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民主化革命のすすめ [評論]



「東日本大震災や東京電力福島第1原発事故により自宅を失った被災者が暮らす岩手、宮城、福島3県内の災害公営住宅で、2019年3月末に少なくとも約2300世帯、総額約3億1千万円の家賃滞納が発生していたことが、共同通信のアンケートで分かった。 昨年12月~今年1月の調査時点で各自治体が把握していた全入居世帯数は2万7103。単純比較できないが、滞納世帯は8%に当たる計算だ。 災害公営住宅には、高齢や資金不足を理由に自宅再建を断念した入居者が多い」というニュースがありました。

中には、払えるのに払わない人がいるであろうことは想像できますが、そんな人ばかりではないと思います。
実際に、家賃を払えば、食うことに困る人が大勢いると思います。
そもそも、災害公営住宅に入居している皆さんは、生活再建の目途が立たないから入居しているのです。左団扇で生活している人はいないと思います。そんな中で、なんとか家賃を工面して払っている人が大半だと思います。そういう意味では、家賃滞納者が8%しかいないということのほうが驚きです。ほんとに、真面目で、律儀な人達ばかりだと思います。日本以外の国であれば、80%の方が家賃滞納していても不思議ではありません。
一流企業にいる方や公務員の方が災害公営住宅に入居しているとは思えません。しかも、高齢者の方が大半だと思います。そして、高齢者の収入は年金だけだと思います。それも、国民年金の受給者です。国民年金の場合は、月額で5万円~6万円だと言われています。家賃がいくらかは知りませんが、この年金では食べるだけで精一杯なのではないでしょうか。
入居者全員とは言いませんが、大半の方が家賃未納予備軍の人達だと思います。何かあれば、例えば医療費の増加があれば、介護が必要になれば、夫や妻の葬式をすれば、子供達からの仕送りが無くなれば、貯金が底を付けば、家賃未納者の仲間になります。
私達が生き続けるために必要なものは「衣食住」だと言われます。この「衣食住」という言葉が、なぜ、「食衣住」にならなかったのかは不明ですが、「衣食住」の中にも優先順位はあります。英語では「Food,clothing and shelter」と表記するようです。優先順位を示すのであれば「食衣住」のほうがわかりやすいと思います。「衣食住」という生きる上で不可欠な要素の中で、「食」がなければ生きていけませんから1番目で、体温を失えば人間は死にますから「衣」が2番目だとすると、「住」は優先度では3番目だと思います。人間が生きることに危惧を抱いた時に、最初に手放すのが「住」だと思います。そういう意味では、家賃の滞納が起きるということは理に適っていると思います。災害公営住宅で強制退去という処分があるのかどうかは知りません。ただ、滞納している人には、それなりの覚悟はあると思います。でも、これって、生きていくことに困難を感じている人がいるということです。「住」の次に「衣」が切り捨てら、最後に「食」が無くなり、「生命」そのものが切り捨てられる日がやってくるということです。
「そんなことにはならない」と断言できる人がいるのでしょうか。

では、災害公営住宅に入居している人達だけの問題なのでしょうか。
そうではない、と思います。
何かあれば、生活が壊れる人は山のようにいると思います。
自助、共助、公助という言葉があります。
働いている高齢者もいますが、全員が働けている訳ではありません。貯金がある方もいるでしょうが、貯金が足りない人や貯金が無い方もいます。自助の道が失われている高齢者は少なくないと思います。子供や親戚の誰かが助けてくれている人達もいるでしょうが、死ぬまで面倒見てくれるという保障はありません。共助にも限界があります。最終的には、年金や生活保護という公助に頼るしか生きる道が無い人が大勢いると思います。
こんな状況で、もしも、仮に、万が一、国家が破綻すれば、年金や生活保護が無くなれば、生活できなくなる人は山のようにいると思います。災害公営住宅の入居者だけではなく、公営住宅に入居している方、民間の賃貸住宅に入居している方、ローンの支払いが終わっていない持ち家の方、特に、高齢者の皆さんは、生きていくことができなくなります。
問題は、高齢者だけなのか。
違うと思います。
このまま、奇跡が起きなければ、日本経済は縮小していきます。大量倒産、大量失業時代は、必ず、やってきます。働く場所が無ければ、裕福な実家に転がり込むことができなければ、若い人も生活ができなくなります。
もちろん、失業率が10%、20%の国はいくらでもあります。そんな国で、多くの人が餓死をしているのかというと、そんなことはありません。そういう意味では、人間はしぶとく生き抜く知恵を持っています。ただし、それは、国が何とか生きているからです。アフリカや中東のように、国が国として機能していない場合は、難民になるしかありません。沈むかもしれない船に乗ってヨーロッパを目指す人達は、他に選択肢がないのです。
では、私達の国はどうなるのでしょう。
「どうすれば、国力増大、国家繁栄を手に入れられるのか」なんてことを考える時は終わっています。今、私達が心配しなければならないのは、「どうすれば、国家機能を破壊せずに済むのか」ということを考える時です。もちろん、最終的には、国家繁栄を実現しなければ何も得られません。そのためにも、国家機能を破綻させることは阻止しなければならないのです。衰退国家では「あれも、これも、守る」ことはできません。その時に重要になるのが、最低限、「何を守るのか」という原則です。その選択を間違えば、結果的に、国家破綻になると思います。
「国とは、国民とは、民主主義とは」という定義ができれば、守らなければならないのは国民生活だということがはっきりとします。今は、国力衰退という非常時ですから、国民生活以外のことは、手を抜くしかありません。国家が破綻すれば、国民生活を守ることはできません。
国民生活を守るためであれば、既存の習慣でも否定しなければなりません。
国家繁栄の時代であれば、桜を愛でる会も必要でしょう。勲章の授与も必要でしょう。政治家や官僚の特権も認めるべきでしょう。
しかし、今は、そのような環境ではありません。
極端な話ですが、国民生活を守るためであれば、国会議事堂を売却しましょう。皇居も売却しましょう。誰も買ってくれないでしょうが、そのくらいの覚悟は必要です。
国会で議論されているのは、「桜」や「定年」です。これは、野党が政権を取るために与党を倒すことが目的であり、国民生活を守るためではありません。彼等が審議しなければいけないのは、政党助成金の廃止であり、議員報酬や定数の削減であり、公務員報酬の削減なのではないでしょうか。増税や社会保障費削減には力を入れていますが、方向が違います。なぜ、こんなことになっているのか。言葉の定義が無いために目標が見えてないからです。しかし、国民は「ふむ、ふむ」と頷いています。「俺には関係ねぇ」と言っています。まるで、皆で、仲良く、地獄へ行きましょうと言っているようなものです。
多分、誰も、自分達がそれほど切羽詰まった場所にいるとは思っていません。
その認識を変えることから始める必要があります。
もちろん、後になって「あちゃー」と言えば済むことだと思うのであれば、そんな無茶なことをする必要はありません。
しかし、一歩間違えれば、数百万人の、数千万人の餓死者が出る状況だという現実を知らなければなりません。それでも、「あちゃー」で済ますことができるのでしょうか。皆さんは、難民になって、日本海を渡る道を選ぶのですか。
確かに、日本が破綻すると証明できる人はいません。逆に、日本は破綻などしないと証明する人もいないのです。ということは、破綻する可能性はあるのです。もちろん、破綻を望んでいる訳ではありませんが、危険があるのであれば、それは対処するべきだと思います。それが、国民生活を守るということだと思います。
独断と偏見だと言われるかもしれませんが、私達の国と私達国民の最終目標は、「国民生活を守る」ことだと思っています。
その目標を達成するために「一億総貧困化」が必要であるなら、それは仕方ありません。
老人の皆さんは、例外なく、最低限の生活で我慢してください。公務員の皆さんは非正規労働者と同じ収入で頑張ってください。政治家の先生方は無給で働いてください。無駄な予算は1円たりとも使ってはいけません。
当然、そんなことが長期間続けられるとは思えません。その時に必要になることが、国家繁栄を実現する方策です。その大前提になるのが、国民意識です。日本人には、その能力があります。
今のまま、だらだらと、これまでの常識に従っていたのでは、何も手に入れられません。
多分、私が主張しているのは民主化革命という名の革命なのだと思います。
それでも、革命が失敗するかもしれませんし、国家破綻は避けられないかもしれません。
それを承知の上で、舵を切る必要があると思うのです。
ただ、国民の皆さんが「あちゃー」で済ませるのであれば、多くの餓死者を生み、世界の最貧国になることを選ぶのであれば、無理に革命をする必要はありません。要は、国民の皆さんが、何を求めるのかにかかっていると思います。
少なくとも、今の国家運営者に任せておけば、国民生活が破壊されることになります。そのことは、国民の皆さんも承知していると思います。
国民が判断し、国民が行動することでしか、この国は救えない状況まで追い詰められているのです。「俺には関係ねぇ」なんて言わないでください。もう、これは、国民の皆さんの問題なのです。
地震や津波や豪雨で家族を亡くした方は、「どうして、あの時」「どうして」「どうして・・・・・」という悔しさから逃れられないと言います。「なぜ、準備しなかったのか」「なぜ、大丈夫なんて思っていたのか」「なぜ」「なぜ・・・・」という堂々巡りの中で生きていると言います。何年、経っても、です。
「あちゃー」では、済まないのが現実なのです。
国家崩壊の被害は、地震や津波や豪雨や戦争と比較にならないほどの犠牲者を生み出します。その時になって「どうして」「なぜ」と言っても取り返しがつきません。必要になるのが事前対応です。自然災害の場合でも、国家崩壊のような人災でも同じです。私達に出来ることは、事前に想定をし、対策することしかありません。
大災害で犠牲になる人命は、多くても数万人です。戦争で犠牲になる人命でも、多くて数百万人です。しかし、国家崩壊の犠牲者は、数千万人になるのです。
災害に遭遇した人は、必ず、「なぜ、事前に・・・」「どうして、何もしなかったのか」と自分にも社会にも問いかけます。そして、「二度と、再び・・・」と言います。これが、私達の本音だと思います。

崩壊は始まったばかりですが、「なぜ、何もしないのですか」と問いたいと思います。

それは、皆さんが、多くの皆さんが、いや、ほとんどの皆さんが、崩壊が起きた後に臍を噛むような後悔をすることが分かっているからです。少なくとも、自分にとっては、かけがえのない、大切な、家族を亡くすのです。「あちゃー」で済むはずがありません。そんな皆さんに出来ることは、事前対応しかないのです。
何度も書きますが、私達の目標は、国民生活を守ることです。
私達の生活の大前提は、生命です。
国民生活を守ろうとしていない国家運営者に、私達の生命を任せておいてはいけません。
人間は「欲」の塊です。例外はありません。放置すれば、自分の欲を満たすことに邁進することは自然なことなのです。それを是正することが出来るのは、野党やマスコミではありません。国民の声だけが、彼等の欲を是正することが出来るのです。
既に始まっている国家衰退というトレンドを是正しなければ、間違いなく、皆さんは後悔することになります。後になって「どうして」「なぜ」と嘆いても現実を変えることはできません。国力衰退の行き着く場所は、国家崩壊です。だとすると、既に、目の前に、国家崩壊があるのです。いつ崩壊してもおかしくないのです。
皆さんは、「なぜ」防ごうとしないのですか。
皆さんは、どうして、平然としていられるのですか。
じゃあ、何が起きても、平然としていられるのですか。
そんな人間がいるとは思えません。
人間なのですから、泣き叫び、後悔をし、悲しみ、苦しむことは明らかです。
きっと、「まあ、まあ、そんな身も蓋もない事を言って何の得があるんだ。そういうことは、わかっていても、黙っておくもんだ。それが、大人の対応ちゅうやつです」と言われるのだろうなと思います。確かに、私は「大人の対応」が苦手です。でも、「大人の対応」をしていても、被害には遭いますが、それは問題ないのでしょうか。
私には、国民の皆さんの対応が理解できません。


2020-04-05



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