SSブログ

時代を見ない令和臨調 [評論]



6月に、令和臨調が発足しました。
さて、臨調に期待は持てるのでしょうか。
日本の最重要・喫緊の課題は「国力衰退」ですが、臨調のメンバーは、国力衰退を阻止する提言が出来るのでしょうか。
結論から言えば、難しいと思います。
それは、臨調のメンバーを見れば一目瞭然です。
肩書の見本市なのかと思うくらい、「お偉い方々」の集まりです。肩書のない方は一人もいませんでした。もしかすると、選考基準は肩書だったのかもしれません。
名誉会長・会長・元社長・社長・相談役・元大学総長・大学総長・名誉教授・教授・代表幹事・委員長・理事長・弁護士・元長官という面々です。
一人だけ、新潟県中魚沼郡津南町町長という方がいましたが、この方がどんな方か知りません。有名な方なのでしょうか。
もちろん、肩書が悪いと言っているのではありません。
皆さん、世間の荒波を乗り切り、成功した人達です。
それは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」を駆使した結果だと思います。
意識はしていないかもしれませんが、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が染みついています。
彼等が議論して導き出される結論は、当然、「なあ、なあ」「まあ、まあ」になります。
とても、原因の原因の原因に辿り着けるとは思えません。
もちろん、原因の原因の原因に辿り着くことなく、革命でもなく、国力衰退を阻止する提案が出来ればいいのですが、そんな「上手い方法」があるとは思えません。
委員の皆さんの現状認識と時代認識と想像力が問われます。
そんな会議なのに、老人の山です。平均年齢が何歳になるのか知りませんが、ここは、老人の出る幕ではないように思います。
多分、過去の延長線上にある臨調になるものと思います。
今、この国に必要なのは、常識ではなく、非常識なのだと思います。

最初に結論を書いてしまいましたので、無駄かもしれませんが、令和臨調の目的と主旨にも目を通してみたいと思います。


臨調の目的。
「日本の未来を守る」
自分たちの社会を自分たちの力でより良いものにしていこう。その強い意志こそが民主主義です。次の時代に持続可能な日本社会と民主主義を引き継ぐため、世代や立場を超えた有志による、令和国民会議(令和臨調)を発足します。


目的は大賛成です。民主主義を前面に出したことも評価します。
ただ、「世代や立場を超えた有志」が「お偉い方々」の集まりになっているのは、理解に苦しみます。
若者は、どこに。
貧しい人達は、どこに。
若い主婦の皆さんは、どこに。
見当たりません。
次の時代を意識しているのであれば、名もなき若者が半数(50人)は必要なのではないかと思います。
「令和国民会議(令和臨調)を発足します」となっていますが、(令和臨調)という呼称は要らないと思います。国民の会議にすることを推奨します。
これまでの臨調は、「政府に物申す」会議体でした。役立たずの政府に物申しても、何も解決しません。そもそも、臨調が政府御用達の会議体になっています。与党と野党の茶番劇だけでも、充分、国を衰退させていますが、そこに、政府と民間の茶番劇を上乗せして、何をしようとしているのでしょうか。
令和臨調は、「政府に物申す」ことをやめて、今からでも、「国民に物申す」会議体にするべきだと思います。
なぜなら、民主主義を民主主義にするのは、政府ではなく国民だからです。
「お上」と「下々」という概念は、卒業しなければならないと思います。
国民の皆さんに立ち上がってもらわなくては、この国は、衰退するだけです。


発足主旨は長文ですから、抜粋します。

臨調の主旨。
「統治構造改革」「財政・社会保障」「令和の国土構想」について長期ビジョンを検討し、その実現に向けて合意形成活動を行います。
わが国では、世界に先駆けて人口減少が進行しており、今後少なからぬ自治体が存亡の淵に立たされる。GDP200%に上る財政赤字を積み重ね、量的金融緩和を続けながらも、経済は長期的停滞から脱却することができない。過去30年、経済成長を続けてきた諸外国に比べ、わが国の相対的な地盤沈下は著しい。
進行性(国力衰退)・急性リスク(災害等)が複合的に顕在化したとき、われわれの社会や民主主義ははたして正常に機能できるだろうか。
いずれの課題も根は深く、解決するためには長く、粘り強い取り組みが必要になる。長期的、継続的に責任を持って事に当たれる主体は、政党を措いて他にはない。
世代を超え、立場を超えた幅広い人びとが立ち上がり、志ある政治家とも協働して、党派を超えて取り組まねば解決困難な平成以来の課題と取り組み、進行性の危機にも、急性の危機にも立ち向かいうる、しなやかで強靭な日本社会と民主主義の持続可能性を守ることが、令和臨調の目的である。われわれはこうした営みを通じて日本の未来を守り、希望ある日本を創り、そして育てたいと思う。
三つのテーマに取り組むことを、ここに宣言する。
第一に、ビジョンや構想をアクションに移す仕組み作り、「統治構造改革」である。平成時代以来の改革を検証しつつ、政党のガバナンス、二院制や国会審議等の国会のあり方、選挙制度、政府や政府与党関係、政官関係、いわゆる官僚の働き方改革など、積み残してきた課題と取り組む。さらに、熟議民主主義やデジタル・デモクラシーなどの新しいアイデアを採り入れつつ、危機にも揺らがない政権交代可能な責任ある政党政治の実現を目指す。
民主主義は政治家のみによって行われうるものではない。わが国の社会と民主主義の持続可能性を守るため、それぞれの立場や利害を乗り越えて、危機を乗り越えるために手を携えようではないか。


主旨にも、賛成です。
「わが国の相対的な地盤沈下は著しい」という認識。これは、「国力衰退」を認めているということです。
現状認識と目的は、間違っていません。
しかし、「日本の未来を守る」という目的は、その通りですが、主旨で語られている内容から見ると、目的が「ふわ、ふわ」としているように、綺麗事を並べているように、見えるのは、なぜ、でしょう。
それは、「日本の未来を守る」という目的が論理的に生み出されたものではなく、万人受けの良い言葉を選んだ結果なのではないかと思うからです。
目的と現状認識の間が空白です。多分、その空白を提言で埋めていこうということなのでしょうが、これまでも、その方式では成功しませんでしたし、この先も、成功する可能性はゼロに等しいと思います。そのことに、気付いていません。
現状で見えているものは、どれも結果です。その結果と目的の間を単純に埋めようとしても、成功しません。私達に見えている結果を生み出した原因を掘り下げなければ、目的を達成することは難しいと思います。しかも、原因には原因があり、原因の原因にも、原因があるのです。趣旨説明を読む限り、原因究明の姿勢は感じられません。
もしも、臨調発足の一丁目一番地に、原因究明があれば、趣旨説明では、その事が主題になっていたと思います。そうはなっていません。その結果、「誰が、この目的を達成するのか」が明確ではありません。いや、目的を達成する主体は政府だと思い込んでいます。民間の「お偉い方々」も優秀な方ばかりですが、官僚の皆さんだって負けていません。そんな官僚が束になって尽力してきたのに、日本は衰退しているのです。政府に「おんぶにだっこ」で何とかなるという考えは、既に、破綻しています。
この国を変えるのは政府ではありません。国民です。国民が変われば、自動的に政府も変わります。歴史と伝統に従えば、国民は管理監督される対象なのかもしれませんが、それは違います。政府は、国民の外注先にすぎません。それが、民主主義です。
これまで誰も語りませんでしたが、必要なのは、国民の使命であり、国民の責務だと思います。それは、目的を達成する主体は、国民しか存在しないからです。国の使命と国の責務は、ついでに明確化すればいいのです。
1つ目のボタンから掛け違えているのだと思います。
国民会議なのですから、国民に対して、正面から向き合う姿勢が必要なのだと思います。臨調のメンバーには、選挙という試練はありません。国民に厳しい要求を出しても、選挙で落選するという心配をしなくてもいいのです。
「民主主義は政治家のみによって行われうるものではない」と言っているのに、国民のほうを見ていません。
「長期的、継続的に責任を持って事に当たれる主体は、政党を措いて他にはない」と断じていますが、これは、歴史と伝統の上にある、「お上」と「下々」という既成概念の延長線上にある考え方だと思います。この認識の間違いが、日本を衰退させてきたのです。また、同じ轍を踏もうとしています。国民が変わらなければ、政治は変わりません。
政党にしっかりしてもらえば、日本の未来は守られるというのは、幻想だと思います。性善説に立脚す「れば」、政党が本来の使命を全うしてくれ「れば」、と考えているのかもしれませんが、政党を運営しているのは人間であり、人間の行動原理は「欲」で決まります。人間の欲は、そんな生易しいものではないと思います。特に、政治家の欲は、強欲の部類に入ります。「れば、たら、もし」という砂上に楼閣を建てても、役に立ちません。
誰でも、一番可愛いのは自分です。自分の利益を優先させるのは、ごく当たり前のことです。それは、政党でも同じです。
「お上」に「おんぶにだっこ」という通念を捨てなくてはならないと思います。
国民の責務と国の責務を明確にした上で、目的を達成する道筋を見つけなければ、どんな提言をしても、宙に浮いてしまいます。なぜなら、誰も、自分が目的達成の主体だという認識を持っていないからです。特に、国民に、その認識がありません。
「ビジョンや構想をアクションに移す仕組み作り」と書かれていますが、そもそも、地に足をつけた「ビジョンや構想」は、どこにあるのでしょう。砂上の楼閣の上に「日本の未来を守る」という旗を立てて、誰が、守るのですか。皆で、「俺には関係ねぇ」と言っているのです。目的が、お題目では、何の役にも立ちません。
どうして、国民の協力が不可欠だということに気付かないのでしょう。
「ちょちょいのちょい」で何とかなるのであれば、もう、とっくに、国力衰退は終わっていたと思います。
思考そのものを過去と決別させなければ、これまでの30年間と同じ結果になります。
これでは、また、結果を捻じ曲げるだけの提案になるだけです。
やるだけ、無駄です。
「なあ、なあ」「まあ、まあ」という提案は、何千、何万と提示しても意味がありません。

「画竜点睛を欠く」という言葉があります。知力と感性もその関係にあると思います。
令和臨調事務局は、日本の知力を結集したと自負しているのかもしれませんが、今、この国に必要なのは、知力ではなく感性だと思います。先ず、何の脈略もなく、原因に辿り着くことが出来るのは、知力ではなく感性だと思います。知力がその力を発揮できるのは、感性で根っ子を見つけた後です。必要なのは、感性と知力の合体だと思います。
今、この国に必要なのは、原因の原因の原因を見つけることです。
しかし、原因の原因の原因には、全く、言及がありません。
頭脳明晰な方々が山のようにいる日本で、これまで、なぜ、言葉の定義が必要だということに気付かないのか不思議でしたが、どうも、知力では手に入らないようです。
国家運営を担う「お偉い先生方」も、肩書が立派な「お偉い民間人」も、名もなき「偉くない庶民」も、過去という温泉に浸かって、妄想に生きているように見えます。まるで、集団催眠にかかっているようです。これ、ヤバイと思います。


2022-07-06



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog