来てくれたのだ。敬子は好きだったケンさんに抱かれて死んで、少しは穏やかな気持ちだったろうか。加代だけでも、そう思ってあげることが必要だった。
公開処刑が終わって、一週間が過ぎた。表面上は、そんな出来事があったことも忘れ去られている。誰も、そのことに触れたくないと言った方が正しい。突き詰めて考えた時の、精神の崩壊から自分を守るための本能なのかもしれない。心に傷を受けなかった人はいないと言うのに、気力の抜け落ちた、ゆっくりとした時間だけが過ぎていく。修も恵も祖母の敬子については、何も言わなかった。子供であっても、触れてはいけないことだと感じている。あまりにも不条理に過ぎることで、加代も口に出せなかった。
図書委員の榊原が、加代を廊下に呼び出した。「あいつはスパイだ」という陰口が囁かれていることを、本人は知っているのだろうか。
「佐藤さんが、呼んでる」
「佐藤さん」
「ここの、警備担当の人だ」
「どうして」
「知らんよ。でも、逆らうと損だと思うがな」
「どうして、あなたが呼びに来たんですか」
「そんなことは、どうでもいい。確かに伝えたからね」
それだけ言うと、榊原は階段を下りていった。階段の踊り場にいる見張りに対して顔パスがきくらしい。かなり慣れたとはいえ、空腹感は人質共有の苦痛だったが、自分の体を提供していると噂されている若い女性と、榊原のようにスパイと言われている人は平然としている。榊原のような、品性下劣な男が空腹を克服しているとは考えられないので、噂は正しいのであろう。加代は部屋に戻って、その事は忘れることにした。
三人で、うつらうつらしているところへ見張りの兵士の一人が教室の入り口に来て、「261」と言った。加代は、261番が自分の番号であることに気づくのにしばらく時間が必要だった。
「261」
兵士の発音にはなまりがあったが、自分が呼ばれていることはわかった。
「はい」
加代は腰を浮かした。
「こい」
「どこへですか」
「こい」
「私、一人ですか」
「こい」
兵士は必要な日本語は喋るが、日本人が喋る日本語は理解していない。肩から銃を降ろそうとしている。抵抗されていると思っているようだった。
「わかりました」
子供たちには、すぐに戻るからと言って、立ち上がった。兵士が連れて行ったのは、以前は図書室のようであった。広い部屋に男が一人だけ座っていた。加代の後ろでドアが閉まると、立ち上がった男が近づいてきた。
「佐藤です。一度目は、どうして断ったのですか」
「一度目」
「榊原が呼びに行ったでしょう」
「いいえ。何もきいていませんが」
「そうですか。まあ、いいでしょう。あなたと少し話がしたい。座ってください」
「いえ。ここで結構です。子供たちが待ってますから」
「その子供さんの話ですよ」
「子供の」
「まあ、お掛けください」
加代は仕方なく椅子を引いて座った。佐藤という男は、背の低い、底冷えのするような目を持った若い男だった。学生に見えないことも無い。
「充分な食事が出せなくて、申し訳ないと思っています。子供はお腹を空かしているでしょう。育ち盛りですからね。それに、北山さんも痩せました」
少し離れた所から、佐藤の視線が突き刺さる。
「お話と言うのは」
「どうして、あの子たちの面倒をみているのです。ご自分のお子さんではないでしょう」
「頼まれましたので」
「原田さんに。あの子たちのお祖母さんですね。あの方は残念なことをしました。ああいうことは、やってはいけないことです」
「あの」
「ああ、用件ですね。子供さんに特別食を出してあげたいと思いましてね。ひもじいおもいはさせたくないでしょう」
「日本語がお上手ですが、佐藤さんは日本の方ですか」
「そうです。僕は正真正銘の日本人ですよ。だから、幼い子供が気の毒でしてね」
「全部の子供に、その特別食というのを出していただけるのですか」
「一度には無理ですよ。先ずあなたの、あの子たちからです」
「とても、ありがたいことだと思います。でも、全部の子供たちに出していただける時まで待つように言っておきます。あの子たちは、ききわけがいいですから、待ってくれます」
「そうですか。でも、順を追って増やしていきたいと思っていますのでね、その最初の子供が断ってしまうと、後が続きません」
「あの子たちの順番は最後でいいのです」
「残念ですね。あなたのために何かしたかったんです。この話は忘れてください」
「はい」
「送りましょう」
佐藤はドアを開けてくれた。加代はドアのところに立っている佐藤からすり抜けるようにして廊下に出た。近寄ると肌に電気を通したような不快感があった。
「何か困ったことがあったら、僕に言ってください。力になれると思いますから」
小声で囁かれて、加代は吐き気を堪えた。

45
 町村には、つらい一日になった。だが、受け止めなければならない。偶然が積み重なる時、それをもう偶然とは呼ばない。生き方の選択肢はなく、一点に収斂している。時の流れに竿をさせるような気持ちを持っていた自分が甘かったことを知った。
原田夫妻に、敬子と村上の死んだ様子を話した。子供たちは処刑の列にはいなかったので、生きていると言い切るしかなかったが、村上がいなくなった今では、その子供たちを救出する方法もなかった。原田浩は母親の死とその遺体へのおもいで言葉少なくなっていたが、順子は子供たちのことで、半狂乱の状態になっていた。町村は二人を福知山へ戻すことを決めた。普通の市民がこの状況に対応できるようになるためには、もう少し時間が必要だった。 
原田夫妻に重荷を背負わせても意味はないので、処刑された敬子以外の十九人の死に様には触れなかった。二十一人の死は自分だけで背負う覚悟であった。
苦労をしたが、原田夫妻を福知山に置いて、町村は一人で岩場の監視所に戻った。大きなチャンスになったであろう村上の脱走も、村上の死で終わった。その村上の脱走路を参考にして、学校への潜入のチャンスを見つけることと、辛抱強く何かを待つことが町村の仕事になった。だが、以前と違って、考えることは山ほどあった。一人クーデターが簡単な任務ではないが、一人だから出来ることも多い。必要事項をメモに書き出しながら、作戦計画の立案に取り掛かった。
公開処刑があった日から二週間が過ぎたが、校舎への侵入はまだ実現していなかった。一度は屋上まで到達したが、その先へ進むチャンスはなかった。警備の状況にはかなりの隙間が見えているので、校舎内への潜入も不可能ではないという自信も出てきた。
夕方近くになって、学校の南側から山の方へ向かう道に三人の人物の姿があった。一人は女性で、二人の兵士に銃を突きつけられて歩いてくるように見えたが、その女性には見覚えがある。町村は双眼鏡に目を押し付けた。汚れた服を着て、憔悴した様子で歩いていたが、加代に間違いなかった。突然訪れた好機に、町村の体にはアドレナリンが充満した。三人はゆっくりとした足取りで、寺の方へ向かっている。町村は銃を手にして岩場を離れた。寺には数え切れないほど潜入しているので、土地勘は十分にある。

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 見張りの兵士に呼び出しを受けた時、加代はそれが佐藤の企みだとわかっていたが、銃を突きつけられれば従うしかなかった。行き先は図書室ではなく、二人の兵士に前後をかこまれ、校舎の外へ連れ出された。南門を出て、山に向かって歩かされる。不安と恐怖で身が竦み、足が思うように動かないが、足が止まると銃口が背中へ押し付けられ、また前に進む。走って逃げ出せば銃で撃たれるだろうか。どうしたらいいの。死んでいった敬子もこんな気持ちだったのだろうか。連れて行かれたのは、少しだけ坂道を登った所にある寺であった。寺の境内に入ると、蝉の声と鳥の囀りがよく聴こえた。真っ直ぐ本堂に向かい、開け放たれている大きな入り口に立った。本堂の中は暗くて何も見えないが、二人の兵士の銃口に押されるようにして進むと、奥の方から聞き覚えのある佐藤の声がした。
「北山さん。よく来てくれました」
建物の中に入ると、外光が無くなったせいか、仏像の前に立っている佐藤の姿が目に入った
「ご苦労様。少し外で待っていてください」
二人の兵士も佐藤の指示に従っている。若い日本人はどんな経緯で権力を手にしたのだろう。
「北山さん。こちらへ」
加代は動くつもりはなかった。
「僕は、暴力は好みません。お願いですから、言ったとおりにしてください」
脅しに屈したくはないが、佐藤と暴力は簡単に結びついた。この男なら、どんな暴力でもふるうだろう。加代はゆっくりと前に進み、歩きながら別の出入り口を探した。佐藤に噛み付いてでも逃げたかった。暗さに目が慣れてきて、佐藤の表情も見えるようになった。
「座りましょうか」
加代はその場に正座をした。座りながら、本堂の入り口で靴を脱いだことを後悔していた。加代が座ると、佐藤が斜め前の場所に座った。
「僕は、この角度からの北山さんが好きですね。今日はこの二十年間で最高の日です」
加代は正面を向いたまま、佐藤の姿を見ないようにした。
「この前、すこしお話しましたが、あなた方三人に特別待遇をしてもいいんです。食事も全く違いますし、風呂にも入れます。テレビだって見れますので、子供は喜びますよ」
加代は、なにも答えなかった。
「どうも、わかっていただけないようですね。残念です。僕はいま絶大な力を持っています。どんなことでもできることを、あなたはわからなければいけません。たとえば、あの二人の子の命ですら、僕の自由になりますよ。子供の命とだったら交換できるでしょう。あなたは、プライドを捨てれば済むことです。僕のささやかな希望をかなえてくれればいいだけで、子供たちの命が助かるのです」
やはり、これが佐藤の本性だったのだ。この男の目を見ていれば、脅しだけで言っているのではない。自分の想いが叶わないと知ったら、本当に二人の子供の命は無くなる。佐藤の言うとおり自分のプライドと嫌悪感を捨てれば済むのだろう。だが、自分にそんなことができるのだろうか。あの公開処刑を思えば、どんなことでも有りうると考えなくてはならない。加代は、あまりの屈辱に顔を伏せた。しばらく時間が流れた。殺してやりたいと思ったが、選択肢が無いこともわかった。
「わかっていただけたようですね。北山さんは僕のこと、嫌いですよね。でも、お願いします。僕のこと好きになってください。それが、あの子たちの生き残る道ですから。僕は、初めてあなたを見た時から好きになりました。特に、その唇がたまりません。夢にまで見ます。その口で僕を夢の世界へ連れて行ってください」
「すこし、考える時間をください」
「初めて口をきいてくれましたね。素晴らしい。でも時間は何の役にも立ちません。なぜかわかりますか」
「・・・・・」
「僕が、認めないからです。徹底抗戦か全面協力かの返事をしてください。返事が無い場合は徹底抗戦と判断して、あなたが部屋に帰るまでに交換条件の片側を実行します。僕からの電話を待っている人間がいるのです」
泣き喚きたい気持ちで一杯だったが、あまりの情けなさに、涙は出てこなかった。
「どうします」
空耳かもしれないが、「断りなさい」という敬子の声が聞こえた。
「条件は、二人の子供の命ですね」
「ありがとうございます。やっと、夢がかないます。それと、念のため言っておきますが、無茶なことは考えないようにしてください。前に、僕の物を食いちぎろうとした女が、無残な死に方をしたことがあります。そうはなって欲しくありません」


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