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ジャニーズ騒動 [評論]



何の問題もない国や社会はありません。
どんな国でも、どんな社会でも、多くの問題を抱えています。
ただ、その問題の質と量は、それぞれ違います。
国民生活を破綻させない程度の問題は、残念ですが、目をつぶるしかありません。
何事も、「完璧」はありません。
でも、どうしても対応しなければならない問題はあります。
それが、国力衰退であり、国家破綻であり、国民生活の崩壊だと思います。

私達の国を、私達の社会を、蝕んでいる原因の原因の原因は、文化だと書いています。その文化とは、「なあ、なあ、まあ、まあ」文化です。
この「なあ、なあ、まあ、まあ」文化は、日本人が生み出した優れた文化です。こんな優れた文化を持つ国は他にないと思います。
ただ、万能ではありません。
「なあ、なあ、まあ、まあ」文化の副作用が、悪しき面が、至る場所で表面化してきたのが、最近の日本社会の現実だと思います。
社会を守るために生まれた文化が、意図していないとしても、国力衰退、国家破綻、国民生活の崩壊へ向かっている現状は、変えなければなりません。
ここまで弊害が大きくなったら、文化とは呼べないと思います。
この「なあ、なあ、まあ、まあ」文化の副作用は、政治・経済分野だけではなく、至る場所で社会を迷走させています。
その一例として、今日は、社会を騒がせたジャニーズ騒動について書きます。
「えっ、これも、文化のせい。こじつけだろう」
いいえ、この騒動も、根っ子は「文化」です。
いろいろな意見がありますが、どれも外れています。ほとぼりが褪めたら、元の木阿弥になるのは、今から予測できます。それが「なあ、なあ、まあ、まあ」の凄い所です。
芸能ネタを書くのではありません。「なあ、なあ、まあ、まあ」文化が起こしている数々の弊害の1つとして取り上げたいと思います。

厳密に言えば、罪を犯していない人は、1人もいないと思います。聖人君子などという人は、この世に存在しません。それは、自分の胸に手を当てれば理解できると思います。
「なあ、なあ、まあ、まあ」文化の弊害は、等しく「許されてしまう」所にあります。
「下々」や「弱者」の小罪でも、「お上」や「強者」の大罪でも、「なあ、なあ、まあ、まあ」で許されますので、「お上」や「強者」にとっては、これほど美味しい文化はありません。
私達庶民は、小罪を許してもらう見返りに「強者」のやりたい放題を容認させられ、2000年間耐えてきました。文化と歴史と伝統は脈々と、今でも続いているのです。
「お前に非はないのか」と言われたら、反論できる人はいません。でも、小罪と大罪を同じに扱うのは、違うと思います。
過去と現在は、私達にはどうすることもできませんが、未来は変えることができます。しかし、このまま、「なあ、なあ、まあ、まあ」を続ければ、先はありません。
ジャニーズで起きたことも、同じ原因で起きました。
人権と性被害という視点から取り上げたBBC放送が、この不条理を世界に発信しなければ、埋もれたままだったかもしれません。「人権意識」後進国の日本では問題にならず、外圧があって初めて問題になるのは、いつものパターンです。
ただ、その原因が日本文化にあるということについては、まだ、誰も気付いていません。ほんとに、誰一人、気付きません。ド真ん中に文化という原因があるのに、私達は、その周辺で「ああでもない、こうでもない」と堂々巡りをしています。ド真ん中に足を踏み入れる人がいません。
この国では、「人権」という言葉そのものがメジャーではありませんし、使う人が少ないと思います。「俺には関係ねぇ」と思っている人がほとんどだと思います。それは、「人権」に馴染みがなかったからです。それは、日本がそういう国だったからです。それを生み出しているのは文化と歴史と伝統なのですが、文化と歴史と伝統は空気のようなものですから、その存在を知るのは難しいのかもしれません。
極論かもしれませんが、もともと、「下々」には、人権などありませんでした。でも、それが日常だと「人権って、なに」になってしまいます。
日々、汗を流して働き、年貢を納めるのが「下々」の役目です。現在でも、同じ構図が続いています。なぜなら、私達の意識が「下々」のままだからです。
「下々」は、ひたすら耐えることを求められ、強い相手には従順に従う。それが、この国が築き上げてきた文化と歴史と伝統です。そんな土壌の上で起きた事件が、ジャニーズ騒動です。日本人には、「なあ、なあ、まあ、まあ」が最適な答えだという常識があります。ジャニーズの対応に批判的な人は27%で、評価する人は59%という世論調査を見ると、皆さん、「なあ、なあ、まあ、まあ」が大好きなのです。
皆さんは、食糧難というドツボに落ちた時にも、「なあ、なあ、まあ、まあ」で済ませてしまうのかもしれません。信仰とか洗脳というものは、そういうものなのかもしれません。この強大な文化と歴史と伝統の力は、ほんとに、凄いと思います。

ジャニーズ騒動は、性被害の騒動です。
私達の国は、昭和22年まで姦通罪が存在した国です。弱者には厳しく、強者には優しい国でした。第二次大戦で敗戦国にならなければ、まだ、今でも、姦通罪は存在していたと思います。姦通罪はなくなりましたが、社会通念は、それほど変わったわけではありません。弱者が泣き寝入りするのは、自然に受け入れられていたのです。
ジャニーズ騒動は、本来、刑事事件だと思いますが、つい最近まで、法改正があるまで、刑事事件ではありませんでした。今でも、被害者が男性の場合でも適用されるのかどうか、私は知りません。
どこまで、真実が表に出てきたのかは不明ですが、被害者は300人とか400人と言われています。1人の人間が個人的に犯した犯罪としては、ギネス級かもしれません。
それを、誰もが、ほんとに誰もが、「見て見ぬふり」をしてきました。
どうしてでしょう。
それは、犯行に及んだ人間が、「強者」だったからです。
多くの関係者にとって、「強者」に従うことが利益だったから、「なあ、なあ、まあ、まあ」を使い、自分の行動を肯定しました。大きな利益のためなら小さな犠牲は仕方がない。それを、当たり前だと考えていました。「見て見ぬふり」は、利益だったのです。
「ケツを差し出した子供達にも、芸能界にデビューできるかもしれないという助平根性があったのだから」と言う人もいます。
いやいや、そもそも、そんなことを子供に仕掛けたら駄目でしょう、とは考えないようです。それは、「大人の責務」が曖昧だからです。いや、何もかもが曖昧です。
集団生活に参加している限り、全ての人に責務があります。全員に共通する責務もありますが、立場による責務もあります。例えば、大人には大人の責務が、国家運営者には国家運営者の責務が、会社経営者には会社経営者の責務が、あります。もちろん、国民には国民の責務があります。
それを全て曖昧にしているのが、「なあ、なあ、まあ、まあ」なんです。
そんな社会では、強者が、自分の責務を無視し、いや、責務があることを認識していませんので、やりたい放題をやっても、許されるのです。
当事者のジャニーズ事務所だけではなく、「お上」軍団に属する多くの関係者が、スポンサー企業、広告会社、テレビ局、メディア等々の大手企業の関係者が、口を揃えて「知らなかった」と言います。「噂に過ぎない」と言っています。
「そんな訳ないだろう」と思いますが、「なあ、なあ、まあ、まあ」の社会では、「知らなかった」で済んでしまいます。
加害者側に立つジャニーズ事務所が記者会見を開きましたが、2度目の記者会見会場は荒れました。それは、ジャニーズ事務所が、2時間という制限を設け、「1社1問」というルールを決めたからです。多くの方が、この点を批判していますが、批判だけに終わっています。
なぜ、記者達は、ルールに従ったのでしょう。
仕方ありません。記者達も、これまで隠蔽をしてきた張本人ですから、何も言えなかったのでしょう。ここでも、「なあ、なあ、まあ、まあ」です。
鬼畜の所業を明らかにする記者会見であれば、時間無制限、最後の質問まで答える必要があったと思います。ジャニーズ事務所がルールを決めて、記者がそれに従ったということは、そこに、上下関係が成立したということです。
この上下関係は、まさに、日本文化の真骨頂です。
日本社会の基盤にあるのは、今でも「お上と下々」であり、皆さん、その暗黙のルールに従うことを当たり前だと思っています。加害者が決めたルールであっても、ルールだと言われると、大半の人は従順に従います。ルール自体が妥当なルールかどうかは吟味しません。「下々」根性は染みついていて、「お上」や「強者」には、逆らいません。そのことを、不思議だとも思いません。これも、文化の力です。
どこかで、同じようなことが行われています。
そうです。総理官邸の記者会見です。
まるで、金太郎飴を見ているようです。
私達は、中国共産党が、共産党を利する法律を作り、自国の人民や外国に、「法に従え」と言っていることと同じことをやっているのです。
問題は、ジャニーズ事務所がルールを作ったことだけではありません。
関連会社の社長に任命された某タレントは、会見会場が騒がしくなった時、「この会場は公開されています。子供達も見ています。どうか、落ち着いて」と言ったそうです。
記者席からは拍手があったそうです。
この国には、「いい人」を演じ、「なあ、なあ、まあ、まあ」で丸く収めることが最良のことだと信じている人が大勢いて、それに同調する人も大勢います。これを文化として捉えなければ、何度でも同じことが起きます。
「なあ、なあ、まあ、まあ」の利点は、問題を解決せず、「先送り」し、時間を経て「なし崩し」で、何事もなかったことにできることです。巨悪であれば巨悪であるほど、その恩恵は大きくなるという仕組みになっています。
あの会見場は、数百人の子供達の人権を蹂躙した「鬼畜」について質疑応答する場です。綺麗事で誤魔化していい場所ではありません。犠牲者は子供達です。子供達から隠すのではなく、子供達を守るために、敢えて、子供達に見てもらう必要があります。
確かに、どこの国でも、こういうことは起きますが、日本は、極端です。
何でも丸く収めてしまいます。それが、日本文化です。
そこには、いい面もあれば、悪い面もあるのです。
「お上」や「強者」にとっては、ほんとによく出来た文化だと思います。
国連人権委員会は、国の関与が必要だと言っていましたが、この件では、国も警察も動きません。新聞もテレビも、国の関与を要求しません。境界線がはっきりとしていませんが、ジャニーズ事務所も新聞社もテレビ局も、多分、あちら側(強者)なのだと思います。いつまで、こんなこと続けるのですか。この「お上と下々」は、私達を不幸にするだけです。
少数の強者のために、多数が泣き寝入りをする社会は変える必要があります。
そんな社会の土台になっているのが「なあ、なあ、まあ、まあ」文化なのです。
こんな社会に、活力は生まれるのでしょうか。
そうは思えません。だから、国が衰退しているのです。
ほんと、救いがありません。
子供達を守りたいのであれば、隠すのではなく、言葉の定義をして、「大人の責務」を明確にすることが大人の役割だと思います。
日本社会が、ジャニーズ会見のような茶番を続けている限り、「なあ、なあ、まあ、まあ」は続きますし、国力衰退も進みます。
自分を、家族を、全ての子供達を守ろうとすれば、皆さんが気付くしかないのです。
気付かなければ、何も始まりません。
皆さんは、先ず、「何を守らなければならないのか」を知る必要があります。
権力者の利益ですか。「強者」の横暴ですか。
違いますよね。
いつまで、泣き寝入りを続けるつもりですか。
いつまで、「いい人」を演じ続けるのですか。
六公四民も七公三民も受け入れるのですか。
文化と歴史と伝統の弊害に気付かなければ、皆さんに未来はありません。


2023-11-04



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