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76年も放置されている戦争責任 [評論]



8月15日と言えば「終戦記念日」です。
私は変人ですから、国が戦争責任を放置し続けている記念日だと思っています。特に、国民に対する国の責務が議論されていないことを記念する日です。常識のある「いい人」は、こんな馬鹿げたことは言いませんが、直近の日本近代史を見れば、日本は、私達は、明らかに破滅へと向かっています。その原点が、戦争責任の総括をしなかったことにあります。
終戦記念日は、日本が敗戦した記念日だと思っている人がほとんどだと思います。国も、そのつもりなのでしょうが、ほんとに、そうなのでしょうか。議論がありませんので、終戦記念日は「曖昧」な記念日のままです。
「もやもや」とした空気の中にあるのが終戦記念日なのだと思います。いや、あらゆることが「もやもや」とした空気の中にある国ですから、終戦記念日も、その一例に過ぎません。
終戦記念日は、国民の祭日にはなっていません。戦勝記念日であれば祭日に出来たのでしょうが、敗戦記念日ですから祭日にはし難かったのでしょう。ここも、「もやもや」です。意味不明な「山の日」が作られ祭日になりましたが、「お上」は終戦記念日を意図していたのではないかと思います。ただ、何故か、8月11日です。8月15日にすればいいのに、そこは、微妙に外してあります。「もやもや」
終戦記念日には式典が行われます。
立派な会場で、立派な祭壇を作り、お偉い方々が頭を下げていれば、それでいいのでしょうか。儀式好きの日本人ですから、それなりの効果はあるのでしょうが、変人の私には、靴の上から足を掻いているような違和感があります。共産党や朝日新聞のように、「日本の侵略が悪い」という定型文にも、違和感があります。
「なんか、違うな」という感触があります。
右も左も団結して、本質を避けようとしているように見えるのは、偏見なのでしょうか。共産党や朝日新聞を含めて、皆さん、「いい人」ばかりなのかもしれません。私は変人ですから、「国民」という視点が欠けていることが不思議です。

昭和初期から開戦の日に至るあの時代、国民の皆さんは、漠然と「ヤバイ」という感触は持っていたと推測します。昭和7年に515事件が、昭和11年に226事件が起きています。「俺達は、破滅へ向かって進んでいる」とは感じていなかったのかもしれませんが、多分、何となく「ヤバイ」とは思っていたでしょう。
あれから、約100年後の今、「俺達は、破滅へ向かって進んでいる」と感じている人がいないのと同じ感覚だったのではないかと思います。ただ、100年前と同じで、国民が「ヤバイ」と思っているところは共通しています。
でも、庶民の「ヤバイ」という感触は、実際に「ヤバイ」結果になります。
後で、冷静に、振り返って見れば、あの戦争に勝算などないことは明らかです。
それでも、空気に引きずられて戦争をしてしまったのです。
しかし、私達は、そのことを、いや、多くのことを、戦前も、戦中も、戦後も、腫れ物に触るような感覚で、避けてきました。これは、空気に責任転嫁して、「なあ、なあ」「まあ、まあ」と言いながら、皆で、逃げているだけだと思います。
日本人だけではありませんが、日本人は、特に、「恥部を隠す」という意識が強いと思います。暗黙の中で、「なかったことにしようじゃないか」という意見は、大人の対応として、受け入れられる社会が、日本の社会です。
戦前の意識も、開戦したことも、「うやむや」のまま、76年が経過したということだと思います。もちろん、「うやむや」は戦争に限ったことではありません。
戦争の総括は、国の責務だと思いますが、そもそも、責務そのものがありませんでしたので、総括はされませんでした。参考までに、今でも、国の責務は決まっていません。
すべて、「なあ、なあ」「まあ、まあ」で終わってしまっているのです。
今は、「戦争という破滅」に向かっているのではなく、「国力衰退という破滅」へと向かっているのですが、同じような空気があるように思います。
もちろん、戦争の総括をしていれば、こんなことにならなかったという証明はできません。しかし、戦争を「うやむや」にしてしまったという歴史が、何らかの影響を与えているのではないかという想像はできます。
徳川時代、生類憐みの令や奢侈禁止令の時に、うっかりしたことを口にすると牢屋に入れられたという歴史があり、戦前、戦中は、国や軍部に対する批判は厳しく取り締まられていたという歴史もあります。庶民は「壁に耳あり」と言って慎重に行動していました。それでも、本音では「ヤバイ」と思っていたはずです。だって、人間には、直感があるからです。
今も、同じです。
国民の皆さんは「ヤバイ」と思っています。だから「不安」なのです。
徳川時代や戦前の日本と違い、今は、「ヤバイ」と本音を漏らしても、牢屋に入れられることはありません。
それでも、皆さんは「ダンマリ」です。
どうしてなのでしょう。
歴史と伝統という空気が、体にしみ込んだ「下々」根性が、「ヤバイ」なんてことを言わせないのです。

多くの兵が外地で命を失い、沖縄戦で市民が命を失い、各地の空爆で市民が命を失い、広島・長崎の原爆で市民が命を失いました。戦後の食糧難でも、多くの市民が、飢えに苦しみ、栄養不良で病気になって亡くなりました。戦後のどさくさで命を落とした人もいます。戦争さえなければ死なずに済んだ人が、数百万人もいるのです。
どう贔屓目に見ても、国には戦争を総括する責務があったと思います。
しかし、国は、76年経っても、「俺には関係ねぇ」と言っているのです。
慰霊の式典をやっているのだから、靖国神社を守っているのだから、「それで、充分だ」と思っているのでしょうか。
「東京裁判で責任は取った」と言う人もいます。
それは違います。
東京裁判は、戦勝国が敗戦国を罰する儀式に過ぎません。
当時の「お上」は、国民に対する責任を取っていません。国民を犠牲にした罪で罰せられた人は一人もいないのです。
それどころか、「お上」は、その象徴である天皇制の残滓を残すことに奔走したのです。
これも、歴史と伝統に支配された行為です。
天皇が国を支配したのは、遠い昔の話です。
平安朝以降、日本の指導者は、天皇を利用することで権力を握ったのです。明治でも同じことをやり、昭和でも同じことをやったのです。
昭和天皇は「私の命が必要なら、差し上げる」と言ったそうです。しかし、天皇を利用して国を支配していた「お上」は、天皇に死なれたら、自分達も「ヤバイ」と思って、戦争責任を曖昧にするために、奔走したのです。
そんな人達が、戦争を総括するなんてことはしません。
そうして、天皇と共に「お上」は生き残ったのです。
日本の戦後も、国民という視点は生まれませんでした。占領軍が、無理矢理押し込んだ民主主義も、見事に、風味だけの民主主義になってしまったのです。付け焼刃の民主主義が、「歴史と伝統」に勝てないのは当然のことだったと思います。
あの敗戦の時に、戦争を総括し、言葉の定義をしていれば、違った国になっていたのかもしれません。でも、当時の「お上」は、権力と利権を守るために、占領軍との折り合いをつけ、天皇と曖昧を、歴史と伝統を温存することで、権力と利権を守ったのです。
「お上」にとって幸運だったのは、自分自身のために、自分の立場を死守していたら、国民が勝手に頑張ってくれて、戦後復興に成功してしまったことです。
「俺達は間違っていなかった」と安堵したことでしょう。
いやいや、それ、違いますから。
古い国家統治システムを温存したから、戦後復興が実現したのではありません。国民が勝手に「追いつき、追い越せ」という目的を持ったから復興したのです。
しかし、その復興も、国民が目的を失ってしまい、国は衰え始めました。
国家運営システムで復興したのではありませんので、この間、国家運営システムは、「なあ、なあ」「まあ、まあ」でよかったのです。
敗戦後、民主国家という看板を掲げたのですから、言葉の定義をしてもよかったのですが、敗戦から76年経った今でも、言葉の定義を主張した人はいません。
「民主主義って何ですか」という疑問も出てきません。
「何となく民主主義」という「ふんわり」とした空気があるだけです。
「国とは、何ですか」「国民とは、何ですか」なんて疑問が出てこなくても不思議ではないのが、私達の国です。
上昇気流に乗っている時は、「なんとなく」でも「ふんわり」でも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」でもいいんです。
しかし、そうではない時は、そうはいきません。
放置すれば、下落トレンドに引きずられて、「ずるずる」と深みにはまってしまうのです。
今が、まさに、その時です。
今は、縄文時代まで遡る必要がある時です。実際の縄文時代には民主主義は存在しませんでしたが、縄文時代に戻ったつもりで、民主主義を議論する時だと思います。
「お上」が推奨する「歴史と伝統」から離脱する必要があります。
もちろん、こんな主張をしても「訳、わからねぇ」と言われるだけでしょう。
「歴史と伝統のどこが悪い」と言われると思います。
皆さんが考える「歴史と伝統」と、「お上」が考える「歴史と伝統」は別物です。
「お上」が推奨する「歴史と伝統」は、「お上」と「下々」というシステムのことを指すのです。第二次大戦では、数百万人の「下々」が命を失いましたが、「お上」は、他国が裁く東京裁判で罪を問われた一部の不運な人を除き、生き延びたのです。これは、私達が考える「歴史と伝統」とは別物です。
多くの方が「人命は何よりも尊い。たとえ、一人の人命でも尊い」と言います。
数百万人もの人命を失っているのに、理屈、合いません。
戦争だから仕方ないなんて、誰が決めたのですか。
「下々」は何人死んでもいいのですか。
多分、そういうことなのだと思います。
「済んだことだ。ぐちゃぐちゃ言うな」と言われるかもしれません。
でも、これは、済んだことではないのです。
戦争では数百万人で済みましたが、これからやって来る国力衰退のドツボでは、数千万人の「下々」が犠牲になる可能性があるのです。
もちろん、何人の犠牲者が出るかは、まだわかりません。数百万人で済むかもしれませんし、総千万人かもしれませんし、1億人かもしれません。それは、実際に、ドツボにはまってみなければわかりません。それでも、戦争犠牲者よりは多くなると思います。
もしも、あの敗戦の時、「お上」が責任を取らされていたら、そのことを学習していたら、ここまで好き勝手なことはしなかったのではないかと思います。

戦争に関しては、右の方と左の方が言い争いをします。
ただ、枝葉のことを、重箱の隅で議論するだけです。
それは、右にも左にも、国民という視点が欠けているからです。
右の方が見ているのは天皇です。左の方は、他国に対する責任を追及します。
国民は、どこに、いるのでしょう。
国は、国民で成り立っているのです。国民の存在こそが本質なのだと思います。
過去の戦争責任も、将来の経済崩壊責任も、国民に対する「お上」の責任問題だと思います。
いつになれば、「国」のメインテーマが「国民」になるのでしょう。
あの戦争で死んでいった軍人の皆さんの多くは、本音では、国のためでも、天皇陛下のためでもなく、自分の家族のために死んでいったのだと思います。彼等は、自分の命が家族の命を助けることになるのであれば、と思って、死んで行ったのです。
しかし、本土では、その家族が次々と殺害されたのです。
軍人の死が、無駄にされてしまったのです。
アメリカ軍が殺戮者であったことは誰もが認めることです。
では、「お上」には市民を守る責務はなかったのでしょうか。
「お上」は、市民に向かって、「竹槍でアメリカ兵を殺せ」と一億玉砕を叫んでいました。
市民を、国民を、何だと思っていたのでしょう。虫けらなんですか。
軍人が命を懸けて守ろうとした家族を、国が見殺しにしていいのでしょうか。
戦争なんですから、勝ち負けはあります。
ところが、「日本は神の国だから、負けることはない」と信じていたのです。
なんと、馬鹿馬鹿しい。「神の国」、これも、「歴史と伝統」の影響です。
こんなことは、漫画の世界でしか成り立ちません。
必要だったのは「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義だったと思います。国の責務が明確になっていて、「お上」が、早期に敗戦を認めていたら、沖縄の人も、各地の空爆で死んだ人達も、広島や長崎の市民も、死ぬ必要はなかったのです。そのことだけでも、重大な責任があります。
これも、国民が国にとってメインテーマでなかったことが原因です。「下々」は虫けらとしか考えていなかったということです。今でも、そうだと思います。
でも、国民の皆さんは、ゴキブリなんかではありません。
ゴキブリじゃありませんよね。
違いますよね。


2021-09-05



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