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確定している未来は現実と同じ [評論]



私が接することができるニュースは、実際に起きていることのほんの一部に過ぎないと思っています。ニュースにすらならないこと、私が一部のニュースしか見ていないことを考えると、氷山の一角の氷の結晶の一つを見ているに過ぎないものと思います。それでも、国力衰退の事象は至る所にあります。しかし、それを問題と捉える人は、国としての問題だと声に出す人はいません。ただ、「あれも変だな」「これもおかしいぞ」という感覚は、誰もが持っています。総合的に判断すると、多分、それを直感と呼ぶのでしょうが、「なんか、ヤバそう」と感じます。国民の皆さんが抱いている漠然とした不安は、決して、根拠がないものではありません。いや、いたって正しい判断だと思います。30年前は、50年前は、こんな類の不安感はありませんでした。皆さんは、たとえ現状が満足できない状況だとしても、「せめて、今日の延長線上に明日があって欲しい」「これ以上酷くなって欲しくない」と願っています。一方で、「そうはならないのだろうな」という感覚は無くなりません。それでも、あえて、自分にとって利益になると思うことを信じるしかありません。そう思いながらも、どこかで、危険は察知しています。ですから、心が晴れません。このような環境を、閉塞的な状況と呼ぶのではないでしょうか。
しかし、私達は、日本の民は、そういう閉塞状況を跳ね返したという歴史を持っていません。2000年間、「じっと、我慢すること」が私達のやってきたことです。
ですから、「国民の皆さん、ご自分を守ってください」なんて言われても、どうしていいのか、皆目、見当がつきませんし、声すら出そうとしません。
それでも、敢えて、お願いします。
「ご自分を、あなたの家族を、守ってください」
なぜなら、国民の皆さん以外に、皆さんを救える人はいないからです。
そう言われても、「ん ?」「なんで、国民」と思う方が多いと思います。
では、皆さんは、政治家や官僚が救ってくれると信じていますか。
そんな人はいないと思います。
このままでは、「ドツボに嵌る」ことを、皆さんは知っています。初めてのことかもしれませんが、抵抗してみることに価値があるように思うのです。
どうすれば、私達が救われるのかは、私にもわかりません。少なくとも、逆転満塁ホームランなんて方法は存在しないと思います。それでも、無駄だとしても、抵抗はしてみるべきだと思います。それこそが、大人の対応だと思います。権力に諂うことが大人の対応ではありません。その抵抗から、何かが生まれることを期待するしかありません。
騙されたと思って、「国とは、国民とは、民主主義とは」という言葉の定義をしてみてください。もしかすると、私達が向かうべき方向が見えるかもしれません。もちろん、それでも、崩壊は避けられないと思います。しかし、後世の人達に、何かを残すことは出来るかもしれません。仮に、私達に現状を変えることは出来ないとしても、未来を変える可能性だけは、可能性に過ぎませんが、残せるのかもしれません。もう、国力衰退は止められません。それでも、今は、抵抗することに意味があるように思えてなりません。
私達に未来はありません。せめて、子供達の未来のために行動する時なのではないでしょうか。是非とも、国民の皆さんに立ち上がってもらいたいと心から願います。

今日も、私達の現実を見てみます。
ある民間調査機関が、「少子化の原因は何だと思うか」という調査を、働く主婦を対象にして行ったそうです。
その回答を見てみましょう。

1位 「子育てと両立しやすい仕事がない」(70.3%)
残念ですが、そんな仕事はありません。
これは、明らかに「無いものねだり」です。
子育てと仕事の両立は、永遠のテーマかもしれません。それは、子育ても仕事も、とても幅の広い概念だからだと思います。どこかで妥協しなければなりませんが、どこで妥協しても悔いが残ります。時間が有限なのですから、仕方がありません。個人の能力にも限界があります。では、なぜ、こんな問題が起きているのでしょう。それは、貧困化が進み、女性が働かなくてはならなくなったからです。夫の収入だけでは生活が苦しいけど、子育ても大事だから貧しさに耐えるという選択肢すらなくなってしまいました。それだけ、貧困化が進んだということだと思います。
これは、「子育てと両立しやすい仕事」を模索することが空論だと言うことです。もしも、そんな仕事が存在しているなら、誰もがそういう仕事に就いていたと思います。
もしも、少子化対策をするのであれば、「子育て」を仕事として認めるしかないのではないかと思います。では、「子育て」という仕事の対価を誰が支払うのか。「子供は国の宝だ」と言うのであれば、国が支払うしか選択肢はありません。しかし、今の日本に、国力の衰退が進む日本に、そんな力があるのでしょうか。無理です。

2位 「子育てにお金がかかり過ぎる」(69.7%)
特に、教育費にお金がかかります。政府は、やっと、授業料の無償化を始めましたが、ほんの一歩に過ぎません。授業料以外の教育費も、貧国家庭には重く感じられます。無償化と言っても、全額タダになるわけではありません。所得制限もあります。一歩目ですから、多くを望んではいけないのでしょうが、子育てにお金がかかるという現実は続きます。
裕福な家庭であれば、惜しみなく教育費を出費します。しかし、これだけ「子育てにお金がかかり過ぎる」と言う女性が多いということは、裕福ではない家庭が、それだけ多いということです。昔から「無い袖は振れない」と言われていますが、その現実に直面しているのが今の日本です。

3位 「子育ての負担が女性に偏っている」(67.0%)
政府は、夫の育休取得を推奨していますが、現実的には、例外的な実績しかありません。仮に、夫が育休を取ったとしても、役立たずで、妻の子育て負担がなくなるわけではありません。新型コロナで学校が休校になった時、休暇を取った夫は何人いたのでしょう。当たり前のように、女性が休暇を取っていたのではないでしょうか。そのことが大問題になったという話は聞きません。なんのかんの言っても、女に頼るしか方法がないのです。
夫が、妻と子を独力で支えるだけの収入を得られないことが問題なのだと思います。ということは、非正規社員は、結婚してはいけないし、子供を持つなんて論外だ、ということだと思います。

この3つの課題は解決できるのでしょうか。
どの課題も、解決不能です。
つまり、少子化は必然だったということです。
この課題の背景にあるのは、貧困化です。
国が「一億総貧困化」を基本理念としているのですから、貧困化は今後も続きます。
つまり、今後も、少子化は続くということです。
ただ、今は、まだ教育費が俎上に乗せられている状態ですから、末期症状とは言えません。この先にあるのは、「子供の食べ物をどうやって手に入れるのか」という課題が出てきます。生まれてきた子供を間引いた時代もあったことを思い出してください。「まさか」「そんな」と思うかもしれませんが、アフリカの貧困国の子供達を想像してください。あの痩せた子供達が子供の全貌ではありません。命を落とした子供達が何倍もいたと思います。
国の未来は、子供達の数と能力で決まります。
出生数が減り、教育に力を入れられないのであれば、明るい未来など望むべくもありません。国民の貧困化を続ける限り、この国に未来はありません。
何故、そのことを、真剣に議論しないのでしょう。
確かに、出来ない理由は山のようにあります。簡単に、誰も犠牲にならずに、貧困化を阻止する方法なんてないと思います。そこを議論する必要があります。国民の皆さんが、この現実を、どうして、見て見ぬふりをしているのか、理解に苦しみます。
生活、大変ですよね。子育て、大変ですよね。その現実を、なぜ、無視するのでしょう。
「無いものねだり」をしていれば、気が紛れるのですか。
何もせずに、棚から牡丹餅を待っているのですか。
これは、国民の皆さんの問題なのです。環境は、この先、更に、悪化します。
私の予測は、いつも、最悪の想定ばかりですから、その通りになるとは言いません。でも、それでも、皆さんの環境が悪くなることだけは避けられません。専業主婦が当たり前だった30年前と比べてください。現実の環境がどんどん悪くなっていることを見れば、程度の差はあるでしょうが、好転することなどありません。
女性の皆さん、どこかに、明るい光はあるのですか。
能天気な男共に任せておいて大丈夫なのですか。

国は、幼児教育費の無償化や高等教育の無償化を宣伝していますが、子供達の教育費が無料になるわけではありません。もちろん、何もしないよりは、はるかにいいことですが、今の幼児教育費の無償化や高等教育の無償化は最初の一歩に過ぎません。この最初の一歩を30年前に始めていれば、そして、その後の一歩一歩を確実に積み上げていれば、未来は明るかったのかもしれません。いや、次の一歩を踏み出さなければ、明るくはならなかったと思いますが、日本再生の可能性は少しはあったのかもしれません。
GDPが減少するなら、生産性を上げればいい、という議論がありますが、机上の空論に過ぎません。子供の数が減るなら子供の能力を上げればいい、という議論をしても、何も得られるものはないと思います。そんな都合の良いことは、現実に起きません。
実際に起きることは、GDPが減少し、生産性が落ちるという現象であり、子供の数が減少し、子供の能力が落ちるという現象です。
世界的に見ても、経済成長のデータは豊富にありますが、経済衰退のデータはありません。継続的なマイナス成長、継続的な人口減少を経験した国はないのです。日本が、初めて、身をもって、そのデータを作るのです。ですから、何が起きるのか、なんて誰にも分っていないのです。過去の経験則も、経済理論も、統計値でさえ、日本の未来を予測することはできません。GDPが2倍になり、人口が2倍になった時に、何が起きるのかは想像可能です。しかし、GDPが半減し、人口が半減した時に、何が起きるのかは誰も知りません。何が起きるのかは、実際にそうなった時にわかるのです。多分、こういうことは、長い人類史上で、過去にもあったのではないかと思います。だから、私達には直感という、非論理的だと思われる才能が残されているのだと思います。
何度も、常識に頼っていてはいけない、と書いてきましたが、もう、新しいルールで動き始めていると考える必要があります。ただ、その新しいルールについては、誰も知りません。ですから、今、必要なのは基本です。それ以外に頼るものはありません。言葉の定義をして、基本を見つけて、そのためのシステムを作ることです。
私は、今の国家衰退状態が続けば、間違いなく、国家崩壊は起きると確信しています。もちろん、何の確証もありません。もしかすると、GDPが減って、人口が減れば、皆がハッピーになるのかもしれません。未知の領域なのですから、何が起きても不思議ではないのです。私は、極度の悲観論者ですから、皆がハッピーになるなんて想像はできないだけなのかもしれませんが、多分、私の想像は間違っていないと思います。
今でも、貧困化は進んでいます。今後も、ますます、貧困化は進むと思います。では、金銭的には貧しくなったが、精神的にはハッピーになったと思っている人が、今、何人いるのでしょう。そんな話は、聞いたことがありません。だとすると、アンハッピーになることのほうが現実的な予測なのではないでしょうか。皆がアンハッピーであれば、自分のアンハッピーを容認できるという場合もあります。でも、そこまでアンハッピーが平等にいきわたるには、長い時間が必要になります。確かに、日本人は「いい人」ばかりですから、とことん我慢すると思いますが、我慢にも限界はあります。その時には、上級国民が駆除されることになるかもしれません。もちろん、上級国民を駆除しても、下級国民がアンハッピーから抜け出せるわけではありません。ただ、皆がアンハッピーであれば、ある程度容認することは可能です。それにしても、アンハッピーの度合いで満足する世界は、決して、喜ばしい世界ではないと思います。

私達は、今、そういう場所に立っているのです。
上に書いたような課題は、国力衰退の過程で現れる、ほんの一例に過ぎません。
国力衰退と人口減少の問題は、どちらか一方の問題ではありません。国力衰退が人口減少を生み、人口減少が国力衰退を生むのです。こういう場合も相乗効果と呼んでいいのかどうかはわかりませんが、このサイクルは行き着く所まで行かないと止まりません。対処する方法は、事前に手を打つ方法しかありません。しかし、私達は少子高齢化に手を打たなかったのです。結果、国力衰退と人口減少という両輪は、回り始めてしまいました。もう、人力で止めることは出来ない状況になっています。事後対策としてあるのは、一億総貧困化です。皆で、落ちる所まで落ちて、そこから何とかしましょう、という選択肢しか残っていないのです。何とかなればいいのですが、かなり強い痛みを伴います。
為政者の責任だと言ってしまえば簡単ですが、責任の所在が問題なのではありません。なぜなら、誰も責任を取らないし、取れないからです。これは、平成時代を生きた大人全員の責任です。ですから、一億総貧困化は受け入れるという選択肢しかありません。ただ、責任のない子供達もが責任を取らされるのは理不尽です。いや、子供達だけではありません。子供達の子供達、その先の子供達が、全員、責任を取らされるのです。たった30年の不作為が、300年の不幸を生み出したのです。私達は、ほんとに、酷いことをやってしまったのです。
しかし、そういう認識は、誰にもありません。
皆さん、「俺には関係ねぇ」と思っています。
未だに、現実を見ようとしません。語ろうとしません。聞こうとしません。
トレンドラインを延長するということもしません。未来は未来ですが、ほぼ確定している未来は現実と同じです。奇跡が起きない限り、私達は地獄に堕ちるのです。


2020-04-04



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