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今日の延長線上の明日は [評論]



コロナショックで、株が大きく下落しました。
個人投資家の皆さんの恐怖は、いかばかりかと心配しています。
特に、現物株を持っている方は、背中が寒くなったのではないかと思います。
3月中旬の相場で見ると、約3割の下落になっています。今後、4割、5割の暴落も考えられますが、3割の時点での話を書きます。
1000万円の株を持っていた人は300万円を失ったことになります。もしも、この300万円を取り戻そうと思えば、税込みで約400万円の利益を出さなければなりません。別の投資資金がなければ、手持ちの株を売却して投資をする必要があります。つまり、700万円の投資で、400万円の利益を出さなければならないのです。これは、簡単なことではありません。いや、ほとんど、無理です。それどころか、悪いことが重なれば、投資資金の700万円が半分になる可能性だってあります。そうなると、350万円で800万円の利益を出さねばなりません。これは、もう、大博打の世界です。勝負に負ければ、結果的に1000万円の株がゼロになるのです。いや、大博打の時は、レバレッジが不可欠になりますので、借金を抱えるかもしれません。
しかし、評論家の先生は「売るな」と言います。
確かに、ゼロになるよりは、700万円でも死守したほうがいいのかもしれません。しかし、人間の欲は、そう簡単に制御できるものではありません。300万円の損失を「ふむ、ふむ」と受け入れる人は多くありません。しかも、700万円が600万円、500万円になる可能性もあるのですから、心穏やかでは済みません。
評論家の先生が「売るな」と言うのは、残りの700万円を売れば、その時点で損失を確定してしまうからです。持っていれば、いつか、株価は戻って来るという理由です。ただ、塩漬け株は、こうやって生まれます。評論家の先生方のアドバイスの根拠は、景気循環説にあります。株は、景気は、10年サイクルで上下するという循環説です。それは、昨日の延長線上に今日があり、今日の延長線上に明日がある、という通説が根っこの部分にあるために生まれたものです。
では、今日の延長線上に、明日はあるのでしょうか。
私は、景気循環説を否定するつもりはありません。しかし、その通説が成り立つためには条件があると考えています。
私の勝手な解釈ですが、その条件とは、「国力が継続的に衰退しないこと」だと思います。
もちろん、こんな法則は、まだ、どこにもありません。
では、そんな心配は必要ないのでしょうか。
第二次大戦以降の世界経済は成長し続けてきました。継続的な国力衰退に陥った国家は、先進国の中にありません。
日本が、その最初の国になるのです。いや、なっているのです。
だとすると、これは、歴史的な実験になり、そこから、新しい法則が生まれても不思議ではないと思います。
既に、国力衰退はあらゆる側面で表面化しており、国力衰退の大きな要因になる人口は、この先も、減り続けます。私達は、まだ、国力衰退の終着点にいるわけではありません。そんな日本が、景気循環説から外れたとしても不思議ではないと思います。
どうして、国力発展をしている国と、国力衰退をしている国が、同じルールの上にあると勘違いしてしまうのかはわかりません。明るい未来を描きたいという気持ちは理解できます。しかし、限度を超えた楽観論は、いかがなものなのでしょう。
私は、これまで、「今日の延長線上に明日はありません」と書いてきましたが、少し訂正します。通説が間違っているのではなく、今日という日の評価が間違っているとすると、結果は逆転することになります。今が、右肩上がりの線上にあるのか、右肩下がりの線上にあるのかで、その方向性は逆になります。
日本の場合、既に、国力衰退は始まっていますので、右肩下がりの線上にあり、それは、「今日の延長線上にある明日は、衰退という線上にある」ということであり、暗黙の裡に、私達が、これまでと同じ平穏無事な明日がやって来ると考えているのは、ただの勘違いに過ぎないということです。悪化が、更に、悪化するだけです。まだ、衰退の犠牲になっていない人達にも、衰退の影響は広がるということです。これが、今日の延長線上にある私達にとっての明日の姿です。
どこかの時点で、延長線は逆転していたのだと思います。それは、30年前なのかもしれません。私達は、そのことに気付かずに、未だに、右肩上がりの線上にいると勘違いしているのではないでしょうか。
国力発展か国力衰退かという視野で見た場合、多くのグラフが右肩下がりになっているという現実があります。それなのに、私達は、そのグラフを無視し、「いつか、きっと」と思ってきたのです。でも、もう、この現実は、そろそろ、認める時だと思います。
景気循環説が、衰退国家にも当てはまるというルールは、まだ存在しません。
ということは、現物株を持つことは、博打になります。
私は、東日本大震災を機に、現物株は全部手放しました。もちろん、その中には塩漬け株もありました。ですから、今回のコロナショックでの損害はありません。現物株の未来なんて、誰も保障していないことを、あの地震で知ったからです。
更に言えば、金融資産を持つことに意味があるとは思えません。
政府は、老後は年金だけでは暮らせないから金融資産が必要だと宣伝します。
でも、金融資産は、どんな金融資産であっても紙屑になる可能性があるのです。そのことに早く気付くべきだと思います。
現在50歳の人が、老後設計をするとなると、40年先を想定しなければなりません。現在30歳の人であれば、60年後を想定しなければなりません。では、50年先の日本社会を想定できる人がいるのでしょうか。
いない、と思います。
現金が、預金が、金融資産が、50年後も価値を維持し続けるのでしょうか。
資産が資産を生むという現象は、国力発展の国でしか起きないことです。
しかし、私達の国は衰退国家です。同じルールが適用されるなんてことは、勘違いに過ぎないと思います。
国力の衰退という現実を見る限り、資産価値はどんどん失われていくと考えるほうが、ほぼ100%正しいと思います。確かに、資産があれば、精神的には安心できるかもしれませんが、環境は日々変化します。50年先に、今の資産が自分を守ってくれるなんて保障は、どこにも無いと思わねばなりません。
もしも、生き続けたいと思うのであれば、食糧を自分で作ることです。
最終的に必要になるのは、食糧です。
土地も家も、車も、財宝も、価値を持ちません。なぜなら、食べられないからです。
今、この国の為政者がやらねばならないことは、疲弊しきった農業を立て直し、多くの国民を農業従事者へと誘導することです。それが、国民生活を守るということです。「一億総貧困化政策」の方向が、農業立国に向かっているのであれば、正しいと思いますが、実際には、そうではありませんし、そんな議論は、皆無です。
どの統計値を見ても、どの将来予測値を見ても、日本の将来に明るい光は見えません。しかし、私達は、頑なに、その現実を受け入れようとしていません。現実を受け入れなければ、対策なんて打ちようがありません。だらだらと、じわじわと、ずるずると、トレンドは進んでいくだけです。
確かに、私の提案は、いつも乱暴なものばかりです。
どの提案も、国民の皆さんが「ふむ、ふむ」と頷いてくれるとは思いません。
だからと言って、放置していても良いということにはならないと思います。
私の余命は、あと数年ですが、多くの国民の皆さんは、まだまだ生きていかねばなりません。「俺には関係ねぇ」なんて言わないでください。
コロナショックは衰退国家の背中を押す要因の一つに過ぎません。
株で損をする話なんて、多くの衰退現象の一つに過ぎません。
これは、皆さんの生活が壊れる話なのです。
多くの方が信じている「今日の延長線上に明日がある」という信仰が間違いだとは言いませんが、明るい未来を約束しているのではありません。私達は、衰退という今日に立っているのです。だとすると、明日は、もっと衰退することが約束されているということです。どうか、そのことに気付いてください。
今は、国民が立ち上がるという選択肢しかないと思います。


政府は、個人で老後資金を調達してくださいとお願いしていました。NISAもそのために作られました。それでも、株で損をしたとしても、空気としては「自己責任」です。
しかし、コロナショックで経済的に苦境に立たされている企業や個人も、自己責任なのでしょうか。
どうやら、自己責任のようです。
政府は、「自粛を要請する」とは言いますが、「自粛しろ」とは言いません。
それを言えば、責任が生じるからです。
国による非常事態宣言は、諸刃の刃です。国民救済策を示さなければ、非常事態宣言は受け入れられません。その国民救済策の費用は莫大な金額になりますので、政府はその財源を確保しなければなりません。財源は政治家が持っているのではありません。官僚が、財務省が持っているのです。財務省が首を縦に振らない限り、1円も出せません。
学校の一斉休校は、総理大臣の要請でしたが、自治体が休校を決めた時点で、国に責任が生じてしまいました。結果、子供達の親の所得補償をするはめになったのです。
ですから、国は、一斉休校は継続しないと発表しました。もともと、一斉休校は医学的データから出されたものではありませんので、継続しないことも自由に決められるのかもしれませんが、傍迷惑な感じは否めません。もし、休校する場合は自治体の判断で、自治体の責任でやってくださいという意味です。つまり、国は、所得補償はしませんという宣言です。それ以外にも、政府から「自治体が・・・・」「自治体に・・・・」という声が聞こえるようになりました。その点は、大変、心配です。
政府は、この先に感染爆発が起きると考えていると思います。今よりも強い処置が必要になり、大規模な予算を必要とする時期が来ると確信していると思います。官僚の皆さんは、出来るだけ予算を減らしたいと思っているでしょう。慎重になるのは仕方ないのかもしれません。
ただ、経済的には、大打撃を受けます。経済的打撃は、間違いなく起きることです。
ウイルスと戦いながら生活を守るためには、やはり、生贄が必要なのかもしれません。
大阪のライブハウスは、感染者が出た場所のライブハウスも、そうではないライブハウスも全面休業状態です。観光産業は、例外なく、休業状態です。この先、休業状態になる企業は急激に増えると思います。時間と共に、倒産や廃業が増えます。廃業というのは、「借金しても、返済できるとは思えない」と判断した経営者が、事業継続を自分からやめる状態を指します。特に、後継者のいない高齢の経営者が多く、廃業予備軍は驚くほど多いのです。コロナを契機に廃業するケースがあっても不思議ではありません。先日、近くの病院に行きましたが、待合室には2人しかいませんでした。街の病院だって、危ないです。
閑古鳥の泣いている事業主の皆さんは、自分がウイルスを製造して撒き散らしたわけではありませんので、自己責任ではありませんが、結果的には自己責任相当の責任を取ることになります。
それは、相手がウイルスですから、文句を言っていく場所がないからです。
いや、国は、文句を言われるような決定をしてはいけないということです。
官僚の皆さんは、この守りの姿勢が得意です。
政府の言っていることが、どこか曖昧になっているのは、そのためです。
それでも、何もしないわけにはいきませんので、経済対策、需要喚起政策として現金給付をすると言われています。でも、それは、国民生活を守ることが目的ではなく、パフォーマンスを示すための行動に過ぎません。失業保険に加入していなくて、職を失った皆さんは、直ぐに、真剣に、生活保護申請に挑戦する時だと思います。迷っている時間はありません。
一回、現金給付をしたからと言って、国民生活が守られることにはなりません。仮に、10万円の現金が給付されたとします。そのお金は、家賃と食費で、1カ月で底をつきます。と言うことは、今すぐに、新しい職場が必要だということです。なぜなら、新しい職場での給料は1カ月後にしか入ってこないからです。極端な話をすれば、コロナが終息するまで、毎月、現金給付が必要になるということです。政府は、そんなことはしません。10万円の現金給付だけでも、簡単なことではないのです。
もちろん、赤字国債の増発が原資です。
何かある度に、赤字国債に頼ってきた国家運営が、今回も行われます。
もちろん、誰も反対はしません。
でも、やはり、何か変だと思います。
多分、それは、国と国民の責任領域が明確ではないことによるものだと思います。
国民は、「国が何とかしろ」と言い、国は「無い袖は振れない」と言っています。両者共に、自分に責任は無いと思っています。
結局、将来の国民にツケを回すことで一件落着するのです。
これは、「人口、財政、戦争、災害、疫病」という五大災禍に対して、国民自身が対応策を持つことでしか乗り越えられないということです。「国民とは」という定義の一つに加える必要があると思います。「おんぶにだっこ」は現実には存在しません。
それらのことが、実現可能かどうかは別にして、あらゆるものが曖昧なままですから、とりあえず、今の皆が不利益を被らない、将来世代へのツケで済ましてしまうのです。
何となく、何とかなる、のは平時の場合に限定されていることを知るべきだと思います。
国民にも、非常時の対応を持つ必要があるのではないでしょうか。
ぜひ、言葉の定義をしてください。
何よりも、「なあ、なあ」「まあ、まあ」が、もう、限界なのだと思います。
この先も、コロナショックのような出来事は、必ず、起きます。
国民の皆さんが路頭に迷う事態は起きます。
国民が対応策を持つことくらいしか、方法はないのではないでしょうか。
太古の昔から、「自分のことは自分で守る」は鉄則だと思います。
いつも、いつも、乱暴な話ばかりで申し訳ありません。歓迎されない話だということは承知しています。憎まれ役も必要だと開き直っているつもりなのですが、それでも、心苦しいという感情は消えません。


2020-04-03




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