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衆参ダブル選挙 [評論]



ごく一部に、衆議院解散か、という話があります。
夏の参議院選挙の時期に、衆参ダブル選挙が行われる、可能性があるという観測です。
一票の格差問題で、違憲状態という判決があることを無視して、前総理は衆議院解散をしてしまいました。昨年12月の選挙は違憲状態の中で行われた選挙なのです。
そして、東京と札幌と仙台の高裁が、昨年の衆議院選挙を違憲状態という曖昧な表現ではなく、明確に憲法違反だという判決を出しました。これからも、各地の高裁で同様な判決が出ると予想され、最高裁でも憲法違反の判決が予想されています。
高裁は昨年の選挙が無効だとは判決していませんが、そのことについて最高裁がどのような判断を下すかは、まだわかりません。
仮に、最高裁が、昨年の選挙に関して何らかの否定的な文言を使った場合、安倍政権の正統性は毀損されるという理由があるようです。
安倍氏の最重要課題は憲法改正です。憲法違反を犯している政権が憲法の改正に手を出すことが許されるのかという疑問があるのは確かです。
正論なのでしょう。
でも、この国では正論など何の役にも立ちません。
特に政治では正論よりも保身の方が優先されます。
安倍政権に、衆議院解散・総選挙はできないと思います。
折角、議員になれたのに、また選挙。自民党議員が賛成するとは思えません。
7月まで、今の支持率が保持できるという保証はありません。昨年の選挙から、たった6カ月で、新たに選挙資金を用意しなければなりません。3年間野党をやっていた自民党議員に、そんな金銭的余裕はないと思います。まして、落選の可能性があれば、承知しないと思います。
少なくとも、最高裁が、昨年の選挙を明確に無効だと判決しなければ、自民党は動けないと思います。最高裁が、そこまで踏み込むことはないだろうと言われています。たとえ、そのような判決が出たとしても、現実的には、司法の判断は尊重すると表明するだけで、現状維持を優先させる確率の方が高いでしょう。
違憲状態を放置したのですから、違憲判断も放置できます。成立した法案が無効だと判断されれば、動かざるをえませんが、それでも、4年くらい違法状態を放置するものと思います。そうすれば、任期満了になります。
ですから、勝手な判断ですが、衆議院の解散はできないと思っています。もしも、解散の可能性があるとすれば、今の70%以上の支持率が夏まで継続し、安倍氏が憲法違反を嫌った時だと思います。

でも、選挙に関しては、司法の判断以上に本質的な問題が、別の所にあるのです。
それは、選挙そのものが機能していないという現実です。
この国の選挙は選挙という行事だけで完結するのです。
選挙が政治に結びつくという当たり前のことが、この国では通用しません。
選挙が、儀式か、お祭りか、時間つぶしになってしまっているのです。
それを確定的なものにしたのは、民主党の裏切りでした。国民が初めて、積極的な意志を示したのが、あの政権交代です。ところが、国民の政治不信に引導を渡してしまったのもあの政権交代です。何も変わらないだけではなく、状況を悪くさせてしまった。選挙で何かが変わるなどという希望は、ただの絵空事になってしまったのです。
正論では、選挙で選ばれた政治家が、選んでくれた国民のために働くというものです。
現実は、そんな仕組みにはなっていません。選挙は選挙、政治は政治でそれぞれ独立したものに過ぎません。全く違った論理で行われているのが現実なのです。選挙はただの通過儀式です。その後は、何をやってもいいと政治家は思っています。
東京・千代田区は、千代田というまるで別の国のようです。千代田国の国会議員を日本という別の国の国民が選挙で選んだとして、何か役に立つのでしょうか。また、選ばれた議員は千代田国に忠誠を誓っても、日本国民に忠誠を誓う必要はないのではありませんか。
ですから、何度選挙をしても、ネットを解禁しても、本来の選挙の役割を果たすことはありません。選挙と政治の間が断絶しているのですから、民主主義の根幹である筈の選挙制度が機能していないことになるのです。
それだけではありません。一票の格差を大問題としてメディアが騒いでいますが、それは、本質的な問題を隠蔽する結果になっています。一票の格差よりも、民主主義が機能していないことの方が大問題なのではありませんか。この国では、いつも、いつも、本質を外した議論しかされない。それだけではありません。この国では、メディアは官製メディアになっていますので、問題提起をする機能も失われています。さらに、その奥に、もう一つ、本質的な問題が隠れています。それは、選挙制度を変更する権利を主権者の国民が持っていないことです。選挙と政治が分断されているだけではなく、国民と政治が分断されていますので、国民は何の手段も持てていないのです。こんな状態を民主主義だと思い込んでいる私達に、希望があるとは思えません。

どんな社会でも、正論と現実が乖離することは、よくあることです。
私達の国にとって、どうしても守らなければならないものって、何なのでしょう。
国民ですか。
民主主義ですか。
違いますよね。
何一つ、明確なものはありません。
最終的に、これだけは守らなければならないというものがない、曖昧な国、日本では、正論と現実が乖離していても、自然な状態なのです。
この国では、正論は、文字としては存在していますが、それは現実を是正するような力を持っていません。全てが曖昧にされていますので、どのような解釈も可能になるからです。その解釈は、国民にとってではなく権力者にとって都合の良い解釈にすることができますし、実際に、いつも、そうなっています。日本の曖昧文化が、いかに権力者にとって有効なものなのか、国民はその事を知りません。
従って、民主主義制度の根幹になっている選挙でさえ、儀式になってしまいました。
この国にとっては、一票の格差が問題なのではなく、選挙そのものが機能していないことの方が、はるかに本質的な問題なのではありませんか。
我々の周囲にあるのは、儀式ばかりです。
私達は、まだ、神話の国に住んでいるのではないでしょうか。
神話の国が、21世紀の現代に対応できなかったとしても、自然なことなのではありませんか。きっと、私達は、滅びゆく国の、滅びゆく民なのでしょう。
この現実は、政治家も含めて、私達国民が自立していないことに最大の原因があります。
しかも、国民を自立しないようにコントロールしている権力基盤は盤石です。
官僚独裁政治は変わりません。
日本社会は、ますます、硬直化していきます。
この硬直化を修正する方法がない国では、この国のように民主主義が機能していない国では、主権者である国民の選択肢は限られます。いや、事実上、選択肢はないと言えるでしょう。国民が主権者ではないのですから、当然の結果です。国民は、自己回復や自律機能や自己修復という手段を持っていません。そのような場合は、国家そのものがリセットに向かうしかありません。これは、自然界の必然なのだと思います。この国のように制度や仕組みが硬直化して、行き場所を失えば、時間経過がリセットという形で解決するしかありません。それが、時の流れと言われるものなのです。
大変残念ですが、この流れは革命以外では変えることが出来ません。
この国には、もう、リセットという選択肢しか残されていないのです。
たかが選挙くらいで、大袈裟な、と感じる方もいるでしょう。でも、国民は選挙以外では国の将来に係わることはできません。その現実は誰も否定できないと思います。


2013-03-17



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